見出し画像

人に嫌なことをされたとき

嫌なことをされた→不快に思った

自分が人から嫌なことをされるとき、たまにあります。

そういうとき、皆さん、どんな風に考えますか?
どうすることが、正解やと思いますか?


まぁ、よくあるのが、「自分自身を振り返る」とか、「人のふり見て我がふり直せ」でしょうか。


よくある…といいましたが、私、これが結局正解だと思っています。

というのも、自分自身も、びっくりするほど、人に迷惑をかけてるんですよ。

「私はまったく人に迷惑をかけたことがない!」という人は、世のため人のために部屋にこもって出てこないでほしい。

人に迷惑をかけない、そんな人間はこの世にいないからね。

誰もが人に多かれ少なかれ迷惑はかけてる。

その自覚がないやつが、一番ヤバい。


だから、人に嫌なことをされた…というのは、その人とは価値観が不一致なところがあるくらいに受け止めたほうがいいのです。

その相手、優先順位の違いや価値観の違いで、今後ももめることがある相手であるのは、間違いないです。

でも、相手もある合理性をもって、その価値観を何十年と育ててきた。

単に幼稚で未熟な人間という可能性もありますが、それでも、その価値観で何十年か生きてる。

論破したところでどうせ変わりません。


自分の価値観と相手の価値観を戦わせたら、どっちが正しいか?という「正義の戦争」になるだけです。


実際にやろうとしたら、「君だって、このときこうだったろうが!」と言い返され、ぐうの音も出ないことになるかもしれない。


どうせ人と100%価値観が一致することはありません。


一致しているとしたら、むしろその二人は一緒にいないほうがいい。
馴れ合いになるだけですから。


50%の価値観一致率とか、30%の一致率の人間と、押し合いへし合いするのが、「人生」です。


だから、相手と付き合っていくことでなんか得られるものがあるうちは付き合って、

どうしても合わないなと感じたら、静かに離れる…というのが、一番スマートなやり方です。


うまくやれる範囲、ガマンできる範疇で、人とは付き合う。

無理やり親しくなろうとしない。

「君子の交わりは、淡きこと水のごとし」


人間として嫌いでも、どこか一点、付き合うことにメリットがあるうちは、なんとか付き合えるものです。

それが無くなった時が、縁の切れ目。

それくらいでいいのです。


それを繰り返していくうちに、あなたと価値観がそこそこ一致する人が周りに増えて(残って、歩留まりして)、生きるのが楽になります。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?