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ケーキが切れる非行少年

「明日死ぬかもしれんのに勉強とかバカじゃね?」
と、クラスのヤンキーに言われたことがある。

これは訳もわからず周りに合わせて勉強していた中1の僕にとって衝撃的な発言だった。

ただ、別に衝撃だったからと言ってバンドとかを始めたわけではない。
衝撃を受けながらも勉強を続けて、もう大学生になってしまった。



若くして亡くなった人々には必ず「志し半ば」という言葉が送られる。

そりゃそうだ。

もし僕が明日アクセルとブレーキを間違えた老人に轢き殺されたとしたらめちゃくちゃ悔いが残る。

未来のために大学に入って、未来のために法律を守って、未来のために毎月1万貯金してきたのに、その未来が果たせずに死んだら絶対成仏できない。

しかし、未来のことなんてどうでもいいと言わんばかりに毎日を自由に生きていたら…。
いつ死んでも悔いは残らないかもしれない。



きっと、僕がボケ老人に轢かれて死んだ時、世間からは未来のない“老人”が“若者”の未来を奪ったことに対する悲嘆の声が上がるだろう。

だが、若くしてドラッグかなんかで死んだロックスターには何か英雄のような称号が与えられる。

世間からは、悼むというよりむしろ栄光を讃えるような声が上がるだろう。

今を楽しく生きて、程よく人を傷つけて、程よく盗んだバイクで走り出しながら生きていれば、死は神格化されるのかもしれない。

自分自身が悔いなく死ねて、周りからも英雄視される‘’不良“という生き方が徐々に素晴らしいものに思えてきた。

そんなことに今更気づくなんて、ボケているのはどっちなんだ。



僕には、「更生した不良より、ずっと努力してきた真面目な奴の方が偉い」という理屈を偉そうに語る時期があった。

こんな文化系の人間なら100万回は感じたことのあるような理論をデカイ顔で言う奴は絶対に偉くない。

あとその理論は正しいのかもしれないが、それを自分から言う奴は絶対に偉くない。

また、ここで言う「偉い」というのは「難易度が高いことを成し遂げている」という意味でしかない。

自分で勝手に茨の道を行くことを選んでおいてそのことを威張り出すなど、やっぱりバカなのではないか?





頭にニンジンをぶら下げた馬のように、「未来」というよくわからない概念ぶら下げ、それに向かって盲目的に走る。

それはそれで健全ではなさそうだ。

もっとビッグダディみたいに後先考えず行動してみても良いのかも知れない。


僕は最近、毎月の1万円貯金をやめて毎日コンビニスイーツを食すようになった。
これはめちゃくちゃな非行である。

ただ、この習慣を身に着けてから「20代でこれからの人生ほぼ決まるから!」みたいな言説にビクともしなくなった。

「それ言うやつが30代で死んだらウケまふね~モグモグ(モンブランを頬張りながら)」としか思わない。

僕はこの年になって少しずつグレ始めているのかも知れない。

中1の時の衝撃が、今になって絶望的な時差で襲いかかってきている。


ああ、今日もワルの血が騒ぐ。

お前どこ大だコラ。

現実を見ろとか言うけどよォ、

どこにあんだよ?その現実ってのはよォ!

俺ァな、明日には知らない老人に轢かれて死ぬかも知れない男だぜ?

やんのか?

見とけよ。一暴れしてやっからよォ!!!



そう心の中でメンチを切って、僕はロールケーキのセロハンを剥がすのだった。


















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