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ひなびた旅館の赤い眼の猫女

これは妖怪画家の【妄想世界】のおはなし

 私は眼には見えない魑魅魍魎を描く妖怪画家である。小さい頃から空想・妄想の世界が好きで、そういう絵ばかり描いて過ごした。描いているうちにいつか目の前に出てきてくれるんじゃないかと期待を膨らませていた。

それは今も変わらない。古から描かれてきたあの姿形は私の心をいつも弾ませてくれた。

真夜中 
今日も妄想の世界へと旅立とう、そう思い私はこれからおこる妄想世界の出来事に胸を躍らせ静かに眼を瞑ったのだった。

脳裏に浮かんだのは遠いどこかの島になんとなくたどり着く。荷物はスケッチブックと鉛筆数本、そして少々の着替えだけである。その島は船着き場周辺の村しかないのだが、島の人々はにこやかに私を受け入れてくれた。
一軒しかない商店は駄菓子と生活用品と薬が売ってある。店先には肌着しか着ていない女が煙草を吸いながら座っている。女は私の顔を見てにやりと笑った。
私はその女に宿はないかと尋ねた。うちでもイイヨと言われたがさすがにそういう訳にもいかず、再度訪ねると不機嫌そうに教えてくれた。
 島の中央には小高い山があり、その麓に一軒だけあるという。店の女に電話をしてもらい空き部屋があるかどうか確認してもらった。
一室だけ空いているというので、予約を入れてもらった。 去り際にお礼を言うと、女はペッ!と床につばを吐き捨てて二本目の煙草に火をつけた。 私はいそいそとその店を後にし、宿へと向かった。

10分ほど歩いただろうか目の前にひなびた旅館があらわれた。 看板には「いろや」と描かれていた。名前からしてどうも妖しい雰囲気だった。あたりは畑しかなく、その旅館 は急にそこにあらわれたかのように建っていたのだった。

「いろや」入り口

 
「ごめんください」とガラガラと戸を開けると番台のような所に主人らしき男が座っていた。 「いらっしゃい」と一言だけいうと手招きをされて中へと案内された。部屋は六部屋ありそれぞれ色で名前がついており、主人はゆっくりと話しだした。 

まず 「紫」という部屋には耳そうじを生業にするものがいて、一年の半分はここで客を取っている。何年前から泊まっ ているのか忘れてしまったが、仕事が丁寧だと評判なのだ。

次に 「白」という部屋には長い黒髪の女が泊まっている。子供を預かっているらしくとてもにぎやかなのだ。誰から預 かっているのかはわからんがとにかく多い。

次に 「朱」という部屋には飼い猫を亡くしてしまった女がいて、誰かをつれてきては一緒に弔いをさせている。時々すすり泣く声がきこえてくるのだがよほど悲しかったのだろう。ここに泊まって一年になる。

次に 「緑」という部屋には働き者の小さな女がいるのだが、寝る間も惜しんで働いておるのでほとんどこの部屋には帰っ てこない。というよりいつも慌ただしく動いていて、初日以外は足音しか聞いとらんのだ。 

次に 「黒」という部屋には楽器をならす女がいて、夜な夜なうつむいた客ばかり集めて演奏会を開いている。時々ポロンと音がするくらいで騒がしいという事はない。多いときは外まで列をなしているのだが、あんな狭い部屋にどうやってみんな入っているのか不思議なのだ。 そういって五つの部屋にいる客の話をしながら私の泊まる部屋へと着いた。 


部屋が並ぶ廊下


おぬしの泊まる 「灰」という部屋はながいあいだ泊まった者はいない。いつの頃からか窓の外に灰色の猫が住みつくようになって、じっと何かを待っているようなのだ。 もともとは「橙」という名前の部屋だったが、その猫がよくくるので「灰」という名前にかえたのだ。ここに泊まるのはおぬしが久しぶりだから愛でてやるといい。
そういって部屋の鍵を渡された。 そのあと軽く風呂や厠の説明を聞き部屋に入った。戸を閉める時なぜか主人の低い笑い声が聞こえたような気がした。 外は日が傾いてきて茜色に染まっていた。私はその鮮やかな色に心を奪われてしばらく窓の外を眺めていると、ガサッと何かうごいた。目の前の草むらをかき分けて何かがあらわれた。 

猫だ。 

主人が言っていた灰色の猫である。その猫は私に気づくひと声「にゃぁ」となき、後ろを向いて眺めのしっぽをゆらゆらと揺らした…

目が覚めた。豆電球の灯りだけで薄暗かった。窓の外は暗く夜になっていた。どうやら飲み過ぎて眠っていたらしい。夕食はみすぼらしかった。肉も魚もなくまるで精進料理に何かが足りないようなそんな食事だった。味はというと思い出す事さえ難しくほぼ無味無臭であった。そのかわりといっては何だが酒を結構飲んだ。六合くらいだろうか、そこで記憶は途切れている。

ふと灰色の猫の事を思い出しもう一度窓の外に目をやったがそこにはもういなかった。
私は風呂に入ろうと思い、まだ酔いが残っている身体を無理矢理起こそうとした。その瞬間目の隅に何かが見えた。 

人?・・・女である。 

部屋の片隅にその女はいた。着物のような者を纏っていたがかなりはだけていて、白い肩や腿が悩ましく覗いていた。
女の眼は赤くこちらをじっと見つめていた。薄暗く視界も悪いのだがそれははっきりと見えた。私はあやしく赤く光るその眼にに心をとらわれてしまった。そらせない。恐ろしいという感情はなかった。眼をそらしてしまうとそこから消えてなくなってしまいそうなので、眼をそらせずにいた。私はその女が目の前から消える事をなぜだかとても嫌だと思ったのだ。


赤い眼の猫女キセルをふかす


気づくとその女に触れていた。触れるというより撫でていた。髪を撫で頬を撫で、首、肩、腕、、、撫でていくう ちに私はこの女がとても欲しくなってしまった。気持ちを抑える事が出来ず女のうえにまたがった。女の肌はしっ とりとしていて、吸い付くようで私は貪った。 女は私の両手を掴み自分の首へと誘い、絞めろと言わんばかりにじっと見つめた。 
赤く光る眼がいっそう妖しく光った。私は身体の奥底から沸々とわいてくるナニカに後押しされ、衝動的に首を絞めた。
女はのけぞった。 
私の手の力はだんだんと強くなっていった。強く締めれば締めるほど女は激しくのけぞった。
 女は突然喉を鳴らしはじめた。

「ゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロ・・・」 

猫!一瞬そう思ったが女の赤い眼がこちらをじっと見据えた。とても美しい眼だた・・・
刹那、私の頭の中でナニカがはじけて、気を失ってしまった。
気がつくと少し開いたふすまの向こうから日の光が差し込んでいた。朝になったのだ。昨夜のあれは夢だったのかどうか思い返す。

気だるい・・・

私は四つん這いのままふすまを開けた。眩しい。窓の外に昨日見た灰色の猫がいた。こちらをみている。よく見ると片目は赤い。

あの赤・・・

昨夜のあの女はこの猫ではないのか。私の頭の中にはあり得ない妄想でいっぱいになった。
猫に化かされたのか、女に化かされたのか・・・
その猫の眼はまだこちらを見ていた。私は昨夜と同じように眼をそらせないでいた。灰色の猫の目はやがて日の光に照らされて赤く燃えているようになった。生命力に満ちあふれているが悲しみにもあふれている、そんな眼
だった。
その猫は「にゃぁ」とひとこえなくと後ろを向き中空を見つめ、しっぽを揺らした。
ナニカを待っているように見えた。

どうやら彼女の待つナニカは私ではなかったらしい。 私は何ともいえない切ない気持ちになり、後ろ髪をひかれる思いで宿を後にした。 帰りの船の中、記憶をたどりスケッチブックに灰色の猫と赤い眼の女を描いた。

・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・妄想の世界から戻ってきた。

にも関わらず胸の奥でナニカが私を締め付ける。

私は思った。
おそらくあの猫は未だにナニカを待っている、と。

続く

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