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日記2024.4.30 "かなしみ" の島

 昨日はまた嫁と二人伊計島に行った。嫁とのユニット、Dois:Pontos で新しく作ったアルバムのジャケ写を撮るために。新しいアルバムのタイトルは、『urizum』。沖縄の春を告げる言葉"うりずん"からとったタイトル。このところ雨が続いてるけど、沖縄の雨はまたいいと僕は思っている。一般的に、沖縄と言えば、"南国" "パラダイス" "太陽" "底抜けに明るい" みたいなイメージがあるだろうけど、僕は沖縄に暮らしてみて少し違った沖縄を感じている。
 先ず一番感じるのは、"かなしみ" かもしれない。これはnoteでも何度か書いてきたかもしれないけれど。もちろん、照りつける太陽のイメージも間違っていない。けれど、やはり根底にあるのは"かなしみ" なのだ。その"かなしみ" は決して、先の戦争で多大な被害を受けたということだけではない。つまり、"悲しい" という悲痛なイメージだけではない。沖縄が持つ"かなしさ" とは"愛おしさ" や"やさしさ" にも繋がる、極めて深い、弾力のあるイメージだ。凄惨な場面を抜けてきた、経験してきたという物理的な悲しみのイメージではない。悲しい事象が起きたから悲しい、というようなものではないのだ。ただただ、"かなしい" ということ。僕はそこに沖縄の美しさをみる。
 最近、改めて、今自らが暮らしている沖縄という地を、自らの目を通して"視た" 沖縄を作品として形にしたいという想いが湧いている。そこで、Dois:Pontos で、そうした沖縄の姿を形にしようとアルバム制作を始めたのだ。
 10分弱の短いアルバムではあるが、現時点で僕らが視ている沖縄が詰まったアルバムになったと思っている。"かなしみ" はもちろん、"雨" や"死" 、"たおやかさ" などのイメージも写し取った作品になった。
 作中には"ame no shima" というトラックがある。
"雨の島" だ。一般的なイメージでは"太陽の島" などはしっくり来るだろう。しかし、"島の雨" ではなく、敢えて"雨の島" にしたのは、原色の明るさではない沖縄を感じてもらいたいからだ。だから、敢えて"雨の島" と言い切った。実際、よく雨が降る。そんな時に、窓を開けて雨の音を聞いていると、わけもなくかなしい気持ちになる。幼い日を思い出す。自分の内側に還ってゆきたいような気持ちになる。そんな感触と、沖縄が持つ慈悲の感触が重なる。だから、沖縄の雨に着目した。
 テンションの高さではない、ただただ漂う湿気を含んだ島風は諦観を想わせる。アルバム制作のためにも最近通い詰めた伊計島にはその諦観の風が路地裏に漂う。
 作品がApple MusicやSpotifyに挙がったら、こちらにもリンクを貼ろうと思う。

 "かなしみ" は、悲惨な歴史を背負ってきたということだけでは語り得ない。時の流れを超越して、その流れの底に横たわるもの。人類が織りなす悲喜劇を見詰めながら、常に祈り続けている母性のようなもの。


今日描いた絵
作品のインスピレーションをくれた
伊計島の集落の中のある景色

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