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読書飛行

本を読む人の頭の中ってどうなってるんですか?
脱線したり、温泉したり、混線したり、混浴したり、しないのですか?
風はどうですか?空もそうですか?
おしえてください。まっさん!
なんてことをページをめくる手を止めて考えてしまう。
進まない、わたしの読書。

【女房の尻に敷かれて……。】なんて一文が出てくると、
『このあいだブロンコビリーで斜め前の席にいた年配のご夫婦。夫の細やかな気遣いに微笑むどころか鬼の形相feat.舌打ち!に、こっそりお父さんを応援し、荒ぶるお母さんに優しくしてあげてー!と念を送るわたしは、もうハラハラドキドキで食事が喉を通りすぎた。サラダバー最高!』なんてことをページをめくる手を止めて思い出してしまう。
進まない、わたしの読書。

 とにかく雑念が多いというか、集中力が足りないというか、読み方が下手なんだよね。だから読むのがとっても遅いし、半分は別のことを考えてるから、すぐ内容を忘れてしまうし。でもね。
読書は苦手だけど本屋さんは好きだ。平積みされている表紙たちを眺めるのも好きだし、背表紙の色やタイトルを眺めるのも好きだし、ポップを読むのも好きだし、棚と棚のあいだを散歩するのも好きだ。それなのに読書が苦手。というより大嫌いだった。こどもの頃は。


 わたしの通っていた小学校では、読書と読書感想文を書かせることに熱心であった。どれだけの本を読んだかを可視化するためのカードのようなものがあって、1冊読むごとにシールが貼られ、ゴールを目指すというものだった。ゴールまでいったい何冊読むのか、ゴールしたことがないから覚えていない。

 そして、これは昭和という時代の一片なのだろう。ゴールまで達成してない人は、読んでいないぶん校庭を走らされた。なんかいっぱい走らされた記憶があるから、やはりほとんど読んでないのだろう。
 読書感想文は苦行だった。たいして読んでないのに何が苦行だよ!って思うかもしれないけど、これが苦しかった。読んでもなにも感じない。感じないから感想が書けない。なので仕方なく『特にありません』とか、『おもしろくなかった』などと書いて提出すると、ほくそ笑んだ先生に殴られる。殴られるのがわかってるのだから、テキトーにそれらしく書いておけばいいのかもしれないけど、そういうのって、なんか嫌って思っちゃうんだから、仕方ない。

 とにかく子供時代に逃げ込んだのは、本ではなく音楽であった。
耳を塞げるからね。

 でね、この、読むべきときに読んでこなかった代償って大きいわー!って、四十代も半ばを過ぎてひっくり返ってる。
そりゃ中学あたりから少しは逃げ方のコツを学んだから、カッコつけて芥川龍之介とか読んだりしたけど、なんせカッコつけてるだけだから、内容なんてほとんど身に入ってないし、わりと最近まで、年に片手でおさまる位にしか読んでいない。

もう、ホント、なにも知らない。むっちむちの無知。

 「だいぶ遅れてのスタートですがいかがなさいましたか!?」
と思わず自分に聞いてしまったけど、速攻で「別に。」と返ってきたので良しとします。

 今さらどうするのよ。なにもかも遅いよ。って思うよ。思うけどそれだとマイナスのままなんだよ。いつプラスになるかしらないよ。ならないかもしれないよ。でもマイナス1000がよ!マイナス100になったらよ!嬉しいんだYO!

さて、『よ』って何回言ったでしょう。

 ぜんぶ自分で選ぶと偏っていきそうだから、好きな作家さんがオススメする本や、友だちが気に入ってる本を読んでいる。自分で選ぶのは一目惚れした時の愉しみにとっておく。そして、あの憎い読書感想文も、なるべく書くようにしている。すごく難しいけど、少なくともあの頃よりは、なにかを感じているのだから。

 いま、読むのが楽しいんだよね。本の中を旅している。知らない世界や知らない言葉とも出会えるし、知らない誰かに助けてもらったりして、なんとかやってる。


 ところで、たくさん本を読む人は、やっぱり頭の中はどうなってるんだろうか。ごちゃごちゃにならないんだろうか。図書館みたくなってるのだろうか。そんなことしなくても、細胞の一部になるのだろうか。


答え:8つ。末広がりだYO♫

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