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自己PR

はい。私が学生時代最も力を入れていたことは、サークル活動です。

私は1年間、100人超の部員を擁するサークルの幹部を務めさせていただきました。

自分が幹部を務めた1年を通して、私は様々な社会人と関わり、様々な集団をとりまとめていきました。

苦労した点もありますが、1つのコミュニティのリーダーを務めたという経験は、私にとって大きな成長材料になりました。


しかし、この経験を通して、自分は「寛容」ではないことに気付きました。


例えば、私は私語が本気で許せません。


人前で話したりプレゼンする機会が増え、それに慣れていくことで、だんだんまともに聞いていない人の存在が目立って見えるようになりました。

人が話しているのにスマホを触っているとかそんなことは無視すればいいだけの話ですが、私語は周りにも悪影響を与えます。

いつの間にか私語をする人達に対し、殺意にも似た感情が芽生えるようになりました。

自分が話している場合に限った話ではありません。

授業中でも教授が話しているのに私語がやめられない人がもう、人間には見えなくなりました。
猿やカラスに見えていました。

そんな動物達に、後ろからシャープペンシルを突き刺しそうになったことは何度もあります。

しかし、「場をわきまえて行動を制御する」ということは人間のみが有している能力です。もし私がここで欲望に任せて行動すれば、それはあの動物たちと同じ畜生道を歩むことになってしまいます。

こうしていつも、ギリギリのところで踏みとどまって参りました。



幹部として広く社会人として関わっていくなかで、ビジネスマンとしての基礎力も身につきました。

具体的に申しますと、スケジュール管理を徹底したり、「報・連・相」を常に意識するようになりました。


しかし同時に、それができない人が許せなくなっていきました。

よく期限を守らなかったり連絡を怠ったりする人が「そういう人だから」という理由で許されることがあります。

私は、それができません。

「天然」とか「おバカさん」は「人間としての土台」がちゃんとしているうえで成立しているキャラクターであり、その土台に欠陥があることはキャラに押し込んではいけないと思います。

どれほど運動神経が悪くてもコミュ力がなくても低学歴でも、期限を守ることはできるし、もし守れなくても連絡することは絶対できるはずです。


ただ確かに、どれだけ言ってもできない人はいるでしょう。

そういった人は、LINEのひとことを「私はどれだけ言ってもできない人です」とかにしていただきたく存じます。
それも「連絡」のひとつではありますが、1回設定すればいいだけです。
私が好きなお笑い芸人の言葉をお借りするなら「あたおかなら先言うといてくれ。」といったところでしょうか。



お聞きの通り、私はこの1年を通して多くのものを得ましたが、この多様性を認めていく時代の中で最も必要であろう「寛容さ」を獲得することはできませんでした。

社会に出てもこの不寛容さを武器に、合う人とだけ力を合わせて頑張っていきたいと思っています。



面接官「なんて正直なんだッ!!!!!!!
採用ッ!!!!!!!!!!!!!!」



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