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鎌倉時代 食の再現

既に鎌倉時代にはこんなに豊かな「食の世界があった」とは・・・。

源頼朝が作った鎌倉武家集団の台頭を境に、武家が尊ぶ質素倹約・質実剛健の気風は、それまでの公家中心のきらびやかな気風から一変し、現代の日本らしさの基礎を形づくりました。

鎌倉幕府は源氏  三代の後、北条氏が執権として政治を担う頃には、新しい潮流として禅宗が日本にも大きく影響をもたらし、既に日本語として定着している、玄関・暖簾・欄間等の言葉を始め、多くの文明・文化が現在の中国より入ってきました 。

料理においては、慶事の折々に今の晴の日の宴会に当たる 椀飯(おうばん)が開催され、後の「大盤振舞おうばんぶるまい」の語源とされています。

鎌倉の発掘調査から大量に出土するかわらけ(土器)からも、濁り酒を武士達が飲んでいた様子が浮かび上がります。

鎌倉武家祝い膳


吾妻鏡を永年研究された三浦勝男先生の監修により鉢の木が再現した「鎌倉武家祝い膳」は、食の世界から中世を見直してみる入口になるのではないでしょうか。
公家文化への憧れは持ちつつも、京都・奈良の文化とは一線を画す
東国武家達の自由闊達で新たな息吹を感じさせてくれます。

当時関西では、肉食を戒め菜食を中心とした食文化が中心だったようですが、坂東武者達は肉・魚介類を始め多種の食物を食べていたようです。又当時貴重であった甘い物は、蜂蜜を筆頭に、現在でも広く漢方薬として親しまれている(甘茶つる)等で当時から楽しまれていたようです。 

更に酒は早乙女により、口の中でかみ砕かれた飯を発酵させて作られた「どぶろく」等で、酒器は素焼きの杯を使用した事が遺跡の発掘や絵図から解っています。

尚、2週間前迄のご予約にて、説明付きでのご提供を、予定しております。   
詳しい武家祝い膳の献立はこちらからもご覧頂けます。

鎌倉殿と言われた当時の為政者達の姿は、2022年の大河ドラマにお任せして参りたいと思います。


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