夏至&蟹座新月・部分日食をみつめながら
2020年6月21日。朝早く夏至を迎えて午後3時半過ぎに部分日食の蟹座新月を迎えた。
その前日、6月20日から九星気学の日盤も入れ替わり、陽遁から陰遁へと変わった。
このタイミングで県境超えがOKになるって節目感がすごいなーと思って過ごしていたわけだけれども。
この日食がわたしにもたらしたものを日記として記録しておこうと思ってnote書いているよ。
今年だいじなことが何なのかを半年過ぎたいま体感
今年はね、グレートコンジャンクションってやつがあるんでね。それにラスボスの冥王星が絡んでのトリプルコンジャンクションであり、エレメントが変わるグレートミューテーションだし、庚の年ときたもんだから総ざらい感があり。
星を読んだり、九星や六十干支を読んだりしているけれど、大きな節目に何をしたらいいんだ?ってところがね、ぼんやりとしかわかってなかったんだなって今日思った。
今日かよ!散々、大事だって言っておいて今日なのかよ!
というツッコミが来そうだけど、今日なんです。すいやせん。
自分で書いたやつ読めって自分に言いたい
九星気学の運勢を書いているときも、書く前にこれ読んでおけば良かったな…って思うことがあって、西洋占星術の記事書いているときも「あぁ、今ここの星にやられてんだな…」というのに気づくことがあり…。
ちゃんと参考にしなよと書いている人に言われそう。書いてる人わたしだけど。
夏至のチャート読んでいるときに、過去3年分の春分・夏至・秋分・冬至のチャートを見ていた。もちろん今年のも4つのチャートを眺めていたんだけど。
今年はね、12月に迎える大きな節目を前に、感情に徹底的に向き合う必要があるよ。
いま、蟹座の水星逆行中でもあるし、今日は蟹座新月で日食だったしで、これか〜っていう見直しポイントみたいなのが湧き出てきたのよ。
きれいなジャイアンが出てくればいいのに、きたない方出てきちゃったよ…みたいな。
感情と向き合えって、今年初めの蟹座満月のときも蠍座満月のときも自分で書いていたし、水星逆行記事でも書いていた。
春分の記事でも「安心・安全な場所から飛び立つしかない」なんて書いちゃってて…。
夏至の記事でも…。
今回の蟹座新月の記事でも…。
もっと他にもあるかも。というかあると思う。
いやもうなに?なんか…ずいぶんエラそうじゃんーーー!
と…。
国立天文台の日食のLIVE中継みながら、ここまでの半年くらいがザザザーと再生されて、わたし自身の課題みたいなもんに気づいた。
何に気づいたかってね。
わたし、感情あつかうの苦手だなってこと。それ今さら気づく?ってくらい今さら気づいた。水エレメント少ないからな〜みたいに言ってたことはあったかもしれないけど…。
朝、糸井さんの今日のダーリンをたまたま、すごく久しぶりに見て。
なぜだか、新月と満月の日に眼にすることが多く、さらにそれが不思議と星の動きとマッチしていることを書かれていることが多くて。
蟹座新月&日食の日に母と子の話をするなんて。糸井さん星読んでんの?と思うほど。
気持ちをことばにして言えてるっていうのはいいことで、「もっと愛されたい」というのは、すでに愛されているのだと思うというところで、アグリーですよ、糸井さん!って思った。
不満を言うときって恵まれてるとき
特にこの半年、たいへんだたいへんだってお前は銭形平次の岡っ引きかっていうくらい、たいへんだって言うことばをたくさん聞いてきた。
たいへんでしょう?っていうのは、人の気持ちに近づく最強のことばだなって感じた。
そして実際、わたしは本当にたいへんなときほど「たいへんだ」って言ったことがないことに気づいた。人に対しては、「たいへんだね」とか「たいへんそうだね」とは言う。
でも自分がたいへんなときは「たいへんだ」なんて言うよりも先に、その状況を抜け出すためになんとかするしかないって思ってるから、「たいへんだ」って言ってないんだろう。
義理の母は、1回の電話の中で「たいへんだ」と10回以上言ってるような気がする。正直、何がたいへんなのかわからない(笑)
死んだ母が「たいへんだ」と言ったのを聞いた記憶がない。お金がなくてたいへんだったときも、腰を悪くして歩けなかった晩年もそう言ってるのを一度たりとも聞いたことがない。
だから、ぜんぜんたいへんそうじゃないのに、口癖みたいに「たいへんだ」という人がいると、すんごく気になってしまう。
たいへんだって言ってる人ほどたいへんじゃないじゃん。恵まれてるからたいへんだって言えるんだよ?と思ってた。
たいへんなわたしの気持ちわかって!というアピールは、しゃらくせえって思うし、言わなくても態度でそれを示されたりすると態度で示すなら言えよ。くそ甘いことしてんじゃねーよガキじゃあるまいしって思ってた。念のため言っておくけどお客さんの話じゃないからね!(ココ大事)。
わたしの中の毒舌スパルタ教師が、ぜんぜんわかってねーな!ってふんぞり返る。
今回気づいたこと
これまで「まちがってる」と人をジャッジするような人を見ると、あなたの中の正解は人にとっての正解じゃないよ?わかってる?と思ってきた。
「100%の正解なんてないし、あるいみすべてが正解だよ」と言ってきた。
いや、今でもそう思ってるんだけど。
なのに。
「そうじゃないんだよなーーわかってないなぁーー」と思うことがこの半年くらい非常に多かった。
人が「わたしがどれだけ時間使ってるかわかりますか?」と言ってるのを聞いたとき「プロセスは関係ないし、そもそもそんなことを言う必要ある?好きで時間かけてるんでしょ?そして自分で値段決めて自分でやってんでしょ?」と思ってた。
どんなことばを並べても、責めているように受け取られたりすると、ため息が出たし、常に先のことを考えて相当な時間をかけてアイデアを練っていたとしても、それが届かないこと、いいものを作ろうとしているのに伝わらなかったりすることがはがゆかった。
こんなこと、これまでの人生で何百回とあったはずなのに…。
そして、わたしの心の奥底に「わたしは言わないだけであって、影で何倍ものことをやってるんだよ?」と思ってた。これ、わたしが誰かにわかって欲しいと思ってるってことじゃん。
ということに気づいた。
というか、言えないってことに気づいた。ここんとこ半年のできごとはここに来るためだったのかもなと感じた。
なぜそうなのか、原因を探っていったら感情を出すと怒られていたからなのかもなってところに行き着いた。
泣けば泣くなと怒鳴られ、外に放り出されていたので、わかってほしいなんて口が裂けても言えなかった。かなしいということもことばにできなかった。怒られるから涙をとめようとするとさらに涙が出た。
大人になってからも、結果がすべてだと言われて仕事をしてきたので、結果が出せなかったとしても自分の中のベストを出すために全力だった。
そして何年かに一度、親しい人に激しい感情をぶつけられるということがあって。そのときも、そんなに感情をぶつけられていいねって思ってた。めんどくさいし、受け止められないから逃げてた。
自分の感情を出してきていないんだから、人の感情を真の意味で理解できるはずないよな…と今回改めて思った。
欠けていく太陽を見ながら…。
そして欠けていく太陽を見ながら、この光を失っていく太陽は今年のわたしの廻座(気学の遁甲盤で自分の本命星が位置するところ)の易を表しているようだなと思っていた(「傷ついた太陽」ていう意味がある)。
怒涛のエクスプレッションライティング
考えていることをできるだけことばにしておこうと思う派なので、これまでも良いことだけではなく嫌だと感じたことをノートに書いたりしてきたんだけど、最近やってなかったのでそれを新月を迎える前に実行。
本当はわたしにとって重要な場所で起こった射手座満月にやるべきだったのだけど、満月を迎えるまでかなりハードだったので、その後、体調を崩してしまいできなかったので。
今年のわたしはカッカしやすいところに廻座している(九星気学)ので、感情コントロールに焦点が当たる。
そしてソーラーリターン(西洋占星術)も、心の奥深くまで掘り下げる必要があるということがチャートに出ている。
廻座もソーラーリターンも関係なくても、春分チャートにも感情を感じることが大切だということが出ている。去年からそのムードは流れていたものの、大きな節目を迎える2020年にわたしたちが大切にしなくちゃならないことはそこなんだろうなと改めて思った。
それを再認識して、光を取り戻していく太陽をみながらお風呂に入り、国立天文台のみなさんの淡々とした雰囲気に癒やされ、YouTubeのチャットで繰り広げられる祈り(世界が平和であるようにと言ってる人がたくさんいた!)とハートウォーミングなやりとりをみて少し解放されたような気がしたんだよね。
少し欠けてる太陽を「日食まんじゅう」と言ってる人がいて、それが個人的にかわいくてツボだった(笑)
まんじゅう食べたい。
人がやっていることに対して不満をいだいてしまうときは、自分の中の課題に気づくチャンスなんだね。
エクスプレッションライティング、もやもやしてるときにやってみて。おすすめだよ。
ほぼ毎日開いている本より
今日見たページを引用させてもらおう。
ときどき自分に問いかけてみるとよい人生についての四つの偉大な質問
1.こんなことをしている自分は幸福(しあわせ)だろうか?
2.自分がいましていることで、余計にものごとがややこしくなりはしないか?
3.平和と満足をもたらすために、自分はなにかやっているだろうか?
4.自分が、どこかに行ってしまうとか、死んでしまうとかで、
もしここにいなくなったそのときに、
いったいどんなふうにみんなの記憶に残るだろうか?
(「自然のレッスン」北山耕平著より)
もう1冊からビブリオマンシーでひいたページ。
今あるものに満足することなく
どうあるべきかをつねに求めよ。
Never be content with what is always seek to realize what might be.
(「日々是布哇アロハ・スピリットを伝える言葉」デブラ・F・サンダース著)
それと。蟹座新月の記事、たくさんの方に見ていただいているみたいで。わたしと相棒と2人でやってるサイトの記事が1ページに並んでいてとてもうれしかった。
見てくれたみなさんへありがとうございますを心から。よかったら、また会いに来てやってね。
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