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福祉を目指すあなたに贈るぼくの物語

これは、僕がこれまでの僕と福祉で働こうと思ったきっかけから、今の僕とこれからについて、福祉を目指す誰かに届けばと思い、書き始めたぼくの物語。

1988年5月1日大阪府東大阪市に僕は生まれた。
友達と遊ぶことと、ゲームをすることが大好きで公園で友達と遊ぶか家でゲームをするかで忙しかった子供時代。
僕のお父さんは、鹿児島出身で僕のお母さんはシンガポール出身。
だからか両親よりも外国人顔とたまに言われることも、、、笑
お父さんは、寡黙であまりお話しした記憶はそう多くありません。そんなお父さんと僕が大人になって、結婚して子供だ産まれてからは、毎年大晦日をお正月を我が家で一緒に過ごすようになって、お酒が入るとすごくよくしゃべってくれるので一年に一回の一つの楽しみになっています。

ちなみに両親は、僕が大学生の時に離婚しています。
僕のお母さんは、すごく陽気ですぐにいろんな人とお友達になっちゃいます。でも実は、最近になって知ったのは、昔は外国人というのもあって、差別を受けていたそうです。当時のお母さんはまったくそういうことを悟られずにいつも明るかったです。そんなお母さんの血を受け継いでいるからか、僕も自宅にいるとき以外の時は、人よりしゃべる方です。自宅にいるとき以外はというのは、自宅ではお父さんのようにあまりしゃべらないからです。

こんな僕の幼少期の夢は「ウルトラマンセブン」になることでした。
これに関しては、全然記憶になく高校生ぐらいの時に試験勉強しているフリをしているときにたまたま見つけた保育園の思い出品で知りました。笑

そんな僕が、初めて障害のある方に出会ったのが小学生の時でした。
車いすに乗っていて、いつもひまわり学級にいる1つ上のお姉ちゃん。
その当時は、まったく気づいておらずこの人はこういう人としか認知しておりませんでした。(今の仕事を始めてからあの人障害者やったんやと大人になってから気づきました)
ひまわり学級には、少し大きなトランポリンがあって、運動場で遊べない雨の日にたまに遊びに行くことがありました。そのときにお姉ちゃんが居て、たまに話しかけていたようなかけていないような表情の記憶はあるのですが、それ以外はあいまいです。

そんな出会いもありましたが、この頃の僕は、福祉も障害も言葉自体も知らず全然興味がありませんでした。
いつも学校が終わったら、友達と公園に集まっておにごっごしたりかくれんぼしたり高学年になると、グローブをもって公園に行きみんなで野球をしていました。野球を観るのは、あまり好きでなかったのですが、身体を動かすことが好きで土日以外は基本公園で友達を遊んでいました。
ちなみに、仲のいい友達がいるからという理由で、小学校ではバスケ部に所属していました。

小学校と中学校とで、僕には毎年同じ夏休みの思い出があります。
それは、毎年決まって夏休みは一人でシンガポールに行くことでした。
いつも一人だったので、家族との思い出はなく、いつも寂しい気持ちだったのですが、大人になって知ったのが、実は僕が一人でシンガポールに行きたいと言ったのがきっかけだったみたいです。笑

全然そんなことを言った記憶がなくいつもなんで一人やねんと思ったこともありました。向こうではいつもおばあちゃんとおじいちゃんと過ごすことがほとんどで当時は一応英語(シンガポール英語)で会話もしていましたが、今ではうまく発音できず、簡単な英語での会話しかできません。YES,NO,OKとかね。一人で行くことに嫌なことばかりではありません。いつも行きの空港でゲームのカセットを買ってもらえるとか、僕は果物の王様ドリアン

ドリアンを食べる僕

が好きなのでそれが食べれるとか帰る前日には親戚のみんながおもちゃを買ってくれたり、帰る当日はにみんなからこづかいがもらえたりと、うれしいこともありました。
一番困ったのは、夏休みの宿題の問題が分からないときに聞ける人がいないことでした。算数は計算だったでの教えてもらうことができたのですが、それ以外はどうしようもありませんでした。

こんな僕が、福祉の道に進もうと思った一番のきっかけは、中学生の時の職業体験でした。
この続きは、また今度。笑

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