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《離島の生活》働く事と私生活を混ぜ合わせる事が目標

こんにちは!2022年に千葉から、八丈島に家族で移住した「わたる」です。
今回は千葉県千葉市で生まれ育ち、普通のサラリーマン生活を送っていた私が、、、移住をするに至った心理面の変化を書いていきたいと思います!

今回のテーマを考えるようになったのは「はじめまして!」の人とお話しをする中で芽生えた気持ちがきっかけでした!

はじめましての人に会うと「なぜ八丈島に移住をしたのですか?」という問いをいただく為、移住先の土地として八丈島を選択した理由をお話ししているのですが、その時にいつも「回答としてズレてないんだけど、なんか説明しきれてないんだよなぁ」と思いながら話していました。※話している内容は主に以下の内容

なぜなら「なぜ移住をしたのか?/移住を考えるようになったのか?」という背景からお伝えしたほうが、聞いていただいた方にも納得・理解できるはずなんですが、話が長くなることと、捉え方によっては、言葉遊びのような内容であるため私自身説明が気恥ずかしくあったのでこれまであまり話をしてきませんでした。

しかし、今年に入りこれまで以上に「はじめましての方」とお話しする機会があり、上記の経緯で毎回ウソの説明をしているような気分を味わう事になり、このnoteでまとめてみようという気持ちになりました!

移住前の生活は「普通の会社員」でした。

移住する前はフルリモートの会社ではありましたが、平日は仕事中心の生活。土日や休暇は、平日ではできない旅行や遊びをするような、いわゆる普通の会社員としての生活をしていました。

周りを見渡しても、皆同じような働き方をしているので、当時の私はそれが当たり前だと思っていました。

過去を振り返っても
社会人なりたての20代の頃の私は「早く1人前になりたくて」
30代になってからも「出世して給与を多く貰う事が人生の正解」と平日遅くまで働くことも、時には休日に働くことも当たり前だと思っていました。

思い返すとこのような考え方や価値観は父や祖父の影響が大きく、自身の本当の欲求や要望でない事はなんとなく気づいていたのですが、道を外れることや、自分の気持ちを省りみることが怖く意識的・無意識的に目を向けないようにしていました。

結局会社員としては、大成することも突き抜ける事もなく、自身の適性や能力に絶望をする瞬間が有り、移住後に会社員を辞めることになりましたがそれは少し先の話。

コロナ禍の最中に、20年分の利子を支払うタイミングが訪れました!

自身の生き方やワークキャリアについて考え直すきっかけとなったのは、
以前noteでも書いた、コロナ禍中に色々なことが重なり1ヵ月ほど有給休暇をとった時でした。※その時の状況は以下にて記載

前編はこちら

当時勤めていた会社はベンチャーでしたが、いつかIPOをという気持ちで働いていた中で、緊張の糸が切れた私が休暇中に考えた事は、

「なぜ自分はこんな思いをして、仕事をしているんだろう?」

という問いでした。これは今思うと、「自分は頑張っているのに!なぜだ?」というだいぶ視野狭窄で独りよがりな気持ちが支配している中で出てきた問いでしたが、おおもとを辿ると、学生時代から20年自分の気持ちに蓋をし虚勢を張り続けたツケを「もうそろそろ無理だよ(苦笑)」と、20年分の利子も加えて清算を要求された瞬間だと感じています。

そしてこの問いを考えた際に出てきた感情は

「なぜ、生きるために働いている(≒お金を手に入れる)のに、働くために生きているんだろう。いつの間にか主従が逆転してる・・・」

「わたしの人生を取り返そう!!」

という想いでした。まぁ、上記も今思い返すと恥ずかしく感じますが当時は、この気持ちに気づいたことを心から喜び、妻にも得意げに話していました!!

正しい主従関係、人生を取り返すとは??具体的にはどんなことなんだろう・・・?

概念的なところで思考を進められるほど、私は頭が良くないので、具体的なモノごとで考えることにした結果、以下のような3つの問いを考えていました。

①人生において「MUST(絶対に必要なもの/経験)」だけでもそれなりにお金がかかるのに「WANT(あった方がいい/もしもの時のための)」まで網羅しようとするとお金が際限なく必要になる。
②極(きわ)に振り、人生を「衣・食・住」のみのシンプルにした際に、なぜわたしはこれまですべて消費者の立場でしか考えなかったのだろう?すべて生産者の立場にもなれるのに。
③そういえばなぜ、7日のうち2日しか自由な時間が無いのだろう?

考えを進めるとそれぞれは以下のように考えるようになっていました。

①報酬に関して まずそれまでの私の考えとしては「お金はあればあるほど、いいのだから、収入を増やすことが大切である」という考えが強かったため、それが高じて、例えば「子どもが全員私立に行ったら・・・」「これからの時代留学を・・・」等と考えるようになり、いつの間にか際限なくお金が必要な呪いを自身にかけていました。

しかし多額の報酬を得るには当然それ相応の能力が必要ですし、基本的に報酬の多寡とストレスの大小は相関関係にあるので、分不相応な報酬を得ようとすると、自身では抱えられないほどのストレスに日々さらされることに気づいていませんでした。
⇒つまりわたしにはその能力もストレス耐性も、そしてその覚悟も無いことに気づいてなかったのです。

②生産者/消費者に関して 例えば、家をイチからすべて作る事は無理でも、修繕や資格不要の工事などは自分で行えばいいし、野菜は作り、魚は釣り、肉は飼育すればよく、その分必要な生活費は下がる。この考えをもとに考えると、下げられた生活費分の現金収入は不要となり、空いた時間で上記のDIY等を自身やれる範囲でやりたい分だけやればいいんだな。。。と考えるようになりました。

③平日と休暇に関して 余暇に合わせて毎回旅行計画を立てても、6人家族の我が家はそこそこ大きい金額と制約の中で動かざるを得ないため、難儀をしていました。その負担をある程度、軽減するためにキャンピングカーを購入したりしてましたが、平日は働き土日に遊ぶという枠組みの中の最善策には変わりなく、もう少し抜本的に変えたいという気持ちが強く出てきました。※キャンピングカーは本当に素晴らしいツールでした

①~③の解決策として考えたのが、地方移住という手段だったのです。

当然実際の生活は上記のようなシンプルなロジックで片付くようなものではないのですが、前提の考え方を再構築していた私にとっては、①~③を考え直したことはすごく意味があり、

・消費のみの生活から自身も生産者になる事
・遊びに行っていた場所で生活することで、労働と私生活の境界線がもう少しあいまいな状態にする事

この二つを得られる場所探しをした結果が、八丈島だったのです!!長くなりましたので、最後に途中経過を。

移住から3年目の今は以下のような変化が起きています。

(A)ワークキャリア
会社員を辞め、フリーランスとして働いています。労働時間はそこまで減っていませんが、ご契約をいただく事も契約終了となる事もすべて自身の責任の結果として還ってくるので、非常にシンプルな気持ちで働くことができています。

(B)生産者として
自分たちで食べるための野菜を少しずつ増やしています。生姜やジャガイモなど少しずつスーパーで買わない種類が増えていっています。
また妻と協力をして壁のペンキ塗りや排水管のメンテナンス、雨漏りの修繕など。自分達でできる事は自分達でやるようにしています。

(C)子ども達のひとりの友人として
昨年はずっとやりたかった、息子二人との1ヵ月インド旅行に行きました!少しずつ次の旅行も計画をしています。

(D)地域住民として
移住前は住む地域の為に何かをしたいという気持ちは微塵も無かったのですが、移住後地域の方から有形無形のいろんなものを与えられ/助けていただいた結果、今は空いた時間を活用し消防団やPTA、非営利団体のスタッフ活動など可能なかぎり参加をするようになりました。

まだ、理想としているキャリアを実現したとは考えていませんが、少しずつ踏みしめているという感覚はあります。

いかがでしたか?私の心情の話なので、あまり共感はしづらいかもしれませんが、何か考えるきっかけになれば幸いです。

■別のシリーズ【息子ふたりと1ヶ月インド旅行に行った話】

移住を考えた時、移住先の情報収集や移住先の家・仕事についてなど移住先選定に向けての行動や情報に着目しがちですが、わたしが移住活動を行う中で一番大事だと分かったのは、「自分の気持ちを整理し、自身の欲求に素直になること/気付くこと」さらに「家族や親せき、職場など第三者に気持ちを知ってもらい、理解が必要な場合はそのコミュニケーション設計をどうするかということ」でした。
上記のことに悩まれている方はぜひ、私といちどお話ししませんか。
ご興味ある方は以下をご確認ください。




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