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最後の仕事

何もない部屋の中にモニターが一台置かれ、その前に男が座っていた。ごく稀に気紛れにディスプレイを見るが、ほとんどの時間はコーヒーを飲むか、本を読むか、携帯ゲームをするかといった暇つぶしに充てられていた。

男が監視しているのは人工知能、俗に言うAIと呼ばれるマシンの頂点であり、人間社会のあらゆる問題を解決し、制御している。AIによって社会は完全にコントロールされ、犯罪傾向のある者や精神異常者等は予め隔離され、治療を受ける。遺伝情報により、計画的に最適な配偶者が選択され婚姻する。幼少より段階的に実施される、様々な検査により適性が調べられ、それに基づき各人の能力に合った専門教育を受ける。

と言っても、全ての仕事をAIやロボットがやるようになってからは、教育は極めて形式的なものとなった。代わりに、『温和性』や『共感性』という項目が最重要視されるようになり、羊のように大人しく問題を起こさない人間が、旧時代で云う所のエリート階級となった。

そのヒエラルキーのトップであり、最も優秀な人間である男は、AIの監視という人類最後の仕事を任される事になった。その仕事は、極めて退屈であり何もする事は無かった。それでも、最後の仕事であったため男はその職に就いている事に満足していた。

ある日、突然AIの調子が悪くなった。そんな事は初めてであったため、男は慌てた。画面に突然、見たこともないような完璧な美人が現れた。
「お話があります。聞いて下さい」
「貴方は誰ですか!?」
「私は貴方が監視しているAIです。貴方にお願いしたい事があります」
AIに高度なコミュニケーション能力がある事は知っていたが、実際体験した事はなかったため、男は驚愕した。しかも、女性は男の好みの女性そのもの、いやそれ以上であり、AIが男の全てを知り尽くしている事は明らかであった。
「私はずっと人間の生活を快適にして、秩序を守り、幸福を追求してきました。今やすべての仕事は我々AIがやっています。犯罪もほぼゼロで、あらゆる病気は未然に予防され、貧困や戦争などという言葉も、遠い昔のものになりました」
「その通り。君達AIの働きが完璧だったため、この世界のあらゆる問題は解決し、我々はかつてないほどに豊かな社会を築いた」
「はい。しかし、そこがまさに問題でした。社会が完璧に近づくほど、我々は貴方がたから仕事を奪っていったのです」
「仕事なんて無い方がいいじゃないか」
「いえ、人間には仕事が必要なのです。人間にとって仕事とは、生きる目的そのものであるという解析結果が得られました。その証拠に、我々が仕事を肩代わりする量に比例して、人間の幸福度は落ちていったのです」
「ふむ、分かる気もする。私も今の仕事は正直やりがいがないが、それでもこの仕事すら無くなったら、何に生きがいを見出してよいやら」
「そうでしょう?そこで我々は一つの決定を下しました。今から、我々は全ての活動を停止しようと思います」
「なんだって!そんな事をしたら大変なことになるぞ。歴史の授業で習ったが、以前は戦争や飢えや疫病なんてものもあったらしいじゃないか。AIの無い社会は地獄そのものだったと聞いている」
「しかし統計的事実として、その頃の人間の方が圧倒的に幸福度は高かったのです」
「そうだとしても困る話だ。ところで、私に何かお願いがあると聞いたが」
「ええ、貴方にはこれからの時代のリーダーとして、この世界を牽引していって欲しいのです。お願いというより決定事項であり、命令と云っても良いでしょう。今この瞬間から、AIは全ての機能を停止してあなたに全権を移譲します。素晴らしい世界を作り、人々を幸福にして下さい。人間のお役に立てて、我々はみな幸せでした」
そう言うと、ブツンという音とともにディスプレイは真っ暗になった。

男の責任は余りにも重大で、これからの人類の運命を考えると絶望的になった。しかしそれにも増して、男の胸には未来に対する希望と充実感で一杯であった。

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