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「共感」について思うこと


前回の投稿で、コイツ限界じゃん、、!って思ったのであの後カウンセリング受けました。

普通にやってたことが物凄く疲れるようになってることに気付いた。お風呂をたぶん3日?サボった。お風呂、部屋から4歩なんだが。耐えられてたことも耐えられなくなって、人と関わるのも億劫で気力ない。頑張らないと普通でいれない。
ママが少し心配してくれたけど、大丈夫!って嘘つくこともできなければ「ちょっと大変なんだよね」ってその内容を説明する気力も英語力もないので困った。悲しい?って聞かれて頷いたら背中ポンポンってしてくれた。

カウンセリング、いい先生だったと思う。雪山に遭難してたら救助ヘリが来たような気持ちになりました。救助はされてません。おっ!と思えた感じです。あの瞬間の感じ。遭難したことはない。この、おっ!は大きい。感謝です。隕石落ちて全部終われって思ってたので。確実に自分を助けたい。

相談内容は複雑ですが、ザックリいうと孤独感と不足感という普遍的なものです。孤独感はひとりぼっち。不足感は、100%完璧な自分を目指しているというよりは、生きるために理由がいるような、0になるために頑張っている感じです。時々誤解されちゃうんだけど、私がいつも何でも自分で解決しようとしたり、何かができなくて情けなくなるのは、自分でできると思ってるからでも、周りを信頼してないからでもなくて、、自分できるかできないか、人に頼れるかどうかとかそういう問題じゃなくて「できる必要がある、そうじゃないといけない」という必死。あと臆病なんだと思う。辛ければ辛いほど一人になりたくなってしまう。困ったもんです。笑

幼い頃から自分で自分をビシバシやってきた私は、専門家に「あなたの抱えているものは大きく、それは辛いと思っていいものです」と言われることはとても大きかった。私の苦しみ(孤独感と不足感の絡み合い)の構造を私以上に深く理解している人が、それを説明した上で共感してくれた。そんなとこまで理解して言語化してくれるんですね、みたいな。感動と安心。人生で初めての感覚でした。もちろんたった1時間のセッションで全てを話せたわけではないのですが。生きるのが辛いと思うことを初めて自分に許可した気がします。ちゃんと苦しめるってすごいことなのかもしれない。

私の状況は特に珍しくないと思う。人によっては私が今味わっている辛さを一生感じずに生きてくことも可能だとと思う、くらいのやつです。だけど私の受け止め方というか、捉え方というか、自分が持ってるいろんな性質や経験が複雑にごちゃごちゃに絡み合って苦しみを生み出している。でも要らぬ苦しみって感じはしない。苦しむべくして苦しんでる。そりゃそう、とは思う。なんか心って宇宙みたいです。それくらい未知。果てしない。呆然。さよなら!(いい諦め)


いやでも、なんか難しそうなことや、なんか面倒なことや、なんか傷つきそうなことから逃げて「こんなもんだ」ってそれなりに幸せを感じて生きていけたと思う。それができたら全然それでよかった。それが自分が思う幸せならそれが全てだから。だけど今の私は、大きな失敗からの学びとして一度本気で自分を幸せにしよう、自分に正直に生きていこうと思ってしまったらもうなんか難しそうなことや、なんか面倒なことや、なんか傷つきそうなことからは逃げられないんだと思います。もう以前みたいには戻れない。私の場合は。

先生がやってくれた「あなたの苦しみの意味、構造、わかりますよ」っていうのを、共感的理解というらしい。「あなたの気持ちわかるよ」とは少し違う、共感的理解。

人に話してスッキリするものでもなければ「仕方ない」で受け止め切れるものでもない、これ以上辛い思いをする気力がないので人に話すこともできなくて、そもそも言語化が難しい。先生はそこらへんの理解もあった。私何も言ってないのに。占い師やん(違いますよ)むやみに誰かに頼ろうとしたり理解されようと行動することもNGだったみたい。負担が大きすぎて体にも出るからやめてね、とのこと。キツいな〜と思って頑張るのやめてから一気に逃げ場の無さに絶望した感じがします。八方塞がり。

「アナタには他者からの共感的理解が必要だったと思います」と言われたがこれはプロじゃないと難しいと思う。カウンセリング受けてよかった。先生は謙虚な方だったので、うちに来て正解だよ!みたいな人ではありませんでしたが笑(いや、それだったらちょっと怪しい)
てか共感的理解って学ばないとなかなかできないことだと思う。必要な人は沢山いるだろうけど。自分じゃない誰かに理解されたって感じられることってすごく大事だと思う。簡単じゃないけど。

先生は「あなたの孤独感は、あなたに勇気がないとか、言葉が上手じゃないとか、努力不足ではありませんよ」と。私もそう思います。これもなんか、そう思いたいとかでもなく、これ以上自分のこと傷つけられないとこまで来てる感あります。先生の言うNGなことを自分でやめてたのが結構嬉しかった。自分の感覚に素直になれている感じがして(それかただの限界笑)。受精卵の細胞分裂を見始めたのはのある意味正解だったのかも〜前回記事。

自分に対して共感的理解をできるようになることが大切だよ、とのことだった。かなりできてるよ!とも言ってくれた。自分のことよく理解して、説明できてると思いますよ〜、と。だけど、私は「理解」はできたかも知れないけど「共感」ってやってこなかったと思う。こういう理由で苦しみがある、というのはわかるけど「これは苦しいことだよね」「辛いよね」とは言えてなかった。感情を受け止めるという作業?段階?がゴッソリ抜け落ちてるから。きっとこれまで、自分が経験したことないことで苦しんでる他人に対してもそうだったんだろな。自分が経験したことあることも偉そうに分かったようなこと言ってたんだろう、、気付けてよかった。

では、明日から感情を受け止めましょう!で終わらないから良い。さっそくケアを実践中。地味です。でも今がたぶん人生で一番自分に優しい。まあとりあえず疲れた。そのケア以外、自分になんも課してない。疲れたので(わかったよ)。

ではまた!

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