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Chapter-5 サンちゃんインタビュー 祇園時代から、今もずっと交流しています。

半世紀に渡る8番館の歴史を、かなりの初期から見続けて来られた古い常連さんであるサンちゃんにお会いすることができました。
 
1950年生まれ。ご自宅がおかあさんのマンションと最初に入所なさっていたホームの近所で、コロナ禍前まではよくお見舞いにも通われていたそうです。
登録した家族以外面会ができなくなっている今も、登録している恋人のコウさんに合流して、お顔を見にいらっしゃることもあるほど、密な交流を続けていらっしゃいます。

サンちゃん近影:海に行った帰りにインタビューさせていただいたので「え、写真?こんなラフな格好で」って、、、そんな時にお呼びだてしてごめんなさい。(^^;;;

サンちゃんprofile:福岡県在住。20代の頃からゲイバー通いを始め、8番館を含む数店舗のゲイバーに通い始める。50歳で会社員を引退し、家業の不動産業を引き継いでから来店頻度は減ったもののおかあさんと長く交流を続け、8番館閉店を見届けた後は、おかあさんと個人的にご近所付き合いを続けている。


初めて行ったゲイバーが8番館。

おかあさんが優しくて行きやすかった。

 
僕が初めて8番館に行ったのは、最初の祇園町の店舗でした。26、7歳の頃だったかな。でも、もう開店から10年くらいは経っていて、すでにいつ行っても満席の人気店でした。
最初に誰が連れて行ってくれたか、おかあさんの他にスタッフがいたかは覚えていないけれど、おかあさんが優しくしてくれるので居心地良くて、すぐに一人でも通うようになりました。
 
祇園町のお店は、入り口を入るとコの字型のカウンターがあって、奥のトイレに行く途中の右側に、4~5人掛けのボックス席があったと思います。
多い時は週に1、2回行ったかな。満席どころか、立ち飲みしてる人もたくさんいる、大繁盛店でしたね。

おかあさんには恋しなかったか? 僕はガタイのいい人が好きだから、おかあさんはタイプじゃなかったな。
今は25年間付き合っている人がいますが、かなりガタイがいいです。僕がサンだから続きの4ってことでシイちゃんと呼ばれています。SunとSeaの意味も込めて、僕が名づけた。
 
あの界隈はゲイバーのメッカだったから、他にもいろんなお店に行きました。
サンちゃんというのは、8番館の他によく行っていた「誠(まこと)」っていうお店で付けてもらった通称です。顔が割れないようにいつもサングラスをしてたから、「サングラスのさんちゃん」って。
 
 

たくさんの出逢いをくれた8番館。

恋もしたし、友達もできた。

 
昔は学校の先輩とか、交友関係からの出逢いが多かったけれど、8番館に行き始めてからは本当にいろんな出逢いや恋がありました。8番館はくっつけバーだったから、くっつけられたこともありました。
深夜に呼び出される人もいっぱいいたと思う。「あなたの好きそうな人が来たわよ」っておかあさんから電話をもらって。

何人か、付き合ったこともありますよ。それ以上に、友達がいっぱいできましたね。
みんなでワイワイするのが楽しくて、好きで行ってました。車で行くことが多かったから、あまりお酒は飲まなかったけど。

当時の僕は、地元の人よりも、あちこちの地方から来た人とくっつくことが多かったですね。
今年亡くなった長谷川博史くん(ゲイ雑誌『Badi(バディ)』『G-men』立上げ編集長)は、もともと諫早の出身で、8番館で出逢ってすごく仲良くしてもらいました。東京に遊びに行くと泊まりなさいって言ってくれて。

長谷川くんの他にも、芸能人とか有名な人たちが、8番館にはいっぱい来てたよね。みんなお忍びだから名前は言えないけど。
8番館が九州初のゲイバーとして有名だったからだけど、おかあさんが芝居好きでよく通っていた影響もあっただろうね。
 
 

結婚したけれど、すぐに離婚。

独立してからは店から足が遠のき…

 
僕自身の恋愛話をすると、29歳から41歳まで真剣に想った人がいました。
手をつないだりダンスしたりはしたけど、ずっとプラトニックでしたね。僕が41歳の時に亡くなって、今もお墓参りに行っています。

もともと心臓に病気を持っていたんです。一度、待ち合わせに来なかったことがあって、後から入院していたことが分かったんです。
その後、家族旅行に行った先で、発作で亡くなりました。

ええ、既婚者だったんですよ。僕も一度結婚しました。一年ですぐ別れちゃいましたけど。
当時は、男がいつまでも独身でいるって難しかったんです。いろんな圧力があって、世間的な体裁のために結婚する人は多かった。

結婚するのが当たり前だったし、孫の顔を見せるのが唯一の親孝行くらいに言われていたし、結婚しない生き方なんてあり得ないと思われていた。
僕なんて60歳を過ぎても、まだ「結婚しないか」って言われてましたし。今は結婚しない人もずいぶん増えて、時代も変わりましたね。

50歳で会社を辞めて、親の不動産業を引き継いでからは、なかなかお店に行けなくなりました。
細々とたまに行っていましたし、閉店のときは何度か行きましたけどね。だからおかあさんとの思い出話は、実は8番館の営業中より閉店後のほうが多いんです。
 
 

閉店時のチラシ


家が近所で、閉店後にもおつきあい。

今もお見舞いに通っています。

 
僕は、おかあさんのマンションの近所に住んでいるから、閉店後にも遊びに行ったりしていました。
閉店直後のおかあさんは、「時間が余って仕方ない」と言って、お知合いのお店を手伝いに入ったりもしていたようですよ。

コロナ禍直前に済生会病院に入院した時は、しょっちゅうお見舞いに行きましたね。僕は元々、誰かが入院したらお見舞いに通う方なんです。

以前お見舞いに行かれた時の画像をサンちゃんからご提供いただきました


だって、入院中って退屈でしょう。少しでも気を紛らわせればと思っちゃうので。
でも博多区の病院に移ってからはコロナ禍で会えなくなりました。その後、薬院のホームに移ってからまたお見舞いに行くようになりました。

ガラス越しに電話で話すだけですけどね。
せめて月に一回くらいは、ペーパークラフトのグリーティングカードなんか作って持って行ったりしました。

桜十字病院に入院していたときは、面会自体ができなくなっていました。
でも、5階の病室にいるおかあさんに電話して、窓際に来てもらって、大通り越しに見えるところから「元気―?」と手を振って話したりしましたね。ロミオとジュリエットみたい?(笑)

今また山王の方に移ったから、行く頻度は減りました。現役時代はずっと人に囲まれていたから、きっと寂しいと思う。
電話をすると、「早く帰りたい、帰りたい」とばかり言っていてかわいそうです。外出は施設のスタッフに公園やコンビニに連れて行ってもらう程度みたいだし。

面会は1回15分の制限がありますが、実は会ってもそんなに話題がないから、そのくらいでちょうどいいんです。元気な顔を見て、「また来るね」って言うくらい。

話題はないけれど、おかあさんは話すたびに「ありがとう、ありがとう」と繰り返します。
昔から、人への感謝の気持ちいっぱいの人だったし、それでみんなに好かれていたことを、その「ありがとう」を聴くたびに思い出します。
 
 


8番館時代から続く仲間はキミちゃん

おかあさんの交友関係

 
そういう感じだから、8番館がクローズしてからのほうが、おかあさんとは仲良くなりましたね。
コウちゃん(おかあさんの恋人・コウさんのこと)とも連絡を取り合っていて、転院した時など連絡をくれるし、登録した家族しか面会できない施設には、お見舞いに同行させてくれます。
 
僕の還暦の誕生日に50人くらい仲間が集まってくれたのですが、そういう集まりにあまり参加しないおかあさんも来てくれたんですよ。あれは嬉しかったですね。
その後は入院先にお見舞いに行ってばかりだから、僕が持っているおかあさんの写真って入院中の写真ばっかり(笑)
 
8番館つながりの人では、フォワードのキミちゃんとも仲良いですよ。お祭りに一緒に行ったり遊びに行ったり。
冬に褌で参加するお祭りがあるでしょう? ああいうの、一緒にいろいろ出ましたよ。もちろん山笠にもね。今はもう、あんなに走れないから見て楽しむだけだけど。
 
 
コウちゃんの前に付き合った人は2人知ってます。もう40年くらい前の話ですが、2人とも長くは付き合わなかったみたい。
コウちゃんとはずーっと長いもんね。ゲイバーのママはみんな気が若いと思います。
 
おかあさんはガラケーしか持っていないから、このコラムも読めていないかも知れない。今度会ったときに読ませてみようかな。
刺激が少ないことは良くないと思うから、行くたびにどうやって刺激してやろうかと思っています。おかあさんを見ていると、自分の行く末を感じざるを得ませんね。
 
 
(最後にインタビュアーが「おかあさんの、印象的なクセや仕草って何かありますか?」と尋ねると、間髪を入れず)
ああ、これ?(と、おかあさんの“マジックハンド”)
(一同爆笑)
 

FORWARDにてマスターのキミちゃんが再現してくれたマジックハンド


 




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