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Chapter-1 おかあさんインタビュー「ゲイに生まれてよかった。生まれ変わっても常識あるゲイがいい。」(聴き手:牧園祐也/2012年実施)

2012年に『season』※制作のために行ったものの、残念ながらこれまで日の目を見ることのなかった、おかあさんの貴重なインタビューの記録が残っていました。

その中から、香川県生まれのおかあさんが福岡へ移住した理由や、おかあさんの目に映った博多のゲイシーンの歴史をご紹介します。

以下、2012年当時のお話です(インタビュアーは当時非営利団体・Love Act Fukuoka代表の牧園祐也氏)。


恋を追って大阪、博多へ。

子供時代の初恋や、初エッチのお話まで。


―福岡に移り住まれる前はどちらに?

「生まれは香川の高松ですが、その後は大阪で普通の会社員をしていました。大阪に好きな人ができて。文通していたんですが、追っかけて行ったんです。

その後、福岡に好きな文通相手ができて、追っかけて来ました。
私が来た頃の福岡にはゲイのお店なんて全然なくて。好きな人が勤めていた中洲のヴィレッジという喫茶店で働き始めたら、ゲイが二人いるっていう噂を聞きつけて、ゲイの人たちが集まってきました。

大阪でお勤めしていた時代はゲイバーに出入りしていたけれど、博多にはまだ一軒もゲイのためのお店がなくて、博多にもそんなお店があればいいのにと思って、祇園町っていう、博多駅があった跡地あたりに8番館をオープンしたんです。

もう40年以上前になりますね。それから3~4年くらいで周りにゲイバーがだんだんできてきて。その頃オープンしたゲイバーは大半が、うちのお店のお客さんが立ち上げたお店でした。」

―周囲にできたゲイバーと、お互いのお店を行き来していたんですか?

「わたしはお酒が飲めないから、新規オープンや周年のときは顔を出すこともあるけど、基本は行かないです。ほら、長くやってるから『あそこばっかり行ってうちには来ない』なんて言われるのも嫌だし。

だからごめんねって、わたしは飲めないから行かないからねって、ちゃんとそれは言ってました。今も言ってます。わたしがよそのお店に行かないのは有名ですよ、この辺りでは。」


―祇園町から住吉に移転したきっかけは?

「理由はいくつかありましたが、大きなきっかけになったのは、8番館と「ボン」というお店の間で起こった火事でした。結局、原因は分からなかったんですが。そのとき住吉に福助っていう旅館(ハッテン場)ができていて、旅館のすぐそばならゲイの人も集まりやすいかなって。

祇園町のその近隣には再開発でオフィスビルもでき始めていて、立退きだの何だのが重なり、その煽りを受けて、周辺のお店もどんどん住吉に移転してきました。


当時は他の九州の地方都市にはまだゲイバーがなかったから、週末ごとに九州全域からお客さんが福岡に来ていて、満席どころか席の後ろにも、2階席まで立ち飲みのお客さんがぎっしり入ってくれました。

今の3店舗目には2階席はありませんが、連日たくさんのお客様に恵まれています。
芸能人の方も、昔からよく来られますよ。カミングアウトしていないお忍びの方もいらっしゃるから、名前は出しませんけれど。」


―初恋はいつ、お相手はどなたですか?

「小学校6年生のとき、学校の先生を好きになって。もちろん男の先生です。直接言いましたよ、先生、好きですって。

傷つけたらいけないと思ってか『あー、よしよしわかった』って言ってくれました。それ以上のことはなかったですけど。先生優しいから、あまり突き放して傷つけないようにしてくれたんですね。」


―初体験のことを訊いても良いですか?

「うーん、どっちかというとプラトニックな、精神的な面から入ったから、あこがれてラブレターみたいなのを出したり、文通したりして楽しんでたかな。

女性を好きになったことは全然ないですよ。童貞です。


四国にいた時代に、隣に住んでた大学生が初体験かな。その人はゲイでもなんでもなかったんだけど、彼女がいないもんだから、なんかこう可愛がってもらってて、それでエッチして。

いろんな人と付き合ったけど、やっぱりゲイに生まれて良かったと思ってます。生まれ変わっても、男性にも女性にもなりたくない。ゲイは楽しいです。でも一般的な生活はやりたいし、常識を外れたらダメですけどね。

日中、外でお店のお客さんに会うことはよくありますが、知らんフリしてますよ。こちらからは絶対に声はかけません。
お客さんから挨拶されたら返事しますが、特に誰かと一緒に歩いてたりしたら、絶対に他人のフリをします。この街は、昼と夜では違うんですから、それが常識です。

常識を守って、ちゃんと仕事をがんばっていれば、結婚なんてしなくても良いと思うんです。
普通の生活をしっかりできていれば、ゲイは楽しいです。嘘ついて結婚してすぐ別れちゃう人がいますけど、それなら結婚しない方が良いんじゃないかな。仕事でがんばったほうが良いと思います。」

笑顔が魅力的なおかあさん、笑い声が聞こえてきそうです。(提供/トモさん)


たくさんの恋をしたけれど、

今は一人を永く大切にしたい。


―今までの恋愛の中で、特に印象に残っている人はいますか?


「自分はもう大恋愛しましたよ。自殺未遂もしたことがあります。それは九州に来る前、大阪で。捨てられてね、でも死ねなかった。

それから福岡の文通相手を追って、移住して来ました。それからも、恋はたくさんしましたよ。

でも今はもう、好きな一人と永く寄り添いたいと思っています。もう25年くらい付き合ってる人がいて、初対面のとき相手はまだ大学生でした。お互い違う仕事をして一緒に住んだことはありませんが、年に2回、二人で海外旅行に行っています。

もうエッチとかそんなんはないけど、家族みたいなものですよ。ここまで来るって、この世界では難しい。ほんとの愛情で繋がって、肉体関係がなくなってもなおかつそういう付き合いがあるってことは、素晴らしい愛と思いますよ。


長い人生、お互い嫌な面も見るけど、見て見ぬふりせないかん場面がいっぱいあります。それを通り越したら大丈夫です。難しい、難しい、難しいけど、まあ、うん。

両目をキラキラ開けてじっと見ちゃいけません。片目つぶって、いいとこだけ見て。相手が好きで、必要だったら、そういうふうにしなきゃ。」


―永く連れ添う秘訣はありますか?


「相手に合わせて自分を変える・自分に合わせて相手を変えるなんて無理だから、自分の持ってるものを相手に理解してもらえるように持っていかなきゃと思う。大切な相手だからこそ、あんまり干渉しないで。

あと、自分の体を鍛えています。スポーツクラブに週4回、もう20年通っていますよ。やっぱり元気でないと恋も仕事もできないでしょ。やっぱり体つくりは、自分でちゃんとやっていかなきゃ。」

クロさんから聞いたお話。8番館の現役時代には、お店の開店前に買い出しをしているお母さんと、ばったり出逢うことがあったそう。おかあさんはそのたび「がんばってるわ〜!」と笑顔を残して自転車で走り去って行ったとか。


※『season』=HIV予防啓発を目的とした非営利団体・Love Act Fukuokaより発行されていた季刊誌。2007年〜2012年当時にはクロさんが編集、デザインに携わっていた。ゲイ関連スポットを網羅したタウンマップやHIV啓発関連の記事、イベントの紹介などが掲載されゲイバーやゲイショップに設置された。


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