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社内情報ノック屋さんの私が「公共」についてまとめてみた

私は「地方格差や貧富の差に関係なく『知ることは面白い』を感じてもらい、社会の主体者を増やしたい!」を夢に公共について考えて、企業で働いている社会人6年目です。そのために「情報を知る→自分の興味や好きに気づく→考える→行動する・参加する」という一連の流れを編集や発信、相談によって実現させたいと思っています。

社内では、自分で勉強会のチャットを作成し、人を集め、誰も反応しないようない球場だろうがノックをし続ける情報ノック屋さんと化しています。
基本的には社内の、しかも自分が集めたり、紹介で集まったメンバーへの情報共有なのですが、2ヶ月前に情報ノックした「公共」に関して調べたものがもしかして他の人にも参考になれば…と思ったので公開してみます。

「公共性」とは何か

「Choose大学」というChooseLifeProjectが行っているメディアで
「公共性を問い直す」というテーマの講義があったので、そちらから概要を情報ノック!


ーー概要ーー
■なぜ「公共性」が問われているのか
 インターネットの普及と民主主義の行き詰まりによって再注目されている
→公共性を確保することは民主主義の基礎(出身地や肌の色、性別で不当に排除されないために必要)
⇒公共性の尊重=一人ひとりの尊重
■「公共性」とは
①政治的な意思決定プロセスにおける「公開性」を意味する
・民主主義が独裁、秘密主義にならないために必要
②私たち一人ひとりが社会問題について自由に議論したり、活動するような「公共圏」
・遵守されるモラルもあり、活動に圧力をかけたり、不当に妨害をしてはいけない
・寛容の原則として不寛容な態度・意見には適用されない
(ヘイトスピーチは表現の自由に値しない)
■公共性の尊重=一人ひとりの尊重があることで
・権力の暴走を防ぐ
・個人が社会と結びつくことを保証する(社会的に承認された存在となる)
→尊重されないと「自己肯定感」と「自己効力感」を著しく下げる
(居場所のなさと無力感を植え付ける)
⇒生活水準や貧富の差とは別の社会価値に関わる(ex.香港、ミャンマー)
■新たな「公共圏」としてのインターネット
 ・匿名性やハンドルネーム文化より人々の自由で平等な言論を可能にした
 ・一方で発言者に対するレッテル張りや誹謗中傷によって排除もでてきた
 →対立図式を生み出している

現在「公共圏」におけるモラル崩壊、社会分断(クラスタ化)が起きている
背景:公共性を無駄なコストとみなしている(説明責任が邪魔もの扱い)
   プライベートな会話さえも公共性の審判にさらさせる時代
ーーーー
私はこの講義の中で「公共性の尊重」が「自己肯定感」と「自己効力感」を担保するという部分が気になり、社会へ個人が結びつけば結びつくほど幸福度が上がるのでは?と思いました。

「公共サービスの基本原理」とは?

内田樹さんの『ローカリズム宣言 「成長」から「定常」へ』という本からの情報ノック!
自分は「地域に本当に賑わいって必要なのだろうか?」「地方創生っていうけどなんなんだろうか?」「地方は不幸せなのだろうか」という疑問を持っています。
もちろん財政的に人口減少が続けば行政サービスの維持が難しく厳しい部分があるらしい、という意識はありつつも、個人レベルで考えると、人口が日本で46位の島根県で育って、私は不幸だったのか?にぎわいを求めていたのか?地方を創生したかったのか?と思っていたからです。
この「人口減少」や「地方創生」に関しては今回置いておきますが、「公共サービス」部分に注目して抜粋して紹介したいと思います。
 
ーー抜粋ーー
■公共サービスの基本原理は、遊牧民の「歓待のルール」であるべき
・現在日本でも医療や教育はもう税金では維持できないから「受益者」に負担させろという声がある
・しかし、医療や教育や治安や公衆衛生のようなものは、商品として売り買いするものではない
→共同体が存続するために必須のものだから
→市場に委ねている限り、格差拡大は絶対に止まらない
⇒「それがなければ生きていゆけないもの」は無条件で提供しなければならない
 (死んだら自己責任という危険なルールを採用できない)
■行政が「株式会社」をモデルにするのは変である
・行政は住民に定常的なサービスを持続的に提供するものであって
 「右肩上がり」モデルに準拠して作り直すのは無理がある
■少子高齢化、貧困化する日本社会で、生活の質や自尊感情を維持し愉快に暮らすためには
・相互支援・相互扶助する小規模コミュニティを手作りすることが必要
・市場ニーズがなくなれば消滅してしまう世の中ではなく、非世俗的な場所は
 世代を超え、時系列を超え、継承されていくものによって統合されている
・このような考えが増えたのは「会社」で勤める人が増えて「村落共同体をモデルにした民主主義」じゃなくなったから
ーー
公共サービスを「民間」としてかわりに行う立場として、特に教育は、自分の中で問題意識が強く、揺れる思いがあります。変わらないのは、民間企業の中にも、まちが存続するために必須のものである!という認識を強く持っている人がいるということです!

「サービス」を受ける市民はどうあるべきか

鷲田清一先生の「岐路の前にいる君たちに~鷲田清一 式辞集~」という本より情報ノック!
この本より2007年度大阪大学卒業式の式辞に「市民の責任」に関しての記述がありました。(もう14年も前のものになりますが参考になりました)


ーー概要ーー
■社会は高度消費社会、高度サービス社会と言われており、
 自身が生活するうえで多くのことがらを行政サービスや民間サービスに委託している

→安心して生活を送ることができるようになった一方で、自らの手で行う能力を少しずつ失っていっている
・実際に阪神淡路大震災のとき、雨水を飲み水に変える方法、応急処置の仕方、仮設テントの張り方など身につけていなかった
・地域の揉め事一つも役所に訴えるようになっている
■知らないうちにサービスの受益者、サービスの消費者としての意識が当たり前になっている
 生活に何らかの支障が生じると「サービスの低下」として行政や業者に文句や苦情を言うようになっている
→サービスのシステムを支える一員ではなく、システムの外側にいると勘違いしている
⇒自分を「市民」ではなく、受益者や顧客、消費者だと勘違いしている
⇒高度なサービス社会というのは、皮肉にも、市民をどんどん受け身にしてゆく、
 そして市民としての責任の意識を低下させていくものでもある
■公共の責任をすすんで引き受け、担いうる市民へ
 そのためには自分でコンテクストを作っていくことのできる能力が必要
 └ことがらの道筋をロジカルにつけていくことのできる思考の能力
 └他の市民と意見を交換しながら、当初誰も思い描いていなかったような結果論を見出していく合意形成の能力
 └いざとういときに助けてもらえる、人々のネットワークを普段から作っておく能力
ーー
これは社会に出る学生へ送られた言葉ですが、人口減少が続いていく中、市民力をあげていくには「責任を担う一員となる市民」の存在が大切で、そのような人を長期的な目線で育成(取り戻す)必要があるのかな?と思ったりもしました。

今後に必要な「公共」とは

最後は「わたしたちのウェルビーイングをつくりあうために」より情報ノック!

ーー概要ーー
■「ウェルビーイング」とは「よい状態」という意味で、心身ともに満たされた状態であることを指す
「ウェルビーイング」を考えていく際のカテゴリは
・自分で決めて行動できていると感じられる状態(自律性)
・思いやりや感謝、組織や社会などで良好な人間関係が築けているかなど他者や社会との関わりのなかで感じるもの
・「世界平和」などの特定の関係性を超えた全体的視野で見えたときの世界との関わり
がある
→不特定多数の人が集まるコミュニティや公共の場においてこそ、ウェルビーイングの観点が必要になる 
■公共のウェルビーイングを考えるうえでの3つの要因は「存在論的安心」「公共性」「社会創造ビジョン」
存在論的安心:自身や自分をとりまく環境がたしかに「存在していること」から得られる安心によって生み出されるもの
      (コミュニティの中で自身の存在を確かめられること)
公共性:現代のコミュニティに即したかたちで多様な人々が共存できる公共の場を作り出すこと
    社会に生きる個人一人ひとりがその場でその人として生きていけるような公共空間をつくること
社会創造ビジョン:上記2つの要因を前提に、人々が自ら活動していくこと、
         社会の中で創造的な活動に取り組むことそのもの 
■しかし、コミュニティや居場所と社会創造(中間支援機能など)には断絶がある
活動拠点としての課題解決機能では道具的価値が優先されるが、居場所的な場は安心が尊重されている
→何かを効果的に生み出そうとすると、人間の基本的存在が後回しにされ、
 逆に存在の尊重を優先すると、活動が停滞し、目的が達成されない
⇒ウェルビーイングを軸にすることで「存在」か「機能」かという二項対立から、
 存在を軸にした未来創造という新しい価値の領域が開かれる可能性がある
(地域を新たにデザインしていく拠点でありながら、存在論的安心をその基軸に据えた空間)
※このような場所はまだはっきりと存在していないが、遠くない将来、環境問題と同様に、ウェルビーイングに配慮しない企業や自治体など考えられないという社会が到来する可能性は高い
⇒ウェルビーイングな社会に向けて、テクノロジーとコミュニティをともにアップデートさせていくためのプラットフォームの重要性が今後ますます高まっていく
ーー
本当はウェルビーイングは何ぞや、なぜ今後の時代必要とされているのか見たいな部分も言及したいのですが「公共」をテーマということで超抜粋したのでだいぶはしょったり、解釈しきれていない部分もあるかもしれませんが、ヒントになるかな?と思っています。
 

「公共」を調べてみて再度夢を叫んでみる


ここで私が思ったのは、フェイクニュースが溢れたり、フィルターバブルで情報が遮断されたり、民主主義にあぐらをかいてたりすることでうまれている分断を止めることは社会にとって大事だと思うし、少子高齢化や人口減少が進むなかで、受益者や消費者気分ではなく「責任ある市民」として参加する人を増やしていくことは大切だと思うし、今は1%の人にしか使わなくても、これから50%の人が使う時代が来るかもしれないし、むしろ50%以上の人が使ってくれないといけない時代がくるんじゃないか?ということです。
そういう未来に備えて(想像して)、社会に必要なサービスや施設をつくっていけたらいいなと思っています!

はじめて社外へアウトプットしてみたんだけど…

ネットにあげると言うことはやっぱり超緊張します。いくら調べたことだとはいえ私の解釈が意図せず入ってしまっているわけだし、他の人からしたら違うように映っているかもしれないと思うと、発信することへの責任感を感じます。
しかし、違う人の意見も聞いてみたい。多くの人と一緒に「公共」というか、「わたしたちの住みたい社会」について考えながら生きてみたい。そう思ったので発信してみました。

なにか一緒に勉強してみようよ!というお誘いや、こういう視点はどうなの?というアドバイスがあれば、ぜひよろしくお願いします!!!!

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