月の視線にたえかねたって。
月世界へ行った。
音楽の世界へ行った。
やり場を失くして追いやられた昭和の活力たちが、やっとこさたどり着くことのできたそこは、薄暗く、ほのかでしかし優しげな空間だった。
何回かの瞬きが終われば、用なしみたく扱われた亡霊たちのすみかでもあった。
不便で面倒なanalogの香りと誇りと同情が、所かしこに散って、ふわふわしながら逃げ回っていた。
過去に満たされていた。
見た目も生き方も年齢も、もちろん生き様も、性別以外のすべての異なる才能にある種の崇拝を持ち続け、幾年超が経った。
ラジオから流れてきた波長と歌詞に、高校生であった僕はたしかに救われた。
それはシンクロニシティであった。
深いところにある大事なものが似ているような気がした。
勝手にそう思った。
鳴り始めた音や声や詩は相変わらずに格好よすぎた。
舞上がって、コロナ禍は正に消え去った、あとのようだった。
みんなは笑顔なのだ、昇天しているのだ、楽しめないはずはないのだ、そう言い聞かせてみたって、え、自分だけが上手くその輪に入っていない、いけない。
変にクールになって俯瞰してしまうのだ。
取り残されてとうとう追いつけなかった、そんな空っぽな余韻だけが泣きべそのようにへばり付いた。
もしかしたら、初めから何一つ、共通点なんかなかったのかも知れないと、脳裏が震えた。
もう二度と行けないのではと、不安でよどみかけたけれど、いや、来月と再来月には大東京に行く聴く予定なのだ、と思い出してやっと安心した。
月の世界を足早にひっそりあとにした。
TV watching!
「日本の探査機が月に到着しましたあ」
ひとつのあばたも出来たことのないようなニュースキャスターが嬉しそうに言いました。
みんな拍手で大喜びです。
真面目に無知なのですが、月まで行くのには、どのくらいのガソリン?がいるのでしょうか。
バイクの燃料タンクしか浮かばないけれど、きっとセンスに光る流線型のような気がしています。
無人ならまだしも有人であれば、いろいろな心配も浮かんできます。
もう引き返せない遠いところまで来た、そんな宇宙の空で、燃料タンクにヒビが入ったり、前に進めなくなったりしたり一体どうするのだろう。
予備の燃料タンク10個はいるよな。
と書きかけて、そんな心配症、月に向かわんよ。
あと夜の間に間に合うようにこっそりと着くわけじゃないのに、太陽に焼かれないのでしょうか。
地球と月は一直線なはずなのに、月に向かって飛んでいる飛行船が見えないのも不思議です。
空を見上げて、もしも月が出ていたのなら、それはプライベートな時間であるから、よほどの知り合いや仲でなければ、電話をしたり訪ねて行ってはいけないのだと小説にありました。
面白いこと書くなあ、面白い心の持ち主であるなあ、と思わず緩んでしまいました。
月はいつも地球を真顔で見ているわな。
たまには笑ってもらわなな。
堂々としているから、逃げないわな。
たまにかくれるけれどな。
月の後頭部には何にもないわな。
日焼けできないから青白いしな。
だからってそんなに近寄って顔を覗き込まんでな。
照れるわ。
たしかこの間、無邪気にそのようなこと、おっしゃっておりましたよね。
お月様、今宵また会いましょう。
グッバイグッナイ、、、
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