文芸ビジネスは読み手主体から書き手主体へ

 文芸ビジネスは読み手主体から書き手主体に移りつつある。
 「小説家になろう」やエブリスタ、カクヨムなど、小説投稿プラットフォームが普及していく一方で、文芸出版社の売上は低下しつつある。エブリスタはDeNA、カクヨムはKADOKAWA、monogataryはソニーミュージックなど、小説投稿サイトの多くは大企業やその系列子会社によって経営されている。それだけ小説投稿サイトは多くの企業によって参入され、今のSNS時代に適合したサービスだといえるだろう。

 その一方で、小説の売上は低下する一方だ。

 上記のサイトによると、文庫本の売上推移は以下のようになっている


(https://shuppankagaku.com/statistics/paperback/)より引用

 2006年あたりから、文庫本の売上は低下傾向であることがわかる。これはスマートフォンの登場やインターネットの普及と連動していると考えられる。つまり、インターネットやスマートフォンが普及したことで小説投稿サイトは発展してきた一方、文庫本は低迷傾向にあるという対比構造が浮かび上がる。

 インターネットに関係したこのような構造が、文芸ビジネスにもたらしているものは何か。それは、読み手主体から書き手主体への移り変わりである。SNSによって誰もがメディアになり発信ができる現代、小説は読むものから書くものに移りつつある。また、SNSや動画メディアなど様々なエンタメが普及したことで、頭を使い時間がかかるエンタメである文芸を読むのに、多くの人が時間をかけられなくなっている現状もあるのだろう。そのような背景から、文芸ビジネスは読み手からお金をとる時代から、書き手からお金を取る時代に移り変わっているのではないか。

 しかし、究極的にはどちらも存在しなければ、書き手は表現欲や承認欲求を、読み手は知的好奇心を、満たすことはできない。問題は、人々が以前ほど文芸を読むことに興味を示していないこと、むしろ書くことに興味を示していることにある。今まで、小説は読むことが主体にあって、その発展先として書くことがあった。しかし、現在は書くことが主体となって、「より多くの人に読まれるためにはどうするか?」という流れから読むことに移っている人が多いように思える。だからこそ、多くの人を市場に引き入れる用水路の整備の仕方を、根本的に作り直さなければいけないのではないか。

 そうなった時に、能動的に本を探しにきてもらう。という従来の書店ビジネスの構造は時代遅れと言わざるを得ない。もっと、売り手が能動的に情報を発信し、読者が受動的に情報を受け取る。その構造を作るためには発進する側にそれ相応の発信力が必要となるため、インフルエンサーや著名人の力を借りることが不可欠となる。出版流通や書店のYouTubeチャンネルが最近は多く見られるようになったが、あれは書店に人々を引き込むための動画である。しかし、これからの時代、書店そのものの形から見直していくことが必要になっていくのではないか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?