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Lost, Re:Lost & Seek ファミコンジェネレーション

ファミコン初代コントローラー 最初はゴム製■だったABボタン
後に〇形の押しやすい樹脂製に変わった

ファミコンネイティブ

 80年代ファミコンが発売されると空前のTVゲームブームが到来した。ファミコンネイティブ世代の私も当然ながら「乗るしかない このビッグウェーブに」ってことで、なんとか親にファミコンを買ってもらってハマっていく。
 ただし、ファミコンブームが過熱すればするほど世間的にはどんどん“ファミコン=悪”と認知されるようになるわけだ。
 学校では詰め込み教育の全盛期みたいな時代で、ゲームのような非生産的なことは害悪であり、そんなものに夢中になってるのは“悪い子”とみなされていた。
 ただ、こんな面白いものがやめられるわけもなく、どんどんハマってく。当時、キャプテン翼からの流れでサッカーが好きで、もちろんでも遊ぶわけだけど、やっぱり友達の家でみんなでファミコンでゲームしている時間は至福の時だったよね。当時はまだ、今みたいにお受験もメジャーじゃなかったしにいったりもしてたけど、週に1,2回程度で、放課後の時間は持て余していたくらいだったから、とにかく色んなゲームを友達とシェアしてやりまくった。クソゲーも沢山あった。
 その熱は中学に入っても冷めなかったし、相変わらずみんなで集まってスーファミで「F-ZERO」やガイのいない「ファイナルファイト」をやったよね。※アーケード(ゲーセン)の移植作で容量不足の為キャラが1人削られてた。

ゴリ推しレースへの参加

 さて、それから90年代高校生になっているわけだけれども、私の中のゲーム熱メガドライブに向かっていくなど、その熱は冷めるどころか守備範囲を広げていくわけだけど、周りはそうじゃなくなっていった
 みんなゲームをしなくなっていく。全くやらないわけじゃないけど、もうその熱は冷え切ってしまっていて、話題もだんだんとゲーム以外のことがほとんどを占めるようになっていく。
 “大人になった”と言えば簡単に説明がつくかのように思うけれど、ゲーム離れの原因って本当はいったい何だろう? って考えた時に一つの大きなファクターとして“大人から半ば強制的に勧められたレース”へ参加し始めたからだ。
 それは、「このレースで勝てれば幸せになれるから」という、受験優良企業就職へのラットレースだ。

今と比べると地獄のように過酷だった受験戦争

そして迎合と抵抗

 団塊Jr.世代の我々は第二次ベビーブームというかなりの人口ボリュームゾーンだ。当然、激しい競争が生まれる。今とは比べ物にならないほどの受験戦争を勝ち抜かなくてはいけないのだ。
 大人たちは言う。「このレースに勝て」。そうすれば幸せが待っていると。大人たちはそう信じて疑わなかった。団塊世代が社会の中で実感した学歴優位性が社会の中でさらに加速していたことは事実だし、いつしか我々も「そうかもしれない。いつまでもゲームばかりやっていてはダメだな…」と思うようになった。
 と、同時に「本当にこれが正しいのか?」「自分の好きなことをやめてまでやらなくちゃいけないことなのか?」という葛藤も抱えていたのだ。
 もちろん、どっぷりレースへの出走準備に邁進する者がほとんどだった。が、私はそこで小さな抵抗を試みてしまう。とある大学への推薦が決まっていたのだが、絵をやりたいと蹴ってしまうという人生最初のアクロバットムーブをしてしまう、というのはまた別のお話。
 とはいえ、大学受験という競争としてはさらなる厳しい戦場に身を置き、みごと浪人する。

約束された嘘

 そんなこんなで、海外留学もしたりしつつ、浪人分の年数も上乗せされたおかげで、いざ新卒枠での就職のタイミングは就職氷河期中でもワースト1, 2に入るほど就職難の時代だった。
 当然、就職先はなかった。ダミー求人だらけの中、50以上書きまくった履歴書は虚しく空を切るだけだった。
 「おい、レースに勝てば幸せになれる? そんなん嘘じゃねぇか…
 絶望である。せっかく自分のやりたいことを奪われて(とはいえ、私は自分のやりたいことをやらせてもらったが)まで、邁進したその先に明るい未来なんてなかったのだ。これは何も私だけではなくて、同じ世代の多くの人間が味わった辛苦だ。運よく就職できた連中も、当時のコンプライアンスゆるゆる劣悪環境で身も心もズタズタのやつもいた。さて、そんな中どうにかこうにか私も長時間(日付を2, 3日またいで)拘束される職場に就職することができたものの、そこに待ってたのは約束された“幸せ”とはほど遠いものだった。

特別な自分を探して

 長続きはしなかった。ただでさえ反抗心が強めだった私は、そんな環境に馴染めず体調を崩し、みごと“フリーター”という当時なぜかマスコミが持てはやしたポジションへと身を置くことになる。
 大人から約束されたものはだったと分かり、その流れに乗ったまま“過酷な平凡”で甘んじていることはできなかった。私は生き残るために、自分は特別な存在にならなくてはいけないと思うようになった。才能があるはずだと。それを探す(精神的な)旅に出るようになった。
 しかし、今思えばそこには “歪んだ自意識” と“相対的価値に縛られた美意識”があっただけだった。とにかく、自分視点からはつまらない人生に甘んじている奴らのような “平凡組” に入りたくないし、俺は違うんだという強い意志の元、流行や常識から外したカルチャー・ファッションに身を置き“俺たちは違う感”を出すことに躍起になっていた。
 下北沢中目黒の古着屋の店員と仲良くなるくらい、足繁く千葉県から通い、尖ったファッション音楽映画をたしなむ。音楽はディスクユニオンでレコードをディグり、映画は単館アート系ばかり見に行き、ディスコシャツベルボトムロンドンブーツ70'sを気取っていた。趣味はフォトグラフィ一眼レフを構えて所かまわずアートを探すのだ。
 さて、皆お気づきだろう。こんなことをしても何の意味もないのだということ。これら一連の愚行形式としての個性であって、個人の本質的な “特別性” とは一切関係ないからだ。おおざっぱに括ってしまえば、ただの “ルッキズム” の延長線上での自己満足であり、それこそ “平凡さ” の権化とも言える行為である。さすがに若者はこのことに途中で気がついてしまうのだ。

平凡は悪いことじゃない

 幸か不幸か、自分の “凡庸さ” に気が付いてしまった若者である私は、その後凄まじい苦悩のおかげで、自ら招いたブランクの中で、あれだけ憎悪していた “平凡” を手に入れた。
 そこで、やっと自分自身が大人になった、という自覚を得た。自意識というものはあった方がいいけれど、同時に苦悩が待っている。ただし、その苦悩の末に手に入れた “平凡” と、大人に乗せられた車でレースし一度も降りないまま辿り着いた “平凡” とは少し意味が違うかな、とは思う。
 その中で手に入れたものは、“特別じゃない自分” を受け入れられたこと、“平凡” の中にあるものは決して “平坦で画一的” なものでないことに気が付いたこと。
 “特別” と “平凡” に明確な境界があるわけではなく、個々人それぞれの世界は様々で、初めから一人一人が “特別” であり、いかに常識にとらわれず思考し行動できるか、そのことに気づくことができれば “幸せ” を手にすることは十分できるのだ。

ゲーミングライフは楽しいことがいっぱい!

 そして、オジサンになった今、再びゲームに夢中になっている。
 ゲーミングPCを組んで、YouTubeで動画を公開したり、若い人一緒にゲームをしたり、とても充実したゲームライフを送っている。
 子どものころに感じたワクワク感とは違うけれども、大人になった今だからこそ味わえる楽しさを満喫している。
 きっと世間では “いい歳してゲームに夢中になっちゃって” と冷たい視線を向けられていることとは思うが、そういう視線から自由になって、その時やりたいことをやる、誰にも邪魔されない目標に近づきたい気持ち、そういったことが私の今の “幸せ” をきちんと形作っていることを実感しているのだ。

(終)

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