人見知り園児の現在地
「すぐ馴染んだね」「人見知りせんねえ」
島根に来てから5ヶ月経ったころ、こんな言葉をかけていただいた。
人は変われるのだとつくづく感じる。
なぜなら、5歳のころの私は、幼稚園で2人の幼馴染としか話せない「THE・人見知り園児」だったから。
幼稚園もも組だった年、焼きいも大会の日に抱えた膝を時折思い出す。
その日は幼馴染のアイちゃんもサエちゃんもお休みで、私は一人で焼きいもをほおばっていた。膝の上にあごをのせ、小さく真っ赤なアカムシがつま先の間を行ったり来たりする様子をじっと眺める。みんな楽しそうでいいな。早く終わらんかな。さみしいな。暑くてやだな。顔上げたくないな。やだな、やだな。早く終わらんかなあ。
誰とも遊べないままちんまり園庭の隅でやり過ごした体感時間が、記憶に刻まれてしまったのだろう。焼きいもの黄色とアカムシの赤と少しの涙の味、それが私の心細さの原風景だ。
小さな孤独は日常に転がっている。
納得できない何かを抱えて時間をやり過ごす居心地の悪さ。
気づいてもらえないことへの心細さ。
伝えてもわかってもらえないもどかしさ。
無神経な声への怒り。
共感も共有もできることなんて本当に少しで、誰かの痛みはその人生を歩んできた当人にしかわからない。
でも、私はその痛みに寄り添っていたい。小さな痛みを「そんなの耐えて当たり前」と言うのではなく、「痛かったんやねえ」「ここなら大丈夫よ」と言える人でありたい。
人は変われる。これは、私が持つ信念だ。
そして、変化のそばには時に痛みがある。
何でもできる気がしていた、でも誰かに守られていたかった頃の自分を忘れぬままに、少しだけ誰かの傘になれたら幸せだ。ぽろりと本音をこぼせる相手でいられたらなあと思うのだ。
楽しい話を一緒にしよう。おいしいものを一緒に食べよう。こんな気持ちで、津和野の町と高校をうろうろしている。
あなたとも、いろんなお話ができたら嬉しいです。
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