なくても、大丈夫。
自己肯定しよう。
自己肯定感を高めよう。
自己否定やめよう。
自分責めをやめよう。
自己否定、自分責めをやめたら上手くいくよ。
自信を持とう。
責めてしまう自分も許そう。
スピリチュアルや自己啓発などでよく言われる言葉。
それをしているから、私は上手くいかないんだ。
現実が変わらないんだ。
やめなくちゃ。
なかなかやめられなくても、そんな自分も許すんだ。
でも、そんな自分も許すことなんて出来なくて。
あぁ、だからやっぱり私はダメなんだ。
私なんて…。
と、負のループ。
でも、ある日、ある人に
「私なんてって、思っててもいい」
そう言ってもらった私は軽くなりました。
これでもいいんだ、と安心した。
今でもひどいけど、
数年前はもっともっと自己否定が激しくて、
もっともっと自分に自信がなかった。
それでも、自分を変えたくて、
夢を諦められなくて、
引きこもりみたいな生活をして
人から遠ざかっていたけれど、
人の輪に飛び込んで、
仲間を見つけて夢に向かった。
その夢も結局は叶えられないままになってしまったけど、
その夢に向かうためにいろんなことをした。
いろんなことが出来た。
動く前の私からしたら、
信じられないことをやってきた。
考えられない未来があった。
自己否定激しくても、
自信がなくても、
出来たことはたくさんあったんです。
やりたい。
でも、自分がやれるのか。
そんな思いを抱えながらも、やりたいからやってきた。
100%の出来、全てが思い通り、という結果ではなくても、
確かに「出来た」ことはたくさんあった。
それを見過ごしていた。
なかったことのようにしていた。
逆に、自信があっても上手くいかなかった、
ということだって、生きてきてたくさんあった。
自信のあるなしだけの問題でもないんだな、
と気づいたんです。
自分の自信の問題だけじゃない。
人や場所、環境などなどいろんなものが関係してくる。
だから、自分に自信がなくったっていいんだ。
自己否定してても、
「私なんて…」を抱えていても、
自分でもびっくりするほどのことをたくさんやってきた。
だから、このままでもいいんだなって。
…まぁ、結局は
「私なんてのままでいい」
「自信を持てなくてもいい」
というのが、自己肯定に繋がるのでしょうけれど(笑)
はじめに書いたように、
責めてしまう自分も許そうとか、
自信がないままでもやってみようなど、
そのように言っている人ももちろんいます。
でもやっぱり、
自己否定してたら上手くいかないよ。
とか、マイナスな方が記憶に残りやすくて。
あー、やっぱり、自己否定しているからわたしはダメなんだー。
と、そっちばかりを見ていましたが、
そんなことなかったんです。
自分のこと、ちゃんと見てなかったんです。
スピリチュアルなことが受け入れやすくなったり、
目には見えないものが大事になるとか言うけれど、
目に見えるもの、
この体で体験できること、してきたこと、
そんな現実にも大切なこといっぱいあるよ。
そっちもちゃんと見る、知る。
それが大事なんじゃないでしょうか。
宇宙、宇宙と言われるけれど、
やっぱり私達は地球に生まれた人間なんだから。
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