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私たちはただの細胞の塊


生きることに疲れた時、受精卵の細胞分裂を見ると少し落ち着きます。

私って最初コレ↑だったのに、いつから「生き方」とか言い出したんでしょうか。生まれて死ぬだけやん(悲観しているわけではありません)なんか過去にも書いた気がするのですが、気楽にいこう、生きてるだけで丸もうけ!と言われても「そうですね」となってしまう。で、この感じはどうしたらいいですか。(この感じとは)何かと真剣になりすぎてしまう。

最近、どんなに時間があっても自分の時間が足りてない気がしていました。こんなにも1人の時間があって、寝る前にゆっくりジャーナリングをしても、なんかずっと何かがぼーーーっと辛い。自分の時間が足りないのではなく、届かない領域を理解する言葉を無闇に探してるだけだったと思う。「書き足りない」はなんか違う。書けない。自分の中にいろんなものが渦巻いているのに書けない。となったときに、ふと受精卵の細胞分裂を見てみたくなった次第です。

そしたら、人間の心ってなんなん???って疑問に思って調べてた。色々出てきたんだけど、今は「あなたはどう思いますか?正解はないから考えてみよう」とかそういう気分じゃないので、人間っていう生き物としての作り的に、心っちゅうもんはどういう風に解明されてんだい、今んとこの正解はなんなんだい、というのを求めていたら、神経科学というものにたどり着いた。難しすぎて読めなかったのでchat GPTに小学生でもわかるように変換してもらった。

まず、私たちの心は脳です。でしょうね。(こんな小学生はいやだ)
私たちの脳の中にはニューロンという細胞がたくさんあって、その子達がお互いに電気信号を送り合っている。このやりとりが、私たちの考えや気持ちを作り出すのだそうです。

ニューロンたちのやり取りには、道具が必要らしい。その道具は「神経伝達物質」という。例えば、楽しい時には「ドーパミン」がたくさん使われて、これはやる気や快感を感じさせてくれる。「セロトニン」というやつは、気分を安定させたり、心を落ち着かせてくれる。これらの道具が不足すると、ニューロン同士のやり取りがうまくいかなくなる。

じゃあ私たちがよくいう「心が傷ついた」ってどういうことなんだい。ニューロン同士が縁を切ったってことなのかい。

私たちの脳みそには、感情を取り扱っている「扁桃体」っていう小さな部署があるらしい。形はアーモンドに似ているらしい。可愛い。その部署では、悲しみや怒り、恐怖、喜び楽しみ、いろんな感情が生まれている。ここで「悲しい」「辛い」などの嫌な感情が生まれたとき、さっき言った「セロトニン」ってやつが減るらしい。セロトニンは気分を安定させ、気持ちを落ち着かせてくれるものなので、これが少なくなると、ニューロン同士で「楽しいね」「嬉しいね」っていうメッセージが伝わりにくくなる。だから、心が疲れたり悲しくなったりして、元気がなくなるらしい。

「生きるのが疲れた」って、どういう状態なんだろう。私は自分に厳しすぎると思った。別に誰かに意地悪をされたとか、外から悪いことが飛んできたわけでもなんでもないのに、セロトニンが減って、悲しくなっている。これは自分で自分を悲しませているということになる。どうやって自分で自分を悲しませているのか。

それは「より良い自分になりたい」という気持ちだと気付いた。「そんなんじゃダメだよ」って自分に言い続けている。直接そう言っているわけではない。そこまで私は自分に意地悪してない。だけど、いろんな無意識な行動を通して、自分に対して「そんなんじゃダメだよ」という態度をとっている。何かができなかった時の「情けない」という感情もその態度の一つだと思う。情けない、という感情は「こうあるべきなのに、できてない」という気持ちだと思う。いつも、自分に「生きてていいよ」と言われるために何かをしなきゃいけないと思ってる。心の奥でいつも「何かをしていないと自分はここにいてはいけないんだ」と思っている。

なんか神経科学の説明からなかなか小学生の口調が抜けないんですけど、心地いいのでこのまま行きます。

真剣に生きることはいいことだ。頑張って自分を幸せにしようとしているんだと思う。一生懸命、あなたは不十分じゃないよ、生きていていいんだよ、大丈夫だよ、と自分に教えてあげているのだと思う。でも、わざわざ「あなたは生きてていいんだよ」って言われるのって何かおかしくない?なんでそんなこと言われなきゃいけないの。生きてていいと思えていないから、言い聞かせたくなるんだろう。大丈夫じゃないから、大丈夫だよとわざわざ言っているのだろう。これは「真剣に生きる」ということなのか。

誰かがいう「ありのままで生きている価値がある」とか「自分をゆるそう」とか、そういう言葉を聞き入れることも、自分に「こうしよう」とか言うことも、今の自分には苦しい。それで「よし、自分をゆるすぞ」ってゆるせるんだったら受精卵の細胞分裂なんか見ない。今の私にとってそれを聞き入れることは自分への「今じゃダメ」という態度であるように感じる。だから、真剣に生きることをやめようと思った。「やめるぞ」と思ってもできないから、受精卵の細胞分裂の動画を見ることに辿り着いたのだ。自分にかける言葉が見つからなくて、こうしようああしようとか、大丈夫だよとか、そういうのもういいや、ってなったんだと思う。今の私を癒す言葉はない。そして私は自分をわかってない、、!

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