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「怒り」を表現する 2021/12/7の日記

 「怒り」。まざまざと眺めることは少ない感情だ。

 ぼくはゼミのなかで、コラージュとしてそれを表現する機会に恵まれた。「怒り」とは何だろうか。机の上に幾重にも散りばめられた写真の数々を見て、ぼくは「怒り」に思いを馳せる。

 つい最近「怒り」を感じたことと言えば、SNSにおける炎上だ。そこに実態は伴わず、安全地帯からの一方的で匿名の罵詈雑言は、ぼくに激しい「怒り」をもたらした。

 この感情を見つめ、自分なりに解釈をして言葉を付けていく。ぼくはこの時の状況をイメージ化する。その「怒り」の現場に無かったモノは「顔」だった。本来「怒り」は顔を合わせたなかで生まれるモノだ。明確な他者が存在して、その人とのコミュニケーションのなかで生まれる。しかし、SNSでの「怒り」は、顔が見えない。自らの顔を消して、特定の他者に対して「怒り」の矛先を向ける。それが気持ち悪くて、そこにぼくは匿名の「怒り」を向ける。こうして匿名の「怒り」の連鎖が発生する。

 そうした「怒り」をぼくは1枚の紙に表現する。できたのは、人の顔を寄せ集めたものだった。成果物を見て、ぼくは驚きとも感動とも違う、新たな発見をしたような、そんな新鮮な感覚を覚えた。

 普段、感情を眺めることは滅多にない。ただ、ときには自分が抱えている感情に目を向けて、他の形にして表現することも大切だと気づいた。コラージュではないにしても、ぼくは文章という形で表現できたら良い。なんて言っても、「書くことは冒険」(安部公房)なのだから。

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