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誰の人生も「かけがえのない輝き」に満ちている



顔なじみの宅配便のおじさんがしばらく姿を見せなかった時期


買い物に不便な土地に住む私は通販の利用が多く、いつも届けに来てくれる宅配便のドライバーさんとはもうすっかり顔なじみです。

そんな地域の担当ドライバーさんの一人に、他のスタッフよりもだいぶ年齢が高いおじさんがいるのですが……。


「はい、〇〇からのお届け物ですよ~」
「今日の箱はいつもより重いですよ~気を付けてくださいねー」
などと言われるたびに、私の方も

「あああ……すみませんホントいつもどうも~^^;」
「えっ?私こんなの注文したっけ……(←忘れた頃に届くモノもある)」
てな具合で、もはや荷物の受け渡しが完全に日常のあいさつと化してしまっていた我が家でした。

宅配便のおじさん
※写真はイメージです


ある時、そんな宅配便のおじさんの姿をしばらく見かけない期間があったのですが……

それから少し時間が経って、久しぶりに我が家に荷物を届けにきたおじさんは、奥さまが一週間前に他界されたことを、ポツリと告げて帰っていきました。


――そう、誰の身にもいつ訪れるとも知れない、身内との別れ。

年齢を重ねるにつれ、その可能性もどんどん高まってくるとはいえ、私は何だか切ない気持ちでおじさんの車を見送りました。

そして心の中で静かにおじさんと奥様、それからご家族への祈りを捧げました。

誰もが一生懸命に生きている、ただそれだけで正解なのだから


それからも、まだまだおじさんは元気に荷物を運んできてくれます。

「今日は39度になるそうですよーいやー暑いですね~!」
「ほんとにねえもう……熱中症とかには気を付けてくださいね~」
「参っちゃいますよもう、この暑さだとねー」
(※とある夏の日の会話です)

受け取った超ドデカい箱をそのまま床に置き、私は心の中で神妙にお辞儀をしました。

毎日を一生懸命に生きている、善良なる人々……

たとえば道の脇の木陰に、シルバーカーを止めて涼を求めるお年寄りの姿。
そういう方を見かけるたび、私は内心で手を合わせずにはいられなくなります。

もしかしたら、家族には言いたい放題のうるさ方のおばあちゃんかもしれない。
ご近所では、超が付くほど頑固者で有名なおじいちゃんかもしれない。
でも、その人なりに一生懸命に生きてきた時間は、紛れもない現実だから。


おばあちゃんの手


今、たくさんの「気づき」や「生き方」に関する情報が巷にあふれています。
ネット上でも、「自分らしく輝く」「自己の強み発見」等の言葉を見かけない日はありません。

でも、生きることにただただ必死で、自分のソウルプラン(魂の人生計画)なんてことを考えている余裕すらない、それだって全然大丈夫なんだと思うのです。

むしろそんなことを考えて生きたお年寄りが、一体何人いるというのでしょうか?

頭でっかちに人生を考えるより、手探りでもしっかりと歩いていけばいい


生きることに意味を見出せず、うまく生きられないと言っては嘆き、落胆する私たち。それでも肉体を持っている以上、途中で人生をリタイアすることは出来ません。

どんなにつらくても、傷付いていても生き抜かなければいけない……。
誰でも挫折を味わったり、生きることが苦しくなったりする時があるでしょう。

私たちの人生のゴールは、意識しようとしまいと、時期がくれば必ず辿り着くようになっています。
何よりも大切なのは、それを知ることではなく「自分で決めてきたミッションをやり切る」こと。

もちろん、そのための指針が必要であれば、占いやスピリチュアルなどにそれを求めるのもアリだと思います。
けれども、手探りでも行き詰まっても、とにかく起き上がることの方がずっと大切だと思うのです。



そしていつか、自分で設定してきたその課題を成し終えたとき、きっと素晴らしいごほうびが待っているはずだと思うのです。
しかもさんざん苦しんできた、そのミッションの中にこそ姿を現すはず……。

有名になどならなくても、事業で名を成し大成功を収めなくても、
誰かの心の中にずっと自分の存在が残り続ける、そっちの方がずっとずっと幸せなこと。

誰の人生にも、必ず「輝きの種」は潜んでいます。
それはもしかしたら、日常の一コマ一コマに溢れている愛なのかもしれない……

そんなことを思いつつ、日々の出来事を大切に味わいながら、私はこうして毎日を生きています。


(この投稿は別ブログの過去記事を転記したものです)

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