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労働の対価日記

9/1 日
昨日書いた8月の振り返りの記事内容が大容量すぎて力尽き、なにも書く気になれなかった。遊びに出かけたのでいつかどこかで書きたい。だいたいこういうことが後回しになって月末にまとめたり一生書かなかったりする。旅行の話もジブリパークの話も書く書く言ってて一生書いてないし記憶はどんどん遠ざかっていく。

どこかの国のお菓子らしいが全ての情報を忘れた


9/2 月
思いついて買い物に出かける。服や靴やアクセサリーなど、店で買い物するたびにアプリのダウンロードをすすめられてスマホのストレージ残量がそろそろ悲鳴をあげそうだ。

30過ぎたらある程度いい服を着ないとなんだか決まらない気がするのは私の考えすぎなんだろうか。なんだかそこら辺のバランスが難しくてセンスを磨くことを怠っていた。学生→社会人への移行が上手くできずに洋服を買いに行くたびに一から調べるアパレル流浪の民みたいになっている気がしたけど最近やっとここに行けばきちんとしてて自分の好きな服が見つかる、というブランドがわかってきた気がする。

貯金するためには収入が増えても生活の質を変えない。というのが通説だけど、それだけじゃなくて着実に歳を重ねているわけで、気を遣ってそれ相応の格好をしてないとだらしなく見えてしまう気がして怖い。たんに若々しく見えるんじゃ無くて格好が酷すぎて幼く見えて、学生に見られて喜んじゃうおばさんみたいな(誰それ)。周りが煌びやかだから余計そう思うのかもしれない。コミニティーが変われば気にならないのかも。

そういう外的要因とは別で、私自身もかわいい服(可愛らしいよりときめくという意味が近い)が着たいわけで、大学生の時に憧れてたブランドの服を即決で買ったり、さらに憧れのブランドができたりするとわくわくする。欲しいものをそのままの意味で買えるようになり、いきたいところに迷わず行けるようになり、このために脳みそと心臓に汗水垂らして労働してるんだと時々思う。というかそう思わないとやってらんないですよ。

無印のカレーイズ最高



9/3 火
ご飯の支度をしていたら夫に「最近なんでアンパンマン歌ってるの」と聞かれた。全くの無意識だった。

家に子どもがいてアンパンマンを観てるとかそういうわけでもないのに無意識に口ずさんでることが怖すぎるしなんなら会社でもやっちゃってる可能性ある。「次やってたら教えて」と頼んでおいたし会社の人にも聞いてみるか。


9/4 水
(報告)さすがに会社でアンパンマンを歌ってなかった。
目が覚めてツイッターを開き、秋も帰りも電車の中でツイッターを開き、帰ってからもツイッターを開くという完全依存症がまた最近戻ってきてしまった。呼応するように本が読めない。読みたいのに!


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