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Freedomアディクションカフェ20230305@浜松町東京都貿易センター

皆さんの分かち合いに力をもらいました。どんだけ自分を含めて周囲の目線を気にしながら、しかし、そういう風に同調圧力にあわせて息をひそめねばならない世の中なんだなあという事も実感しなおした次第でした。

今回も語彙力と経験力と知性が豊かなお二人が、半端なワシの背中につっかえ棒をしてくださいました。

赤坂真理さんの話を聞いていると、HIV陽性告知の受容をしていったあの時に、敬愛する池上千寿子さんとも出会ったんだったなあと思い出しながら老人ならではの感慨にひたっておりました。
そのぐらい真理さんの言葉は新しい光で使い古されたようだったワシ自身の経験とかつての自分を照射しなおしてくれました。
池上さんからは折に触れ沢山目からうろこをおとしてもらったのです。「ヘテロだろうがなんだろうが人間は性の当事者=性的存在でしょ?って。」なのにお気に入りだ、「わが天使だとなると(ウンコもしないような・山崎補記)幻想で固めるような性の話になるのがおかしいでしょう?」って。願望を要求にすりかえたり、信頼と思い込みをはき違えたりしがちなぐらいセックスに貴賤上下をつけていることが本当に気味が悪いです。性行動や病気に貴賤上下をつけているからセックスワーカーだから性病があって性の搾取側に加担してるとか、自分が好みの相手だから性病なんか持っていないだろう(そうでなければならない・山崎補記)という押しつけ(これこそ性の同調圧力でヘテロ男性が無自覚に作り上げている男性中心の楼閣でもあるわけでしょう・山崎補記)。
新しい気持ちとスタートラインに立たせてもらえた感じでした。

真理さんはシス女性・ヘテロジェンダー、かつ自認アディクトでアディクション向け意見というご自分を明確におっしゃってくださった上で、自身疎外感があるとおっしゃってくださった。めばちゃんもかつて男性として生きた過去や白黒思考の中でジェンダーやセクシュアリティを考えようと努力しながら、どうにもなっていなかったと述懐してくださった。実は、あらゆる人たちが人権の疎外、異端分子の排除や同質・同調圧力をかけられ周囲の顔色や目線にびくびくしはじめているのではないかという事を思わされました。ワシが「GAYという生き方を選んだ」「生殖の性から遠ざかった」という言い方を敢えて選んだのも、外から教育や圧力を加えれば「GAYをやめられる」式の言説に反逆・抵抗する意味で用いました。というのも、自分たちに直接攻撃をかんじたことがないからという理由だけで性的存在としての自分と向き合う事があやふやだったりアイマイなままであったら自分の生き方や生きざまなんだと確認と覚悟をする、というアイデンティティに昇華されないだろうとも思ったからです。
「I was born」という吉野弘の詩を引き合いにしながら受け身で与えられた生を実存に変えていくためのプロセスこそが若者の思春期の特権でもあり人生設計の実験期を大切に生きることの意味合いがあるというようなこと、そこに美しい言葉が生まれる、と説いたのは茨木のり子でした。
ワシはそこまで高級ではないものの、恋愛からヘンタイ、純愛からセックスワークまですべて経験してみて、ここまで異端者として放浪する必要はなかっただろうけれども、放浪したならしただけの意味は自分にはあったなあと思った。だけど、もやもやしていました。その自分で作り上げた壁を突き抜けていく勇気をくれたのはめばちゃんや真理さんの豊かな言葉と経験と深い寛容でした。
ほんとうに良い時間を共有出来ました。
それが証拠に7時間も眠ってしまいました。ジジババにとって熟睡は祝福です。ありがとうございました。

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