見出し画像

郷土料理についての気づき・はちどり屋

はちどり屋のコイデです!
先日は知人宅にて、自然薯を嗜む会なるものが行われ、それにお呼ばれして行ってまいりました。(毎年この時期に、静岡・掛川からたくさんの自然薯(無農薬)を持ってきてくれる方がいらっしゃって、その自然薯を囲むホームパーティーです)
今日はそんな中で感じたことを書いていきたいと思います。これから検証していく仮説のような話題。

自然薯を思い浮かべた時に、みなさんはどういう食べ方をしますか?
すり下ろして食べるというのが一般的かとは思いますが、
今回の自然薯の会では、ちょっと特殊な食べ方をしました。
食べ方といっても、地元の方的に定まった名称はないようです。
でも地元の人の多くはやってるのだとか。
「自然薯のアレ」みたいな感じで、みんな名前をつけるまでもなく当たり前ということなのかもしれません。

簡単に今回の料理を書くと、
A:自然薯をすり下ろしたもの
B:サバ缶をすりつぶしながらつくった味噌汁(サバ缶+味噌)
C:マグロのお刺身等
完成形:(A)+(B)[もちろんただ混ぜるだけでなくコツがいくつかある]+(C)
という感じ。

これが自然薯だ!
主役をこんな感じで仕込みます。
実際には座ってしっかり力を入れてスリコギで自然薯をすったり混ぜたりします。
お茶碗に少なめのご飯を盛り、自然薯をかけていただきます!
まぐろとの相性、なぜこんなに良いのかしら〜

静岡の方から作り方のポイントなど直々に教わりながら、今回の食べ方を学ばせていただきました。
食べ方の細かい話はまた別の機会に発信したいと思いますが、
今回は支度から食べるまでを通して感じた気づきがいくつかあったので書き留めておきたいと思います。
メモ的位置付けが強いため以下より文体が変わります。乱文失礼します。

気づき①
郷土料理の本質とは「地元の方が経験的にたどり着いた、地元でとれる食材をより美味しく(かつ、手軽に?)食べることのできる食べ方。『生活の知恵』『ノウハウ』の集合体」なのではないか。
→地元でたくさんとれる食材。そして人間は「美味しいものを食べることによる幸せ」を感じたいものだとすると、地元のものをより一層美味しく食べる食べ方を研究するのが好きな人というのも一定数いると考えられる。そししてそういう人々が研究に研究を重ねて、郷土料理といわれるものの礎ができたのではないか。

気づき②
郷土料理(①に書いたような食べ方)をはじめとするカルチャー・食文化は、誰かが継承しない限りはそのまま立ち消えになる可能性がある。
→さらに:食文化の消滅するリスクは現代とても多いのではないか。
 なぜか→時代変化によるもの。具体的には、
 材料となる特定の品目を栽培しなくなること、食文化の変化(ファーストフードやコンビニ、外食チェーンでの食事。そちらの方が、短期的・手間的に見たら便利だしそうなるのはわかる)、根本的なライフスタイル変化(親や祖父母世代と一緒に暮らすことが減り、核家族化することで日常的な文化継承の発生機会が減る)

これらを踏まえた私の考え
気づき①に書いた、
郷土料理の本質とは「地元の方が経験的にたどり着いた、地元でとれる食材をより美味しく(かつ、手軽に?)食べることのできる食べ方」
これはこの国や、各地域にとっての財産だと思う。
昔の人があれこれ考えたり実践を重ねてたどり着いた方法だから。経験的にそれらにたどり着くまでに、おそらく多くの試行錯誤を経ているから、今から新たな郷土料理をみつけるのは誰か1人がやったとしたらかなりコストと時間がかかると思われる。

財産だと思うからこそ、「継承すべきだ」と考える。
しかしその点に関しての私の考えは以下の通り。
継承するからといって、「保存文化」という位置付けをしてしまうと、生活の当たり前というよりも、「博物館のガラスの向こうの展示品」のようになってしまって、生活の当たり前ではなくなってしまう。郷土料理とは、前述しているように元々は「人々の食生活の当たり前」そのものなのではないか。そしてもっとカジュアルなものであったと思う。だからこそ、文化そのものをただ保存するのではなくて、現代の人々の暮らしの当たり前にあった形を見つけ出して皆が実践している状態をつくれたら良いのではないか。
そして、メリットが少ないとみられたら、それは立ち消えになる瞬間かもしれない。(つくるのにとても時間や手間がかかる上に、それほどした価値のあるほど美味しいわけでもなかったりするなど。また、核となる主材料が地元で確保できなくなるなどの材料入手難易度も立ち消えになる要因の一つなのでは)その他、「人々の暮らしの当たり前」にインストールできない各種の要因があったときにもその文化は消滅していくと考えられる。

郷土料理というものが、暮らしの当たり前に入っている状態をつくれたら、その状態で初めて継承といえるだろう。
そのために、できうることとしては、まずは「そういう料理の存在」を伝えて人々に知ってもらうこと。
そして、ただそれを知ってもらうだけでなく、暮らしの当たり前に取り入れやすいということや、実はその食べ方がとても美味しい等のメリットを当たり前のように知っている状態をつくること。
それを人々の多くが気づいたら、もう当たり前のように各地に各地なりの食材の食べ方、郷土料理が存在している状態になると思う。

==
ざっとこんな感じのことを思いました。

そして、それらを踏まえてはちどり屋では、
今までのようにただ単に食材を紹介したり販売するだけでなくて、「暮らしの当たり前に取り入れるための方法やコツ」を含めての発信というのをできたらより良いなと。
その方法やコツは、まだギリギリ残っていると見られる各地の郷土料理から学んでいけたら良いのかもしれないですね。

そのためには自分自身が各地の郷土料理を知るということと、自分の暮らしでやってみること、そのあたりから初めていくのが良さそう。
そういった新しい視点を獲得すると、また世界が面白くなりますね。

メモ:
ほかにも考えられる郷土料理のメリット
・実はとてもエコなことなのでは。(地元のものを使うからその料理を作るために必要な物流が減る等の観点から)
・コスパも良いことなのでは。地元で取れるものを組み合わせて、とことん美味しいという美味しさを味わえるから。
・各地域ごとに異なるからこその、観光的コンテンツ(すでに多くの自治体がその視点を持っているとは思うが)
・観光的コンテンツとしての意味は国内だけでなく、海外に対しても。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?