見出し画像

日記2024.4.22 太陽の熱と潮風の記憶がまだ抜けない

 今日は、早く起きて(僕にしては) 海に行った。海中道路沿いの浜辺に行くのにこのところハマっているのだ。先日嫁と朝早く起きたついでに行ってからというもの、目を瞑ればあの浜辺の白い砂とさまざまな"あを" が広がっている。あの日は、ずっと、太陽の熱と潮風の感触がからだから抜けず、一日中快い疲れと共に在った。ちゃんと身体が疲れてくれてる感じ。思えば、身体がちゃんと疲れるって、大人になってからあまりなかった気がした。心地良い疲れと共に眠りにつけることがこんなにも幸せなことなんだ、と感じている。
 それが忘れられなくて、早起きして海に行く、はルーティンにしようと思っている。
 それで今日も今日とて海へ行った。半ば無理やり起きる感じなので、海へ向かう車の中はかなり頭がボーっとしている。日中の明るい光が余計に脳内をぼんやり照らす。ただ、午後過ぎくらいからからだが蒸発するような強い眠気が来て、それ以降、夕方から夜にかけて次第に細胞という細胞が落ち着くべきところに落ち着くような、幸せな気怠さが訪れる。これを書いている今も、とても快い気怠さを感じている。太陽の熱と、潮風の記憶もちゃんとからだが覚えている。
 思えば今までずっと、夜型まっしぐらだったから、この二週間くらいの朝型生活トライアル期間で、かなり幸福体質(?)になれるのではという希望が強まっている。いやほんとに。こりゃ幸福体質になれるぞ。一日の時間割を決めて動いているのもいい。時間割を組んでみると、案外、一日はたっぷり時間がある。絵も描けるし、曲も二、三曲できるし、こうして文章も書ける。料理も出来る。楽しい。次に何をやるかがある程度決まっていると、"次何をやるべきか" "こんなことしていていいのか" という漠然とした不安はかなり軽減される。今に集中出来るのだ。"中今(なかいま)に生きる" という状態に心も身体もなれる。だって、次何やるか決まってるから、今は今やることだけに集中出来るからね。こういう、"決めて" 動くってあまりやってこなかった。心のどこかで、決めることは豊かじゃない、不自由なこと、と思い込んでいた。
 でも、いざ決めて動いてみると、不自由どころか自由を感じている。決めれば、色々なことが案外出来るのに気付くし、"決めたことをやらない" "破る" という自由も生まれるから。土台があるからこそ、遊びを作り出せるというのは音楽的だ。一日の時間割は一枚のリードシートだ。曲の頭から終わりまで、決めた通りに行ってもいいし、帳尻が合えば、全く違うところに行ってもいいわけだ。土台を基にアレンジを利かせる。即興が生きるのは、土台があるから。ま、音楽に関しては、全くのゼロから即興するのも全く苦じゃないし、むしろ大好物なんだけど。今日という一日を奏でるには、"今日" という予め作曲された土台があると、とても気持ちよく演奏出来るし、アレンジをきかせる楽しみも生まれる。
 考えてみれば、自由は苦痛なものだ。エーリッヒ・フロムが"自由からの逃走"ということを言い出したのもよくわかる。地域や家族などの帰属先がなくなったわけではないが、実感しにくくなっている現代では余計だ。僕には家族も居るし、友達も居るのだが、それでも、自由業だから一日をどう使うかは最終的に自分次第になってくる。嫁意外は基本的に僕の一日の過ごし方に愛ある叱責や導きをしてくれる人は居ない。最終的に"自分" というところに帰着する。ごくごく当たり前のことなのだが、近頃の僕にとっては世紀の大発見だ。沖縄に来てから、有難いことに普段から演奏する場所もあり、レッスンも出来たりしている。ただ、いつしかそのルーティンの中で、"これだけでいいのか?" "僕の志はただ演奏する毎日の中にあるか?" "もっと沖縄に居るからこそ出来ることはあるのではないか" などの想いがむくむくと湧いてきていた。
 そんな中で、思い切って、レギュラー演奏の日を一日削り新たに島村楽器での講師の仕事も始め、嫁と新しいプロジェクトに向け動き始めたタイミングで、朝型に持っていこうという動きも生まれ、一日の時間割も立てるようになった。慣れに支配されず、自分で一日をデザイン出来ているという実感がある。家から仕事場までの決まった道だけを毎日往復していると、その道だけが道だと思うようになるものだし、"名詞" でしか自分の居る場所を捉えられなくなる。沖縄で言えば、家からレギュラー演奏に通う58号線だけが自分の沖縄の景色になってしまうのだ。しかし、裏通りに入ってみると、全く違う沖縄が見えてくるし、歩けば余計に見えてくる。前者の"沖縄" と後者の"沖縄" は、果たして同じ沖縄だろうか?
 僕は違うと思う。世界は無限個数存在しているに違いないのだ。だからこそ、どこの世界に行くか、行ってみようか、自分である程度決める必要がある。でなければ、今まで見た景色を延々と追い続けることになる。その景色の中に変化を見出せるくらいの高度な悟性はまだ僕には無い。むしろ、"違う景色と見慣れた景色の対比の中で、見慣れた景色がまた別の輝きを持って見える" という道を今はとりたい。
 だからここ最近の過ごし方は、毎日を旅するような過ごし方で、とてもいい兆しを感じている。望洋と広がる麦畑を前にするような気の遠くなる不安感とはおさらば出来そうだ。麦畑という自由は、不安を煽る存在になるのか、それとも豊かな土壌と映るのか。己のイメージする力がものを言う。僕は長らくイメージすること自体を放棄していた。毎日が"ある程度" 楽しかったからだ。けれど、次第に満足出来なくなってきた。まだやりようがある。本当の喜びは今のような毎日を続けていても得られないだろう、という胸騒ぎがし始めたのだ。
 この数週間はとても充実して過ごしている。太陽の熱と潮風の記憶と共に。





 海には、キャンピングチェアとギターを持って行き、波打ち際にキャンピングチェアを置いて、波や風、カモメの奏でる音は自らの奏でる音なのだと思いながら、ギターを即興的に爪弾いた。僕が"空間を奏でる" と呼んでいるワークだ。空間"と" ではなく、空間"を" なのだ。空間"と" では、空間はまだ他者である。空間"を" では、空間と自分は不ニだ。その在り方で奏でたいからそういう名前にした。
 潮干狩りをする親子や、おじいちゃんと孫たちの姿が小さく見える。とにかく白い砂浜と海の青が視界の八割くらいを占める。光に満ちていて、僕は自分がどこに居るのかもわからなくなりそうだった。
 それから帰宅し、パルコの中にある"TUKURUTE" さんという珈琲と雑貨の、大好きなお店へ嫁と二人。来月頭に、お店でライブをさせていただくのでその打ち合わせのために。ブルーマウンテンのホットを飲みながら。ワクワクは止まらない。
 その後は、那覇でレッスン。今日は、クラシックやポピュラーをやってきたという経歴のある方へのレッスン。彼女のもともとある感性にアプローチ出来ていることを毎回実感している。俄然気合いが入る。多分、そこら辺のプロのピアニストもほとんど意識したことがないことを教えているし、彼女はそれを吸収している。彼女の場合大体隔週でのレッスンだが、次回までの間に大きく変化しているのがわかる。僕からすれば、変化に重要なのは、内的なものなのである。つまり、認識だ。練習を積み重ねること以上に、認識を変えることが最も重要である。だから、どこか先の未来に"出来るようになる" みたいな考え方とは、僕は少し違う。変化は"今"起きる。例えば、老婆にも若い女性にも見える絵のように。老婆に見えていた人が一度若い女性に見え始めると、それ以降も若い女性に見えてくるだろう。認識の変換が重要だし、知ってしまったら、あとはやるだけなのだ。練習はそこからだ。まずは、何をやるべきかを知らなければならない。
 僕は"教え" ない。"探求の仕方" を、教える。僕自身が、自分の耳と心を使って探求して来たからだ。そのプロセスを省けば、楽器は操作出来ても、音楽を知らない人が増えるだろう。僕はこれ以上、楽器を扱えるだけの人を増やすことには貢献したくない。
 そういった想いでレッスンをやっている。
 僕のところに来る人はほとんどが、いわゆるプロではない。でも、そういう人たちが、それぞれの人生の中から産み出すことの出来るのが、音楽だと思っている。人の数だけ音楽はある。また、人の数、と普遍は繋がっている。プロをたまげさせるぐらいに、音楽を知っている素人を育てたいと思っている。ただ、誓っても、"演奏能力" で度肝を抜かせたいなどとは思っていない。
 レッスンでやっていることの具体的な話は、また気が乗ったら書く。
 
 レッスンが終わって帰宅してからは、6月のイベントに向け、また新曲を書いた。
 『内臓とこころ』という、ずっと気になってた本も買ったから、ちょっと読んで寝よう。最近僕の中で内臓ブームなのだ。

 おやすみなさい。
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?