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⚪︎日後に回復するうつ病患者

自分が心が弱いなんて思ってなかったー

小さい頃から物事はハッキリ言えるタイプで、なにかとリーダーをすることが多かった。いじめられたことはあるけれど、守られるより守るタイプだったと思う。

2006年、12歳の中学1年生の私は「風が強く吹いている」という」作品と出会う。その本には以下の内容が書いてあった。

ハイジ「長距離選手に対する、一番の褒め言葉がなにかわかるか」
カケル「速い、ですか?」
ハイジ「いいや。『強い』だよ」

「風が強く吹いている」

私はこの一文に強烈に掴まれた。憧れた。私もなりたくなった「強い」存在に。
遊んで帰った日は、疲れたと言わない。
できないのは自分の努力不足。
相手は変えられないから私が全部できるようにする。
とにかく「弱い」自分にならないように必死に努めてきた。

そう、母が死んだ日も。その後も。

もちろん泣いたし、ずっと悲しんでいる。だけど忌引き休暇が終われば普通に過ごした。そのほうがいいと思ったし、そうするもんだと思ったから。
だから忘れて、より一層頑張った。

そして断アイドルに挑むわけである。

私は必死になったものの、仲間の信頼を得ることができず叶わなかったのである。悔しかったが心は悲鳴を上げていた。3ヶ月休んだ。でも仕事しないと私が保たれないと思って職場復帰した。

私は運いいことに同じミッションで役割を変えてもらえた。だが、自分は恵まれているんだから頑張らないといけないという使命に追われて、仲間との思いのギャップにジレンマを感じて体調を再び崩すことになった。
でも仕事がしたいと、薬を飲みながら仕事をし続けた。今でも思う、仕事は楽しかった。自分の夢と会社から求められていることを自分なりに結び付けられていた。

ただ、自分の仕事(社会)への思いが強くなれば強くなるほど、周りから孤立していく感じがし、ひたすらにプレッシャーを感じるようになった。
他人とコミュニケーションをとるミーティングの時間以外寝ないと無理な状況まで来ていた。もう無理だった。休職するために診断書を書いてもらった。

休職して悲しかった。自分は強くないんだと責めた。でも1番に感じたことは「ホッとした」だった。自分を自分でずっと苦しめていただんだと思う。
そこから毎日寝た。時間と日付がわからなくなるぐらい寝た。多分1ヶ月から2ヶ月は寝るだけして過ごした。ご飯を3食食べた記憶がない。でも自分の中では2か月で復帰する予定だった。

それが今は7ヶ月目だ。半年以上経ってしまった。
友達とカフェに行く、ダンナとカラオケに行く、ボランティアで行っている小学生バレーボールのコーチもしにいく。
だけどやりたいことがない。意欲がわかない。何もしたくない。

「強さ」とはなんだろうー
私がなりたかった強さってなんなんだろう。

回復期に入っていると思う。だけどだからこそ危うい時期に入ってきた。自分に価値がない、生きる意味がない、ここにいてもしょうがない、当然のように毎日思う。勇気がないから生き続けてる。

今日は初めてデイケア、リワークと言われる自立支援の施設に見学に行ってみた。「プログラム」「訓練」という言葉に脳みそが圧迫された。

生きるの難しい、うつ病を治す、付き合っていくのも難しい。どうかこの経験の先に笑っている未来がありますように、と今日はそう願って寝たいと思う。

まだ完結させない物語。私の「強さ」を探す旅に。いくらでも時間を使おうじゃないか。

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