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「N響・小澤征爾事件」と「日本最高」の放送局と文化団体のレイシズムを通路に考える。

もう、とうの昔の話になってきたし、「世界のオザワ」もう80代のお爺ちゃんとなり、演奏家の前ににっこり座りさえすれば世界最高クラスの演奏が飛び出すような神がかった指揮者になったし、今、NHK交響楽団の演奏がどんどん魅力的になっていることは認めた上で、でも、と今ここで立ち止まる必要もあるだろうと思う。日本に差別なんてないんだと言い張る一部の人たちに、差別や抑圧について「透明化」「なかったことにする」のは大違いだぞという事を、書き記して置くことにする。雑誌「レコード芸術」までが廃刊になりいよいよ過去の遺物に変わろうとしている今だからこそ、考える材料は必要だという意味だ。透明化すれば良いという問題ではなくいつでもそうした思い上がりに繋がる弱さを人間は抱えやすい事を自ら自戒しながら「変わり続ける」事以外ではないからだ。変わらない人たちから新たに学ぶ事は無くなるように、新しく変わり続ける人たちから次の新しい課題を受け継いでそれを後続の仲間達に伝える、という事が時代人の役割だと思うからだ。
その多様なアプローチをお許し願った上で始めることとする。

なんで山本直純さんの番組以外に出ないの?


わたし個人は1965年の生まれなので、「オザワ事件」そのものはナマで見たわけではない。「物心つく前後」の事件でフィルムや世界のニュース番組で取りざたされたビデオを見ての出来事になっている。むしろ海外のメディアで作られた番組で成人してから知る事になる。大学生になり大学の合唱団で指揮者の福永陽一郎先生に沢山教わった中でオザワ事件についても知る事になる。陽ちゃん先生自身、彼の論考やライナーノーツの中でばかばかしい事件だと触れているし「なぜ日本にポンコツ演奏家しか来日しないか」というそもそものカラクリを全部暴露してくれたのだ。今日はそれを知るまでを振り返っていくことにする。

ラフな格好で登場し、面白い曲や珍しい曲、素晴らしい演奏家と共に繰り広げるライブ演奏のだいご味を紹介してくれた人



子供心にオザワセイジさんはカンフースーツだか割烹着だか子どものわたしには見分けの付かない「燕尾服ではないラフな格好」でにこにこTVに現れ、ヒゲの作曲家である山本直純さんとトークしながら色んな作曲家や演奏家を連れてきては新日本フィルから早稲田大学交響楽団までが登場して演奏を聴かせてくれる番組を毎週放送してくれる人だった。その後成長につれてテレビの前に連れてきた演奏家が世界的な超一流の現役演奏家ばかりだったことを知ることになる。ここが違和感の始まりだったのだ。
日本のテレビ番組でクラシック音楽が放送されるのは、オザワや山本直純さんが日曜の朝に放送した「オーケストラがやってきた」以外では、堅苦しくてつまらないNHK(教育)交響楽団のコンサートと、読売日本交響楽団のコンサートだった。読売に至っては、「深夜こんな時間に誰が見るんだろう」という深夜帯に放送され、さらに音楽ミキサーによってさんざん弄り倒された音に変貌したコンサートで「いくらなんでも日本のホールでこんなトランペットやトロンボーンの音はしないだろう」というぐらい加工され尽くした音でしかなかった。それでも「ないよりはマシ」だった。

で、NHKを指揮する人たちは決まり切ったガイジン指揮者しか出てくることはなく、読売を指揮する人は山本直純さんの番組に時々客演してくれる山田一雄さんたち「日本人指揮者」が多かった。あとあと、これらがライセンス(音楽著作権)の契約上放送できなかったり色々な知財法務の背景があることも一定知っていくわけだが、「それでも変」だ。「優秀な団体」で「優秀な演奏家」がなぜ一緒にナマ演奏する機会がないんだろうか?という子どもの素朴で残酷な質問への答えが見えなかったのだ。

それが、実際問題NHKとその交響楽団の音楽監督は歴代外国の著名なオペラやオーケストラで指揮をした「ガイジン指揮者」でなければならなかった。だから日本人「正指揮者」「指揮研究員」などはあってもまかり間違っても「音楽監督」はあり得ないという団体だった。しかし小澤征爾はブサンソン国際指揮者コンクールの優勝者であるという看板だけでなく、政財界へも様々なコネクション等も手伝って「なってはいけないポスト」についてしまった、というのが正直な所で、当時の楽員団員にすると「何が何でも消えてもらわねばならない」という相手だった。どんなに良い演奏ができようとも日本人なんかの指図は受けたくなかったのである。結果「ブルーノ・ワルターのように指揮ができない」という理由としては最も悪い理由をとってつけてリハーサルをボイコットしNHK交響楽団を追い出した。日本人初の指揮者コンクール優勝者へ世界中のオーケストラがコンサートの場所を提供し仕事のチャンスを作ろうと手伝ってくれているまっただ中に自分たちの国のオーケストラで人種差別が起きた。これには同時代を生きる演奏家や小澤を子どものようにかわいがっていた演奏家が激怒した。指揮者やソリストたちが小澤へ同情し、NHKからのオファーを断り続けたし、NHKのヨーロッパ演奏旅行で彼らの多様な演奏能力を示そうとしちょうが「クォーツ時計のような演奏」と酷評され続けた。実際クォーツのような「正確でつまらない」演奏だったわけで、NHKをわざわざ取りざたしてこき下ろす必要は無かったのが現状でもあった。そこから和解に至るまでの30年以上、同年代の演奏家、メータ、マゼール、アシュケナージ、アルゲリッチ、ロストロポーヴィチ、ミシェルシュヴァルベ、バーンスタインなど現役バリバリの第一線が日本の演奏家を相手しなかった。自分の手兵団体の来日コンサートは行ったり小澤=新日本フィルの客演は行ったとしても、である。分裂騒動のおかげで弦楽器の殆どがエキストラや大学卒業したての女性メンバーで構成されていた非力なオーケストラだった新日本フィル楽団員の目線ではロストロポーヴィチらは師匠の先生達の人たちだ。それでも来日・客演とともに普通のリハーサル回数より多くのセッションを通して技術を叩き込み、桐朋学園をはじめとする後進の指導は快く引き受けてくれるなど小澤への愛情と日本人バリバリの行動選択な小澤へ友情を示し続けた。
逆にNHKはカラヤンに欧州を追い出されたサヴァリッシュが必死になってメトロポリタン歌劇場のホルスト・シュタイン、オットマール・スィットナーなどを繋ぎ止めた。ずっと客演しながら友情をつないでいたのはヘルベルトブロムシュテッドだが、メインをサンフランシスコや欧州に置いていたのでピンチヒッターで時々来れば良かったのである。で、音声多重録音になった以外に特段特色がなかった当時のテレビ放送で、ホルストシュタインの演奏の時だけ録音状態が良く、他の指揮者が演奏したときの録音・録画は残響一つテレビから聞こえてこない、サウンドのクオリティの差がテレビだけでも感じられるようになってきた。指揮者によって演奏の格差って各段に与えられるんだと思った。陽ちゃん先生が伝え続けた「演奏の時代」と言い切れるだけの「演奏の差」というものが少しずつ見え始めてきたわけだ。これこれこういう演奏家がこれこれこの指揮者とソリストを迎えたん「だからいい演奏なんです」というお仕着せがだんだんとライブ放送で通用しなくなっていった。「良いものはいい」だけど「加工品は見抜かれる」のだ。読売日本交響楽団の演奏はミキサーで補強したライブ録音だから明らかに金管楽器の音が酷すぎた。どれだけ残響などを演出して弦楽器を美しい音に仕上げようとしても大編成が中心の現代の演奏を支えられるだけの録音・録画ではなかったのだ。録画現場の人たちの苦労(と予算)の貧弱を思わざるを得ない。
これ見よがしにマイクは10何本で収録してますと自慢しているNHKと大きな違いである。

日本人へのレイシャルハラスメントを日本人だけの団体が行った

この状況下でも小澤征爾へ演奏の場を提供しつづけた国内団体は分裂前の日本フィルハーモニー、そして分裂後の新日本フィルハーモニーだった。
労働組合との折り合いが必ずしも良くない状況ではあったが、NYフィルの副監督をしていた小澤はカラヤンとバーンスタインの指導と支持を受けながらトロント交響楽団の音楽監督をゲットする前後。若者らしい野心と向上心に溢れている時N響と並び称される実力を持っていた日本フィルはオザワと演奏しつづけた。だから、といおうか。だから、イーゴル・マルケヴィチによる「歴史的名演奏」とされる「春の祭典」の日本フィルでの演奏と日本の「はる・さい」ブームはNHKではなく日本フィルのマルケヴィチによる名演奏、そして小沢のシカゴ交響楽団との録音、当然マルケヴィチのフィルハーモニア管弦楽団による録音などによるもので、本来は演奏能力をもっていたはずのNHKはこの曲で「世紀の名演」といわれるものを日本で残せていない。オザワとの和解後にこの曲を最も得意するシャルル・デュトワの着任を前にしたサントリーホール、NHKホールでの演奏ぐらいで、それであっても、ズービン・メータとイスラエルフィルの演奏であれだけ聴衆が熱狂するのになぜ?という感想が残る反応しか残されていない。

NHKへの小澤征爾の心の傷は客演をしていたときの相性や演奏への評価は高かっただけに追い出されたショックは大きかった。だがNYフィル時代からすでにオザワへの世界での評価はとても高かったので日本の市場を相手にする必要など一切ないところまで来ていた。ただ、オザワは斉藤秀雄と同じく日本人臭い人であり人間臭いだったので、ふるさと日本が大好きだったし日本の人々が育ててくれたこと、大陸引き上げ者として戦後の苦労をした当人でもあった事など様々な人間臭く日本の音楽界や桐朋学園に関与し続けてくれたことで大勢の後進を世界に送り込む役目も果たしてくれたわけだ。
「オザワ事件」は確かに1986年突然調印されて和解はした。が、だれも公式記録から抹消されてしまった小澤征爾がNHK交響楽団に関与していたのを知らない。その代りNHKの贖罪放送は徹底的に「サイトウキネン」の売り込みを担うこと、ベルリンフィルの来日公演でカラヤンの代打をオザワに任せたライブ演奏、そして腱鞘炎などで演奏ができない演奏家たちへの支援ファンドを立ち上げるためのチャリティコンサートの放送。定期演奏会に1回客演すること。

それ以後、オザワがNHKを指揮することは二度と無かったし、サイトウキネンオーケストラとその音楽祭が松本で行われるようになった。今やセイジオザワフェスティバルに演奏メンバーとして一緒に参加する事を目指す人たちが世界の名門から集まってくる時代を作りあげた。
だから日本のお役所機関の常で歴史から「なかったことにされた」レイシャル・ハラスメント事件=日本人による日本人に対する人種差別事件=が日本を代表するオーケストラで起きていたのは間違いないことだ。

ジャニーズ事務所やナベプロの枕営業や売れるためにオーナーの性的虐待に耐えねばならない日本の芸能界は歌舞伎も含めてすべてが女衒と胴元による仕切りによって支配されてきた。江戸時代そのまんまの花柳界の常識で21世紀まできてしまった「閉ざされた世界」だったのだ。これは新宿二丁目のクローゼットなGAYたちを相手してきた「男街」の「しきたり」も似たり寄ったりの所を歩んでいたわけだし、男性中心社会の「水商売」の世界で颯爽と居場所を確保できた「ニューハーフ」「女装」業界とは全く違う歩みを呈することになるが、根底では同じ「しきたり」が色濃く残された「男中心社会」に奉仕する道具に過ぎなかったし、その性欲のはけ口として女性にもなれず男として生きられない中で生きていた。搾取の中で年功序列のヒエラルキーが守られてもいた世界がどちらの業界にも共通する特徴だ。

国連人権理事会では鼻つまみ者が日本政府の側面でもある自分の頭の上の蠅をなんとかしろ、というわけである。
体制内知識人や時代の傍観者たちは「日本に差別などない」と言い張るだろう。世界の市民社会の目はごまかせない。

先日ジャニーズ事務所でのセクハラ性的虐待をもって国連人権理事会が使節を送り込んだ。
ひとつの民間企業内部の性的虐待を取りざたしに来たのではなく、これを口実に人権感覚の低迷や遅れを世界に知らしめられてしまったわけである。BBCの報道レベルすら発揮できない日本の報道機関や調査機関では拉致があかないことを見抜いている。
さらに日本社会の差別や抑圧はすでに国連の手によって「ソフトシェル構造」であるとUNAIDS発足直後の頃には究明されているのだ。まるで差別がないかのように周囲は無関心で何も言わないせいぜい臭い物に蓋だが、背伸びをしようと大きく息を吸い込もうとしたり今ある自分たちの「ぶん」を越えるような態度を取ろう物なら一気に窒息させるまで締め付ける構造を「ソフトシェル」という言い方をしている。

もう、過去のことだ、済んだことだ、となるのかと思っていたら、こんどは小澤征爾の友人達でさえ「セクハラ」では取りざたされ主要ポストを奪われる段階にまで人権感覚へセンシティブな反応が続いている。
オザワの後任でボストン交響楽団の音楽監督になっていたシャルル・デュトワがセクハラだとしてボストン交響楽団やイギリスのロイヤルフィルハーモニーから追放されたし、押しも押されもしない名演奏を約束して呉れる指揮者だと思われていたNYメトロポリタン歌劇場のジェームズ・レヴァインが追放された。聴衆は驚かされたと同時に議論が起きている。芸術家に人格や道徳までを要求しても仕方ないだろうとする意見=「演奏」と市井人としての「私生活」は別問題だ=と「一事は万事」だとしてしまう人たちとの意見だ。
セクハラに等しい人権抑圧を犯罪にかこつけてあらゆる暴力を容認しようとする風潮に辟易するところだが、演奏家がまともな心理状態で演奏できないような共演者が同じ舞台に立つことは当然できるものではないだろうし、それは社会では同じ事だろうと思う。

ただこのことだけは真実なのは、すべては鑑賞者の問題であって芸術作品の価値や再生芸術でもある演奏の価値とは別問題だということだ。
演奏者の人格が安心して演奏を聴けない人もあるからこそ、踏みにじるような行為を無視して通るわけにはいかないが、社会構造そのものに手をかけず既得権を壊さないでまるで仙人のようにコメントを並べていても、個人の問題のように透明化をしてしまう論理に足下をすくわれないことも肝要であると思うのだ。傷付いた経験のある人の傷を治療することもなく傷付いた人間に配慮しろというのは無い物ねだりというものだ。変えられるのは自分の意思と生き方以外は周囲の人々の良心に委ねるしかないのだ。
現実に起きている差別や虐待に無頓着になるように「臭い物に蓋」をしてはならない。和解されたとはいえ同じような問題が繰り返されるようであれば、今一度底流にある問題と向き合うということを放棄するわけにもいかない。
たとえば、レコード一つ、コンクール一つ、なぜいちいち「日本人演奏家」「日本人指揮者」「日本人プロ●●選手」と冠をつける必要があるんだろう?そこに「日本人のくせに」「日本人がやることはタブー」のような決めつけがどこかにあったはずだ。だけれども「誰にでも音楽もスポーツも開かれている」というメッセージを実践し体現しないと芸術やスポーツそのものを楽しめる人達が増えない、というままでは職業演奏家や職業スポーツマンが育たないわけだ。そのかぎり物珍しい内は「日本人●●」もアリだとは百歩譲ったとしても、いいかげん「日本人●●」や「日本すごい」ではないだろう。鳴りたいと思った職業に全員が就けるわけではないにせよ、チャレンジする権利はあるのだから、それらを無償で応援できる社会でもあってもらいたいとは思っている。だが押しも押されもしない力量を見せつけて世界中から賞賛されている人のレコードをわざわざ「日本人演奏家部門」で表彰するような時代錯誤はもう終わってもらいたいともおもう次第である。


NHKとの記念すべき32年ぶりの演奏は阪神淡路大震災の直後に東京サントリーホールで行われた。

ボストン交響楽団来日公演の動画。「春の祭典」(フェスティバルホール)
R.I.P. Seiji OZAWA "The Rite of Spring" Boston Symphony Orchestra Concert Tour JAPAN 1981. Octber.30 Festival Hall, Osaka
圧倒的な「春の祭典」。オケがここまで指揮者と聴衆へ熱狂炸裂!という演奏ってそうそう無いでしょう。 「ストラヴィンスキーサウンドはこの音だ!」 そんな熱が伝わってきます。

チャイコフスキー 交響曲第6番「悲愴」
晩年はゆったりしたテンポで響かせる演奏に変わっていったが、サウンドが重厚にかわっていった。カラヤンの18番でもあったせいかカラヤンの演奏のテンポに近かったオザワ、新日本フィルでも「鉄の団結」と言われる劇的な演奏を欧州演奏旅行で行ったがこの際もテンポは速めだった。しかし終始一貫しているのは、チャイコフスキーの音場表現と構成法を活かしたサウンドで劇的盛り上がりを作る演奏。もう一人の師匠であるバーンスタインの激情的なテンポの緩急をつけた激しい演奏にあまり影響はうけてこなかった。

ベルリンフィルハーモニー来日公演 1986年 サントリーホール
この回はカラヤンが急病ということで急遽小澤征爾が代打を務める、という緊急発表があり、サントリーホールのオープニングシリーズ演奏会のメニューがチャイコフスキー「悲愴」からシューベルト交響曲第7番「未完成」とRシュトラウス「英雄の生涯」にメニューが変わりスーパーサウンドを魅せつけた。

フジテレビによる日本フィル解雇とその労働紛争のあおりで結成された
新日本フィルハーモニー交響楽団。手弁当・自主運営で始まったオーケストラはオザワが大勢のソリストやオーケストラビルダーを招いて鍛え上げてきた。そのポテンシャルは天下一品で佐渡裕に監督を引き継がれたことで名実ともにトップクラスのオーケストラとして押しも押されもしない存在。
ジブリ作品のオーケストラ担当も長年つとめてきた。
これはまさにオザワ逝去の報を受けた追悼演奏。

オザワのボストン交響楽団最終コンサート
マーラー「交響曲第9番」:ボストン交響楽団定期
ウィーン国立歌劇場音楽監督としてついに30年越しの親友に別れを告げる。

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