大丈夫じゃなくても大丈夫


ずっと黙っていたけれど、実は私は健常者ではない。
発病したのは大人になってからで、普段は毎日薬を飲んでいるので特に日常生活に支障はない。
ただ薬をやめることはできないし、偶に症状が出るので要注意。

まあ、こんな風にさらっと書けるまで、発病してから何年もかかった。

色んなことがあって、何度も死を近くに感じた。
その度に、周りの人たちに支えられて生があることも感じた。

私は普通であることにこだわりがある方で(前回note「根本的な才能とは、自分になにかができると信じることである」参照)、自分が周りの人たちと違う、病気がある、ということを受け容れるのに時間がかかった。

せっかく努力すればなんとかなるとわかって、今までそうやってカバーしてきたのに。
なんだ結局、ダメな人間はダメなままじゃないか。
病気なんか抱えて、これからどうしたら?

もうこの人生に別れを告げたい、明日を迎えるのが怖い。そんな気持ちに襲われるようになっていった。

しかし、ある日気づいた。

私は裕福な家庭に育ち、沢山の愛ある人たちに出会い、幸せとはなにかを教えてくれる家族もいて、これ以上無い程に周りの人たちに恵まれている。
私は、私のことばかりこだわって気になって、そのことに感謝できていなかった。

前回のnoteで、自分に焦点を当てて「努力する才能」について書いたが、私がみんなと同じようにできるようになり、また自分になにかができると信じるまでになれた背景には、家族や友人や恋人、周りの人たちの存在があった。

私のことを考える時間を、周りの人たちへの感謝をする時間に変えたら、世界が突然明るくなった。

ああ、私はなんと馬鹿だったのだろう。
こんなに幸せなのに、自分の不幸せを恨むなんてお門違いだ。

私は病気の恩恵?というとなんか違うが、兎に角、病気になったお陰で、人は一人では生きられないこと、自分を支えてくれる周りの人たちがいることを肌で感じることができた。
怪しい宗教じゃないけど、感謝は健康にいい、魂を救う、とまで思う。

大丈夫じゃなくても大丈夫。
大丈夫じゃなくても、周りの人たちが支えてくれるから、大丈夫です。

みなさんいつも支えてくれてありがとう♡

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