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わたしたちは生と死のサイクルの中で生きている

12年前の今日、夕方の6時過ぎ。初夏の草の香りがする急な坂道をわたしは走っていた。

いつもは車で病院に行くのに、そのときは歩いて行こうと車をおいて家を出たのだった。坂道を登っているときに携帯電話がなった。母の容態が急変したので急いで来て欲しいという連絡だった。

前々日に受けた手術後、母はICUに入っていた。ICUは面会時間が限られていて、面会に行っても30分程度で出るように促されるし、本人は意識朦朧としているので話もできない。例えそばにいられなかったとしても、ICUの外で待っていれば、もっと早くに声をかけてあげられたかもしれないのにという後悔は拭えない。

病院に着いたときすでに母は意識がなく、看護師が心臓マッサージをしていた。処置をしますのでとすぐにICUから出され、ドアの外で何をするべきかをひとり考えていた。

いまは慌てるわけにも泣くわけにもいかない。そう自分に言い聞かせていた。

30分が過ぎたころ、原因がわからないという医師にわたしの方から「家族はわたしひとりだけど、母には妹がいますので呼んだほうが良いのでしょうか」と切り出し、叔母を呼んだ。

叔母が到着して1時間しないうちに「心臓マッサージを繰り返してももうご本人もキツイと思います」と言われた。そして母は、旅立っていった。


人はいつか死ぬし、死ぬ時期も死に方もだいたいの人は選べない。わかっちゃいることだけど、死というものがわたしたちにとっては未知のもので、未知のものだからこそ恐れを抱いてしまう。

重いテーマだけれども、母の12回目の命日でもある今日、「生と死のはざまで生きていること」について考えてみたい。


今日は占星術も気学もほぼ関係ないただの話。今現在、大切な人を失って悲しい人やその苦しみの渦中にいる人は読まない方がいいかもしれない。

天寿を全うするということ

自分もいつか死ぬ。

うん。わかってる。死なない方が怖いし、何百年も生きるって辛いだろう。

天寿を全うしたい。

そうだよね。そう思う。

じゃ、「天寿を全うする」ってそもそもどういうことだ?と。

23歳で死んだ友だちは、天寿を全うしてないのか。
103歳でひとり病院に繋がれたまま家族とも合わず孤独に死んで行き、孤独なまま火葬された親戚のじいさんは、天寿を全うしたのか。
生まれる前に死んだわたしの姉たちや妹は、どうなのか。

生も死も本当は身近なもののはず

誰かが生まれると「生」について考え、身近な誰かが死ぬと「死」について考える。

「生」がある以上、「死」があるわけで。
どれだけ医学や科学が進歩しても、古代からそれは変わらない。

平穏な日々が過ぎていくと「死」は遠い存在になってしまうから、忘れがちになる。

寿命のロウソク

小さい頃、「まんが日本昔ばなし」で、寿命のロウソクの話があった。

最後まで燃え尽きるのが本来の寿命で、ロウソクがパタンと倒れて火が消えると、そこで死んでしまう。

その映像は、アニメと言えど子供心に強烈に残っていて、大好きなばあちゃんのロウソクを想像したりして震えていた。ばあちゃんのロウソクが倒れないで欲しいと心の中で願った。

仮に、いのちのロウソクがあるとして。どんな炎を自分が出しているかによっても寿命って違うよなと思ったりもする。

昔、バイトで一緒だった霊感の強い子が「いま○○さん、とろ火です!」とヘトヘトに疲れている男の子に言ってたことがあった。

後から、なんで火だったのかと思ったりしたけど、命という燃料を燃やすと思うと合点がいかないでもない。

探してみたら動画があったのでシェア。ロウソクの印象だけ強烈に印象に残っていて、怖い話だと思いこんでいたけれど、倒れたロウソクを戻して助かっていたということが判明。良かった(笑)

水から生まれて水に還る

西洋占星術では、牡羊座がスタートだから火から生まれて水の魚座で終わりとなるけれど、牡羊座は魚座の世界から飛び出してくるので、水から生まれて水に還ると言ってもいい。

九星気学では、人は水から(自ら)生まれて火に還る(燃やされるからね)と言ったりするけれど、これは一白水星から始まって九紫火星終わるということを表している。でも、一白水星と九紫火星の間が飛んでいるわけではないのだから、結局人は水に還るというサイクルなのだろうと個人的には思う(遺灰流したりするしね)。

水から生まれて水に還るって、どっかで聞いたことあるなーと思って、何だったかを調べてみたら、古代ギリシャの哲学者タレスの「万物の根源は水である」だった。

万物の根源(アルケー)を水と考え、存在する全てのものがそれから生成し、それへと消滅していくものだと考えた。そして大地は水の上に浮かんでいるとした。世界は水からなり、そして水に帰るという説を唱えたのだった。(wikipediaより)

西洋占星術の考え方は、ここから来たのだろうか。

生命の起源について調べているといろいろな説があってとても興味深い。宇宙から来た説、水から生まれた説、地下で生まれた説。(興味があったらここ読んでみて→生命の起源

死後の世界

どうして生まれたのかと問われると、お父さんとお母さんがセックスをして受精をして我々の生命はここへ来ているわけだけど、ずーっとさかのぼったら、わからないよね。

自分が宇宙から来たのか(たまに自称宇宙人の方がいるけども)、水から来たのか地下から来たのか、自分ではさっぱりわからない。

気づいたら、いつのまにか生まれてた。

死後の世界と言えば丹波哲郎さんだけど(古いか)、丹波哲郎さんは「死後の世界はすばらしい。辛くても現世でちゃんと頑張って生きれば天国が待っている」と説いていたそうで。

非常にシンプルで、今を生きようと思えるなと思ったり。

死後に行くところがどこかはわからないけれど、亡くなった人を思うところに、その数だけ天国は存在しているのだと思う。

天国と地獄と生まれ変わり

天国と地獄があるとわたしたちはなぜ思っているのか。悪いことをしたら「閻魔様に舌を抜かれるぞ」と言われてたし、「まんが日本昔ばなし」(また登場)でも真っ赤な煮えたぎる地獄を歩くような場面があったような記憶がある。

日本の地獄は、インド→中国→日本と伝来して生まれた観念らしいのだけど、キリスト教にもイスラム教にも天国と地獄はある(この2つは元が一緒だからね)。

ヒンドゥー教には「生まれ変わり」があって、日常の会話でも「今生ではそれは無理」「今回の人生で初めて言われた!」なんて話が出たりする。でもジョーティシュ(インド占星術)では、前世が人間であることは稀らしい。わたしの前世は鹿らしいが、インド人の友人の前世はシャーマンらしい。

ヒンドゥー教徒は、ガンジス川に遺灰を流してもらうと、けがれが浄化されて、この苦しい世の中に生まれ変わる輪廻転生から逃れられるらしい(すんごい昔の「地球の歩き方」で読んだ)。

宗教による違いを聞いていると、日本は、信仰というベースは日常からは遠いものになってしまったけれど、天国と地獄もあって生まれ変わりも割と信じられているというフルコンボだなって思う。

生と死を分けるボーダーライン

臨死体験をした人が、三途の川を渡って〜という話をしていたのをテレビで見たことあるけれど、50代で亡くなった親友のお母さんは、亡くなる数年前に川を渡ろうとしたら、向こう岸にいるおばあちゃんから「まだ来るな!」と追い返されたという夢を見たらしい。

三途の川の渡り方も、浅瀬だったり、険しかったり、橋や渡し船だったりといろいろあるっぽい。そしてこの川を渡るという考え方は、メソポタミアやギリシャの神話にもあるらしい。

つまり、生と死の間になんらかのボーダーラインがあり、こっちからあっちへ行くということなのだろう。

人の想像力ってすごいなと思うのは、天国と地獄があるとして、その世界観が共通しているということ。

死んでからもあっちの世界で楽しく(?)すごすために必要なのは、どんなところでも楽しめる柔軟な精神ではないかと思ったりもする。

生と死のサイクルの中にいるわたしたちができること

生まれた環境が世間一般で言うところの特殊な環境だったということもあり、「生」に対して常に向き合ってきて、20代半ばから30代半ばまでの間に、友人や家族を亡くしたことにより「死」にも向き合うことになってしまった。

生と死をつかさどる星はわたしの個人天体に関わっているし、日本ではあまり使われていないけれど欧米で人気のハウス方式(西洋占星術の)で出すと、8ハウスに絡んでくることももしかしたら関係しているのかもしれない。

大きなきっかけになった体験をいくつか書いてみたい。

後悔のないように生きると意識したとき

50代で亡くなった恩師は、厳しかったけれど、父のいないわたしには父のような存在で、とても尊敬していたし、なぜか理由はわからないが周りに集まる生徒は母子家庭の子たちが多かったように思う。

教授は「後悔なし」という言葉を亡くなる一年前に記していた。これを読んだ時、死を覚悟した人の文章の力強さを感じた。

これがわたしに書けるだろうか。今でも頻繁に問いかけている。書けるように生きておきたい。

この恩師が亡くなる3ヶ月前に突然祖母が亡くなり、身近な人を続けて失ったショックはそれなりに大きく、しばらく呆然としていたことを覚えている。

50代半ばであっちの世界へ行ってしまった恩師の年に年々近づいているけれど、自分には何も残せてないような気がして毎日必死なわたし。

恩師からは、「後悔なし」という言葉を残せるような生き方をするようにと教えてもらった気がした。

仲の良かった友人を見送ったあと

20代であっちの世界へ行ってしまった友人を見送った後、わたしは涙に明け暮れた。

友人とわたしの違いは一体なんなんだ。悪いことをしていないのにこんなことが起こるのはなぜだ。と、いるかどうかわからない神のような存在にずっと聞いていた。

友人は、悪いことをひとつもしていないどころか、あっちの世界へ渡る直前に、自分が仕切った現場で働いていた人たちに、慰労の意味を込めて贈り物をしていたらしい。

なのに、自分のうっかりと人のうっかりがいくつか重なって、あっけなくあっちの世界へ行ってしまった。

それまで車がひっくり返るような事故をしても、骨折すらしなかったのに。

友人があっちの世界へ行った頃、わたしは転職をしたばかりで、課せられた責任の重さと何が何でも売上をあげて認めてもらわなければならないという義務感、その重圧をかけてくる上司との衝突もあったりで、自分を犠牲にしてとても居心地の悪い働き方をしていた。

出張でたまたま来ていたからと亡くなった友人から留守電が入っていたにも関わらず、折り返す時間的余裕も精神的余裕もなかった。そのような状態でいた自分を責めたし悔やんだ。

これではいけない。

自分が被害者になろうとも彼はきっと相手を責めたりする人ではなかったし(彼の家族がそうであったように)、例え忙しくても周りをよくみて思いやることのできる人だった。

彼の死が時間の大切さと許すことを教えてくれた気がして、何ヶ月か向き合った後、あっちの世界へいる友人に何十枚もの手紙を書き、もらったものと一緒に精霊流し(長崎県出身なので地元に持っていった)で送り出した。

そして上司との関係性を回復し、同僚たちと愚痴ることを一切辞めた(会社の中ではどうしたんだと呼び出されるくらいの出来事だった。笑)。

最愛の母があっちの世界へ

最愛の母があっちの世界へ旅立ってしまったことを冒頭に書いた。その年は、わたしの出生図の冥王星にトランジットの冥王星がスクエアを3回も形成する年だった(母の命日とわたしの出生図を重ねると他にも節目となるサイクルがあった)。

抗えないものからの旅立ち。わたしはここで一回死んで生まれ変わったのだと思っている。


それまでのわたしは、母のために生きていた。母のために進路を考えたし、母のために稼いでいた。

両親が普通にいてお金の心配のない友人たちは、日々のおしゃれにお金をつぎ込んでいたのをうらやましいという思いがなかったというと嘘になる。

でも、それがわたし。身近な人の死を通して、後悔のない自分を生きると決めていたから、うらやましいなんて絶対に言わなかった。

正直、不自由だったと思う。大学卒業後、別の大学へ進むことも諦めたし、20代の終わり頃、お金をためてイギリスにデザインの勉強に行ってみたいと思って費用を調べたりしたこともあったけど、母親にいつなにがあるかわからないという気持ちを自分自身がぬぐえなかったので諦めた。

母親のせいではない。万が一のことが起こったときの自分を想像して無理だという判断をした。

母は、わたしが撮影した写真を遺影にしたいと保管場所を伝えた一ヶ月後に、あっちの世界へ行ってしまった。ICUに入った母とは一言も話せないままだった。まさか亡くなるなんて。覚悟も何もできてなかった。

病室で家族に見守られながら「ありがとう」とか言って死んでいくのは、ドラマの世界のできごとなんだなと思った。簡単と言われる手術の0.002%の死亡率に、自分の身近な人が含まれない可能性は0%ではないということを知った。


葬式はまるで時空の歪んだ異世界へ自分が行って、葬式を出す人を演じているかのようだった。まわりの親戚や母の友人たちから死因を聞かれ、火葬場で食べる弁当の数を聞かれ、何もかもがひとりにのしかかる中、告別式での挨拶を考えた。


三回忌が終わるまでは、ただただ目の前のことをこなすことしかできず、三回忌が終わって自分の暮らしが戻ってきたときに、自由って不自由だなという感じがした。

不自由という大きな枠の中にあってこそ、自由は楽しめる。帰る場所があるからこそ放浪の旅が楽しいように。

西洋占星術で例えるなら、土星という制限の星の内側にあるからこそ、木星のありがたみを感じるようなものだろうか。

幼なじみは「もうあなた自身の人生を生きなさいってお母さんが言ってるんだよ」と言ったけれど、何をどうやって生きていったらいいのかさっぱりわからなかった。

誰かのために何かをすること、誰かに尽くすこと、何らかの責任があること。

これらは、だいたい足かせとなるイメージがあるけれど、あなたは自由だから何をしてもいいですよと鳥かごから出されても北に行けばいいのか、南へ行けばいいのか、全くわからない。どこへ行けば幸せになれるのか、どこへ行けば安心で安全なのか、さっぱり見えなかった。

パートナーがいてもとても孤独で不安だった。何者にも代えがたい何かを得るために働きかけてもそれを得ることはできなかったし、後悔なく生きることができる気が全くしなかった。なんとかしたくて、もがいて動いて失敗して関わった人も自分も大いに傷つけた。

何をやっても消えない喪失感。いちばん大きな存在がなくなってしまったことによる穴が大きすぎてもう生きなくてもいいかなとさえ考えてしまった。

亡くなった人の存在が自分の中に生まれる

ちょうど母の七回忌を迎える頃、わたしは無人の実家へ帰っても泣かなくなった。

それまでは、玄関に入った瞬間に「いたはずの人の気配」を感じて数時間泣きながら雑巾を片手に無人の期間に溜まったほこりを掃除していた。

思い出と後悔と会えない悲しさが波のように一気に押し寄せ、何度も溺れそうになった。

鍵を開けたら「ただいま」と誰もいない空間に声をかけ、儀式のように雑巾がけをし、傷んだ床や壁の染みを見ながら、もうそこはかつてわたしが暮らした家ではないということに向き合った。

七回忌を終える頃、法事で挨拶をしても悲しみよりも暖かさを感じるようになった。不思議なもので、自分の内側に母の存在を確認していた。思い出すたびに、ポッと明るい炎が灯るような暖かさを感じるようになっていた。

七回忌を終えてさらに2年が経ったとき、実家を手放す決意をした。祖父が買い、母と叔母が育った家だったから、せめて叔母が生きているうちはと、維持にかかる費用を貯金を崩しながら払っていたけれど、叔母のことは完全に言い訳で自分が手放せなかったのだということには自分でも気づいていた。

家や物は死んでも持っていけないのだから、思い出だけで十分ではないか。

そう思って実家を解体し始めた頃、母が夢に出てきて自宅の二階から見える海(わたしが大好きな景色だ)を眺めた後、「さあ、行こうか」と言って振り返った。

それまでは母はまだ実家にいたのかもしれない。そして、行こうかと言って、行った先は、わたしの“内側”だと思っている。その証拠と言っていいかどうかはわからないけれど、わたしはこの数年で、鏡の中に母の姿を見るようになった(つまり、似てきた)。

鏡の中には、母だけでなく祖母もいるし父もいる。

もう寂しくないなぁ。だって鏡をみたらいるんだもの。と、時々思っている。

寂しさの向こうにはあたたかさが待っている

寂しさの渦中にいる時に、こんなことを言われても、「あなたにわたしの悲しみがわかるものか」と言っていただろう。

だから、大切な人を亡くした人にこんなことは言えない。

でも、いま寂しい思いをしている人たちが、自分の中にいる大切な人の存在に気づくときが来るといいなぁと思う。

わたしたちは、生と死のサイクルの中に生きているに過ぎない。いくら魂は死んでも生まれ変わると言われたって、肉体を持って生きている以上、いつか死ぬ。自分自身もいつかそのときを迎える。

新しく生まれ変わったとしても、その時の記憶はないのだから、死は恐いものかもしれないけれど、死というものの先に新たに(人の内側に)生まれると思えば、大切な人の死も自分の死も怖くなくなるのではないだろうか。

死ぬことは本当に怖いものなのか

大切な人が亡くなっても、自分の中にその存在を感じることができるようになる。

そして、自分がいなくなったとしても、後に残った大切な人の中に自分の存在を感じてもらえるときがくる。

だとしたら、わたしたちはただそのときを待てばいいのか。それでもいいのかもしれないけれど、自分の物質的存在がここからなくなっても、できれば誰かの支えになれるような存在になれたらいいなと思う。


わたしが最近、ハマったイギリスのBBC制作のドラマ「レ・ミゼラブル」。ついこないだまでNHKで放送されていて、この機会にと原作も読んだ。

主人公ジャン・バルジャンは、働いても稼げるお金はわずかで、パンすら買えなかった。家族に食べさせるためにパンを盗んで徒刑囚となり、脱獄失敗が重なって19年もの間を刑務所で過ごし、刑期を終えて釈放されたあと、宿を求めた教会の神父から盗んだ銀食器を咎められるどころか、燭台も与えられる。

はじめて無条件の愛にふれ、雷に打たれたかのような衝撃を受け、それから「愛を与える」人になる(ヒュー・ジャックマン主演の映画「レ・ミゼラブル」でもこの場面は印象的だった)。

それでも運命は彼を放ってはおかない。しかし何があっても前を向き、自分の愛でかつての自分と同じ、ミゼラブル(哀れ)な人を救っていく。(愛を与え救っていくことで自分が報われたいという思いもあったのかもしれないけれど)

この物語の登場人物たちは、それぞれが運命に翻弄されながらも、前を向いて大切な存在へと愛を与えて精一杯生きていく。

詳しくは、原作をぜひ読んで欲しいのだけれど、ジャン・バルジャンが言う言葉に印象的なものがあった。その中のひとつを紹介したい。

死ぬのは怖くない。でも、生きられないのが、とても怖い。

これは、原作の最後の方で、ジャン・バルジャンが言ったセリフだ(ドラマでは取り上げられなかった)。

このセリフを読んだ時、後悔のない人生を歩んだ人は「自分が死ぬのは怖くない」けれど、「生きて大切な人への愛を与えることができなくなる」ことが怖いのではないかと感じた。

生きてさえいれば、愛を与えることも、自分が誰かに尽くすこともできる。死んだら何もできない。自分が愛する相手を喜ばせることもできない。

このことが、生きているものたちにとっての本当の意味での最大の恐怖ではないか。

かなしいと思ったら

「愛」という漢字。日本の古語では「かなし」という音を当てていたらしい。

「愛し(いとし)」ではなく、「愛し(かなし)」と読んで、相手をいとおしい、かわいいと思う気持ちや守りたい思いを抱くさまを意味していたそうだ。

大切な人を見送るとき、そして自分の旅立ちが近づいてきたとき、こう考えたいと思ってる。

悲しいと思ったら
それは、愛しい(かなしい)ということ
今いる世界をいとおしいと思っているということ
愛を与えてもらい、与えていたということ

愛なんて言葉を使うとそれが薄っぺらく感じられてしまうし恥ずかしいけれど、家族だけではなく、まわりにいる大切な人たちへ愛をもって接し、愛を与えていけたらいいなと思う。

わたしひとりにできることなんて小さなことだけれど、小さなことだけでもできたらいいな。

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