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備忘録(読書感想文『ありがとね、ありがとね、ありがとね』②)


《前置き》

カウントした話し言葉を、さらに3種類に分類しました。

①と同じ写真だけど。『ざわめく桜』の表

「人」は歌人本人以外の人。
「歌人」は本人。
「会話」は歌人と第二者の会話、第三者と第三者の会話。両方。

実際にその場で声に出しているか出していないかを基準としました。従って、過去回想と私が判断した場合や、動物を擬人化して心で話しかけているなどの場合「話し言葉以外」に分類しています(正直、徹底は出来ていないと思います。感情移入しすぎて、カウント間違いしてると思う)。
また、歌の解釈によっては、歌人本人の話し言葉なのか、本人以外の話し言葉なのかどちらとも読める場合があり、その時は、機械的に「人」の言葉として分類しました。

よって数値化はしましたけど、信頼性はありません。
明日の私が読めば、微弱ながらもまた違う明日の数値になるようなものですから。
なので、具体的な数値は公表しません。
が、傾向は、お伝えしておきます。
(なお、『ざわめく桜』は【「」量】0なので、【「」質】も0です)

当たり前と言えば当たり前ですが、歌人さん本人の話し言葉「」は、あまりありませんでした。また、会話「」(つまり一首内に「」がふたつある)の歌もあまりありませんでした。(※『母が降る』はどちらとも0。『嫁』は会話のみ0。それ以外の歌集は、どれも一首以上あります)。

『話し言葉(人)』の歌は、すべての歌集において、数えた限りでは四首以上は、見受けられました

四首以上は多いと思いますが、これは、『ありがとね…』に合わせて、母子・家族関係がよく歌われているであろうと予測し、稲田が意図して選んだ歌集群(※稲田の自家版と『ざわめく桜』は除く)であるための偏りとも考えられます。

では、『話し言葉(人)』と『話し言葉以外』ではどちらの方が多い傾向にあったのか

八冊中五冊『話し言葉(人)』の方が多い傾向にありました(稲田の自家版と『ウフフ』(須賀氏)は『話し言葉以外』の方が多かったです)。

数としては大きな差はなく、解釈によって分類が揺らぐところなので、深く掘り下げることはしません。

数えなくても、分かるようなことばかりですが、個人的には、数えて納得。スッキリ。

【「」質】について

1.【「」量】の少ない歌集の【「」質】

まず【「」量】の少ない歌集は、どのような【「」質】を使っているのか見てみます。

・「すまんなぁ」
・「結婚するよ」
・「それはまだ
 食べていけるからよ」

これらは、【「」量】が一番少なかった三好叙子氏の『母が降る』(市井社・絶版)の三首分の【「」質】。
【「」質】そのものは、5W1Hはどうであれ、そんなに珍しくない言い回しではないかと思われます。

ですが、ありふれた言葉でも、歌人の想いの切り取り方で、歌のキモになります。

お尻の始末を
しなくなった
父は
「すまんなあ」

ぽつり   (鬼でもくるのか)

「結婚するよ」
息子の横に
ふわりと一人の女性
アラジンの魔法のランプから
あらわれたように    (高台のレストラン)

「それはまだ
食べていけるからよ」
たった一人
奮闘している友に
励まされている     (真のひびき)

では、子どもの話し言葉を多用している、ひまわり氏の歌はどうでしょうか。

2.子どもたちの【「」質】だけが面白いのか?

小さい子供と接している時の歌が多いほど、【「」量】が多い傾向にあることは、前述しました

それは、テンプレートな会話に慣れ切った大人からすれば、独特な言い回しに詩的なものを感じるからです。

子どもの真っ直ぐな感情がガッツリ乗っている話し言葉を、そのまま歌に込めたいと思うからです。

だから私は最初【「」質】を見つめようと考えた時、ひまわり氏の歌は何といっても、拾い上げた子どもたちの言葉そのものが、面白いのがポイントなんだろう、と考えていました。

子どもたちの言葉を拾い上げること自体が、ひまわり氏の表現力そのものなんだろうと。

でも、読み込んでいくうちに、そればかりではない気がしてきました。

三好氏が何でもない大人の話し言葉を歌に取り入れ、切り取ったように、
【「」質】をさらに活かすような取り入れをし、歌として、切り取るということをひまわり氏もしているのではないか。

【「」質】が面白いだけでは、歌は成立しないのではないか。

ひまわり氏の取り入れ方、切り取り方が、その独自性の高い【「」質】を下支えしているのではないか。

と、思うようになってきました。

3.歌を分解する

ひまわり氏は、学習教室を開いています。
幅広い年齢層の子どもたちに加え、知的なのか発達なのか、成長がゆっくりめの子どもさん達も学習しに来ています。

という訳で、歌を分解してみることにしました。

私が面白いと思った【「」質】のみの部分をここに挙げます(五首分)。

まず、それのみを味わってください。

その後、少し長めに下にスクロールすると本来の歌が現れます(途中、私のチャチャも入ってます)。

子どもたちの【「」質】とそれについて、ひまわり氏が、どう取り入れ、どう切り取ったかを感じてほしいのが、目的です。


「俺、今日、ヒーローになってん
昨日、教えてもうたこと
授業中、みんなに説明したってん!」









……えぇ子やぁ。









「俺、今日、ヒーローになってん
昨日、教えてもうたこと
授業中、みんなに説明したってん!」
私は秘かに
女王気分よ!
(2 おおー、くすぐったい!)









「女王気分」であって「女王様気分」でないところがミソ。











「先生
飴はくれたけど
ムチはいつくれるん?」









ムチの意味、わかってる?











「先生
飴はくれたけど
ムチはいつくれるん?」
毎日
与えてるのに… 
(2 おおー、くすぐったい!)









与えてんのかーい!










「ぼくの宿題
お父さんが
会社に持っていきました!」









間違えて、持っていったんか???










「ぼくの宿題
お父さんが
会社に持っていきました!」
言い訳考える時間に
できるやろ! 
(2 おおー、くすぐったい!)









笑えるけれど、叱るところだったんだ。









「今日から
新しい先生?」










どゆこと?










「今日から
新しい先生?」
久しぶりに
マスクを

外しただけなのに(2 おおー、くすぐったい!)









ちょっとフクザツ……(※コロナ前の歌です)。










「あんなに教えてもらったのに
こんな点数しか取れなくて
ごめんなさい」









ゆっくり成長の子どもさんの悔しさ。









「あんなに教えてもらったのに
こんな点数しか取れなくて
ごめんなさい」
憂いを知っている子は
とても優しい 
(16 花束をあげたい)










点数は点数として。頑張りは頑張りとして。


どうでしたでしょうか。

私は、歌として切り取っているんだけれど、「切り取る」という言葉が冷たく感じるくらい、歌にやっぱり体温を感じてしまいました。

リアクション、と言った方が適切な気さえする。

だからといって、リアクションといっても、彼らに直接声を発して歌のように、言い返したとは、限らない気がしてきました。

「ああ言えばよかった。今思いついてもうた」「こう言えばウケたのに」「あそこはノるんじゃなくて、真面目に注意しなくちゃいけないところだった」などなど、後から思った気持ちを成仏させるため、歌にしたのかもしれません。

あるいは理屈抜きで

「私の生徒は、こんなにいい子ばかりなのよー!」と叫びたくなるような嬉しさに包まれてしまったか。現実には絶対できないけど。

言うに言えない想いが歌になるとするならば。

単に面白い言い回しだと、と思っただけではなく。

子どもの【「」質】が、作歌のトリガーになることは間違いないんでしょうけれど。

ちょっと見落としてたかな、と反省しました。


読後の漠然とした印象を検証してきました。

「関東」「関西」って分けてみたけど、取り上げなかったな。へへへ。

【「」量】は多くても、3割弱。残り7割強は、「」なし。

次回は、「」なしを中心に。

何首にするか、まだ決めてないけど、もう少し丁寧に一首一首の感想をまとめます。





































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