noteもあえて「調べない」で楽しむ
こんにちは、わたしです。
今やネットで調べられないことなんてないように思います。
今日1日を振り返っただけでも、出かける先への道を調べたり、友達に言われた出かけ先を調べたり、今日の夕飯の献立を調べたり・・・。
検索フォームに文字を打ち込まない日はないように思います。
そんな中、わたしの友人があえて「調べない」を楽しんでいたので、それが面白いと思い記事にしてみようと思います。
新しいことを「調べない」で始めた友人
わたしの長年付き合いのある友人が突然「麻雀」を始めました。
麻雀はメジャーなゲームで、プロが存在するようなものなので、教本や動画がこの世に溢れています。
その話を聞いていたわたしも、わたしの同居人も学生の頃から麻雀で遊んでいたことがあるので、その友人より歴は先輩になります。
なのでその友人はいくらでも麻雀の攻略法を知ることができるのです。
しかし、彼はこう言いました「あえて上達法とかを調べずに独学でやっている」
わたしは最初「また変なことをしているな」と思いました。
独学で成長する友人
その友人とは月に1度くらいの頻度で我が家に集まり遊ぶことがあります。
彼が麻雀を始めてから、遊びに来る度に1試合は麻雀をするようになりました。
回を重ねる毎に、気を抜けなくなっていくのです。
もちろん金銭を賭けるようなことはしませんが、それでもゲームである以上負けないようにしたいので、わたしも真剣に遊びます。
たった2,3ヶ月でわたしは彼に負けないようにするのが難しくなりました。
その間も彼は「上達法」の類の情報は入れずに、あくまで自分で研究していました。
遠回りを楽しめると視野が広がる
彼は「自分で仮説を立てて、実践で検証し判断していくのが楽しい」と話していました。
元々頭のいい人なので、麻雀のロジカルさが性にあっているのだと思います。
この記事を書く直前、ふとわたしは、写真を撮ることを上達させたいと思いました。
その次に思ったのは「どうやったらスマホの写真が上達するかを調べるか」ということでした。
しかし、そこであえて調べないで研究した友人を思い出したのです。
情報を入れる方が当然、試行錯誤するより早く上達できます。
たとえば「明日までにこれができるようになっていないと」と思うなら、先人たちの上達法を学ぶのは必要です。
しかし、上達していくまでの過程を楽しむというのも趣味の1つの楽しみ方だと学びました。
noteもあえて遠回りしていい
わたしはnoteの攻略法というマガジンを作る程度には、noteを伸ばすことを考えています。
しかし、noteを伸ばすことばかりを考えていると楽しくないと感じることがあります。
趣味でもマネタイズでも、先人の知恵にすぐすがりたくなる気持ちはとてもわかります。
でもあえて自分で模索していく楽しさもあるということを、頭の片隅に入れておきたいです。
いつもと違う帰り道で新しい店を見つけるように、最短ルートじゃないから見つけられるものがあり、それはあなただから見つけられたものになります。
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