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「ご注意ください」で、突き放してしまわないように

今日はちょっと屁理屈から始まります。

最近、気温の変化ありすぎじゃないですか?
朝ひんやりするわーって思ってたら、陽が出てきたとたんあちーってなってます。(高低差ありすぎて耳キーンてなるわっっっ!!)

私は朝のニュース番組で天気予報を確認してます。
最近変な天気が多いので、「体調管理にご注意ください」の言葉で最後締めくくられてます。

屁理屈な私はこう思います。
「ご注意くださいって言われても、どうしたらいいんや・・・」

他にも、駅で見かけた「鳩のフンにお気をつけください」や
山道でみかける「落石にご注意ください」なども。

書いた人の気持ちや親切心はわかるんですけど、
私たちは結局どうしたらいいんだ?って思うときがあります。
上見ながら歩く?

「○○注意」の看板が視界に入っただけで、無意識パワーで気を張ってくれて事故を防ぐ、なんていうこともきっとあるんでしょうね。(知らんけど)

看板があるにもかかわらず失敗してしまったときは、かなり恥ずかしいものです。
清掃中のトイレで「足元注意」の看板があるにも関わらず、つるっとバランスを崩した時、
看板から「だから言ったでしょ」っていう冷たい視線を感じます。

看板があるからって「ほらこっちはちゃんと警告してたんだから」という態度はとってほしくない!!もっと優しくして!笑

そういうわけで、文章を作るうえで
読み手のことを考えずに、情報や注意を渡すことは気を付けないといけないなと思いました。

私は仕事で、お客様に読んでいただく「おしらせ」文章を作ることがあり、注意喚起の文章を作ることもあります。

私が気を付けているのは、できるだけ「だれが」「なにを」「どのタイミングで」「どうすればいいのか」をわかるように気をつけてます。(基本ですね)

あとは、読み手が気をつけようがないものは、いっそお知らせしないという選択をすることもあります。

注意喚起はお客様に不利益なことが生じる可能性があるので、お伝えするべきなのです。
ただ、不利益になることの大きさや、発生する頻度・確率、事象の複雑さなどを考慮したうえで、余計な不安をあおってまで伝えるべきことか?を一度検討します。

情報は一方的に与えればいいってものではないですよね。

私たちは書き手でもありますが、いつだって読み手でもあるので、読み手で感じたもやっとした気持ちは、書き手の自分で反省できるんだな~と
このnoteを書きながら思いました。

おわりっ!

最後までお読みいただきありがとうございました。

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