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たそがれエスケープ


二十年ぶりに自転車を買った。川のほとりにオープンした、とても小さな本屋さんに行くために。

目的地までは五キロほど。余裕だと思っていたのに、こぎはじめてすぐ鈴木雅之の「違う、違う、そうじゃない」のフレーズがくりかえし脳内再生された。長い坂を下りはじめるとスピードはぐんぐん加速し、小さな車輪はわずかな段差の衝撃をダイレクトに尻に伝えてくる。乗り心地は昭和のジェットコースターのようだった。秋の気配を感じながら訪ねる予定が、とんだ誤算である。

小さな本屋さんに辿り着くと、思いのほか息があがっていた。基本予約制なので時間に間に合ったのはよかったが、少し早すぎたので息を整えながらすぐそばの土手に行ってみる。スカイツリーが建ったこと以外は、昔と変わらぬ景色のように見えた。通り過ぎたボートの波紋はハの字に広がり、いつかの記憶が目を覚ます。


こどもの頃よく学校をサボっては、日が暮れるまでこの土手で過ごしていた。わたしの頭の中はたくさんの「なんで。どうして」が渦巻き、ひとりで抱えるにはあり余る感情と日々の出来事に、奥歯をすり減らしていた。同級生たちがあたりまえのように過ごしている「ふつう」というものが、わたしにはとても遠いものだった。

はやくおとなになりたかった。おとなになれば、このまっくろい世界から抜け出せると思っていた。誰かにわかってほしいという気持ちと、誰にもわかるもんかという気持ちが抱き合っていた。からだの九割が「こんちくしょう」でできていた。

黄色い電車が鉄橋を渡っている。川の流れ、変わる雲のかたち、雨上がりの土の匂い。ほどよくそばに寄ってくるスズメたち。ここだけが、わたしの痛くない場所だった。ランドセルは、枕にしかならなかった。


その小さな本屋さんは、123ビルヂングという建物の最上階にあった。エントランスからのぞき込むと、異次元に吸い込まれそうなほの暗さに、懐かしい緊張感がよみがえった。思わず息をひそめて階段を上っていく。最上階にたどりつくと、目の前がパァっと明るくなった。屋上のドアが解放されていて、光が差し込んでいる。

ひとり入ればちょうどいいその空間は、本屋さんというよりは、近所のお兄さんが「よかったら、飴たべる?」くらいのさり気なさで見せてくれた、秘密基地のような雰囲気だった。特別だけど近すぎない、静かなわくわく感は木漏れ日の中にいるようだった。なにかの映画で見たツリーハウスは、きっとこんな気分にさせてくれるに違いないと、深く息を吸い込んだ。

家には読み終わっていない本たちが積まれたままだし、今日は二冊までと決めていたけれど、私が生まれた年の 「ガロ」 を見つけてしまったから、つまらない決めごとは江戸川に放り投げることにして、本選びを楽しむことにした。

いつも書店では店内をうろうろ歩き回ったりするけれど、この小さな本屋さんでは、自分のからだを回転させるか立つかしゃがむかしかできない。次の壁にからだを向けると、木の板に書かれた言葉がわたしの心を射抜いた。


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「大丈夫」と自分で言うときは、どこか無理してることが多い。
だけど、誰かから「だいじょうぶ」と言われると、大丈夫な気がしてくるから不思議だ。


土手がわたしの教室だった頃にこの本屋さんがあったら、なにか変わっていただろうか。当時のわたしは見つけても中には入らず、あの薄暗い階段の途中を、上ったり下りたりと繰り返したかもしれないし、『だいじょうぶそう』と安心して上りきったかもしれない。

本と戯れた秘密基地を出て、そんなことを考えながら家とは反対の方向に自転車を走らせる。息を切らしながら、尻の痛みに耐えながら、風の気持ちよさに背中を押されて河口まで来てしまった。ハゼ釣りのおじいさんたちが今日の釣果を報告しあっている。どうやらダメだったらしいけど、ふたりとも穏やかに微笑んでいる。わたしは芝生に腰をおろした。

空と海の境目がぼんやりしている。海と川の境目も、きっとぼんやりしている。こどものわたしもおとなのわたしもそうだ。あいかわらず自問自答をくりかえし、もっとおとなになりたいと日々思う。だけれども、あの土手、あそこだけだったわたしが痛くない場所は、あの頃より広がった。残りを、どこまで広げられるだろうか。

あんなに時間と体力があったのに、なぜここまで自転車をこいでこなかったのだろう。とふと思ったけど、もうどうでもいいことだ。今、ここでこうしている。それでいいじゃないか。

帰り道は十キロに増えたらしい。尻をさすって自転車にまたがる。たんぽぽの綿毛が風に揺れている。小さな車輪は勢いよく回り始めた。


◇ ◇ ◇


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公募ガイドを手にしては、ため息つきながら眺めるだけで終わっていた10代。見て見ぬフリの20代と30代。なんにもない40代になったわたしは、再び公募ガイドを眺め、「今度こそやれよ」と言い、参加費を払って添削付きのエッセイ作品集に申し込んだ。なにはともあれ、”カタチにした” という経験はわたしにとって大きかったかも。

(公募ガイド2021年1月号で募集していたエッセイ作品集に提出したものを加筆修正。)




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