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これも広告代理店?

今から約20数年前、内幸町にあった広告代理店へ就職しました。
学生時代、夜の学校(二部)に通っていた僕は昼はバイトに明け暮れ、
大学は友達と会いにいくために毎日通っていた感じでした。

そんな僕だから将来のことも何も考えていなかったことを思い出します。
「楽しそうならいい」「華やかそうならいい」「カッコよさそうならいい」
自分のやりたいことが何なのか向き合うこともせず、いいかげんな動機で就職活動をしていた、何となく毎日を生きている学生でした。

「就職できなければ海外でもいってみようかな?」なんて思っていたところ、当時のバイト先の社員の方の紹介で広告代理店の入社試験を受けることに。

業界ではそこそこの売上高、クライアントも有名自動車メーカーや旅行代理店、飲料メーカーなどなど。誰もが聞いたことがあるCMも手掛けたことがある会社でした。

期待で夢膨らみ面接に臨みましたが、話を聞くと「何か違う?」ということに気が付きました。
なんと、その年から子会社化した会社の入社試験とのこと。社員数は3名。クライアントはほぼ大学。華やかなCMやファッション誌の広告、大規模イベントなどとは縁遠い会社でした。

当時は広告代理店の仕事内容をほとんど理解していなかった僕。とりあえず内定がでたのでそのまま就職しました。

大学がクライアント?

大学進学を希望する全国の高校生に向け、全国各地に大学のスタッフが出張し進学に関する個別相談に応じる「進学相談会」。そのイベント企画・運営をメインとし、イベント告知や入試関連の広告(当時は新聞広告や進学雑誌が主な媒体でたまにTVやラジオのスポットCM)などを扱っている広告代理店が僕が入社した会社でした。

大学パンフレットやポスターなどの制作物なら、まだクリエイティブさを少しは感じますが、主力は新聞広告。しかも、新聞一面を飾る全15段広告ではなく、突き出しと呼ばれる小さな広告や名刺サイズくらいの枠がたくさん集まった連合広告と呼ばれるものばかり扱っていました。

イベント事業もとても地味。全国各地のホテルやホールを借りて机をならべて大学名のプラカードを設置。各大学のパンフレットが置かれたコーナーを設ける程度で華やかなイベント感はほとんどありませんでした。

今でこそ大学は高校生を呼ぶオープンキャンパスやオンラインイベントが中心ですが、当時はこの地味な進学相談会にもたくさんの高校生が集まってきていました。

何でも始まりは東北・上越新幹線が開通する前から。風呂敷に大学パンフレットを包み、特急列車に積んで現地まで運んだと、僕の会社の社長は自慢げに話していました。

「これも広告代理店なんだ」

そんなことを想っていた記憶がよみがえります。同じフロアには大手自動車メーカーの広告を扱う制作局やテレビ・ラジオなどの媒体局があったので、そこは僕がイメージしていた広告代理店そのまま。僕のいたところ(正式には本社に同居していた子会社)だけ、地味で浮いた雰囲気が漂っていました。

意外といいかも。

僕が入社しても4名しかいない会社。そのうち2名は社長と本社を退職後、嘱託としてきていたおじさん社員。

そんな若々しさゼロの会社なのに、地味とはいえ、北は東北4県、新潟、名古屋、大阪、首都圏と年間約20会場のイベントを主力にするという無謀な事業内容は当時クライアントからも「よくその人数でできるね?不思議。」と言われていたほどでした。

大学への広告営業は関東全域。イベント告知では首都圏だけなく東北から甲信越、中京圏や関西圏、時として九州の高校へも訪問していました。そしてイベント運営本番。空いているときは、都内にある倉庫で各大学のパンフレット整理や在庫確認などなど、目まぐるしい毎日を送っていました。

そんな僕が広告という仕事の魅力を初めに感じたのは確か入社して半年くらいたったときでした。

10歳くらい上(当時30代前半だったかな?)の先輩社員から「〇〇大学から突き出しの出稿を頼まれたから案を考えてくれない?」と言われたことです。

デザインなんて言葉とは縁遠いこの会社。Macでなく、写植と呼ばれている技術を持っている職人さんに新聞広告の版下はお願いしていました。そして案を考えるといっても絵心もない僕。どうしたらいいのか初めは茫然としていました。

そこで僕がやったのは、「切り貼り」。その大学のパンフレットから象徴的な校舎を縮小コピーして貼り付け、周りに文字もレイアウト。制作時間は1時間くらいだったか?こんな素人感満載の案でいいのかな?と思っていました。

でもクライアントの担当の方からOKをもらい突き出し広告として掲載されました。

掲載当日の喜びは今もおぼえています。誰が作ったか分からない広告が誰か分からない人たちの目に触れる。その感覚が僕の性格にはすごく心地いいものでした。

誰かの目に触れる経験をしたら、今度は誰かの目に触れたら、心にも届くようにしたい。そんな気持ちが少しだけ芽生えたで機会でした。

こんな「広告代理店」も以外といいかも。そんな感じで駆け抜けた6年間でした。


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