日記2024.5.27

 沖縄は少し台風気味。まだ玄関先で煙草が吸えるからマシだ。数日前の湿気98%を記録した日は街中に"謎の" 羽虫が溢れていた。我が家の玄関先も御多分に漏れず、外灯に群がる無数の羽虫。いつもと違うなと思いつつも、湿気に乗じてたまたま来た輩だろうと思い、普通に羽虫飛び交う中玄関先で一服したりしていた。
 家の中に入り、椅子に座りながら本を読んでいるともぞもぞとした蟻のようなものがちらほら目につく。
さっきの羽虫が玄関の戸を開けた時に入って来たかな?くらいに思って、ティッシュで潰す。
 潰す先からまた目に入る。
 トイレの戸を開けると床に4、5匹のもぞもぞ。何かおかしい。
 洗面所にも三匹くらいもぞもぞ。
 キッチンの床や水回りにも。
 脱衣所の床、天井、そして風呂場にもぞもぞ。
 あいつら(羽虫)だ。
 こりゃもしやシロアリというやつか?と思い、Googleでシロアリを検索。やっぱり。似た画像が出てきた。シロアリという言葉はよく聞くが、自分には縁遠いものと決め込んでいたが、まさか人生の中でシロアリと関わる日が来るとは、、、、。
 嫁と二人数分おきに家中を夜警して回った湿気アラウンド100%の数日前。
 あっけないくらい、もうシロアリは姿を消して今は一安心している。が、昨年の猛台風の折蟻が家の中に行列を成していた記憶があるから今度はシロアリにも気を配らないと。油断は禁物、と、シロアリハンターを外壁のあらゆる場所に貼り付けた。
 そして、台風の近づきつつある今日はレッスンをして、絵を描いて、再来週に迫る大きな公演の準備をして、あ、寺にもお参りに行って、、、なかなか忙しく充実した日であった。
 昨日は、4月から嫁と始めた"Oto to Art" もあって、色々気づきがあったからマインドマップ書いたりして分析した。最近頭も身体もフル回転してる。島村楽器の講師の方も少しずつ忙しくなってきてるから。エネルギーも使う。"誰かのために" 心を砕く時間が増えたのはいいことかな、と思っている。依然、時間割生活は続けているが、疲れて翌朝起きるのがキツくて時間割を大いに外れる日も珍しく無い。しかし、出来ることがまだまだ沢山あったんだなあと日々発見の連続である。ただ自分が演奏する、演奏のために自分を磨くということだけじゃない忙しさ。"音とアート" やレッスンも力を入れているから、保育者や教育者的な実践記録を書いたりする時間、自分の思索をする時間も増えている。まあ、こんなことがしたかった、という思いがある。音楽を通して僕が日々感じている発見や喜び、自ら喜びを創造するための技法を伝えたいという思いがずっとあった。僕はやはり、実際に相対して、伝えるのが一番伝わりやすいと感じている。
 自らの音楽に関しては、ある程度内面領域を冒険する手法が確立して来ているから、日々発見の連続で、いわゆる"楽器の練習" とは違う、いかに自分自身が音楽そのものであるか、ということを追求する日々を楽しめている。言うなれば、最早ライブの日だけが本番なのではなく、日々音楽に向き合う時間が全部本番なのだ。何かの演目をやる、というのが本番ではない。ステージの上でも、家でピアノに向かう時も、自分の中に分け入ってゆく。根底は変わらないし、ライブの日、ステージの上に立つ日というのは僕の音楽人生という尾根を歩いていたら当然行き当たる頂上、みたいなもんで、ただ独立して特別なライブの日があるわけではない。全ては繋がっている。死ぬまで僕の演奏は終わらないのだ。毎回完成している。どの点も、その点として完成しているのだ。だから、未熟というものはないし、「まだまだ未熟者なんで」という姿勢は、芸術においては僕は嫌いだ。「まだまだ未熟」なのではなく、「今日の完成」という風に考える人を増やしたい。僕自身そうありたい。
 けれど、Oto to Art は新たなコンテンツだ。コンテンツを作ることは、アートとはまた違った計画性というものが絡んでくる領域。こちらは、トライアンドエラーを繰り返し、毎回発見し、更新して、より効果的なやり方を模索していきたいという思いがある。こちらはある意味未熟者だ。だから、実践して発見を繰り返したい。自分の中で失敗に思えること、もっとこうできたな、と思うことも見つかる。なぜそう思ったのか、次はどうしようか。それを考える日々である。今はライフワークとなる、「音楽の喜びを自ら発見し、生み出す感覚のある人=アーティスト(職業アーティストではなく、在り方がアーティスト)を育てる」という活動の礎を築くための重要な時期だと感じている。
 僕は音楽から(つまり音楽とはぼくにとって音楽の周縁にあるあらゆることがら)常に幸せをもらっているから、これを自分だけのものに、またいわゆる"プロ" だけのものにするのがもったいないと強く感じている。人間が当たり前に、音楽が自分の人生のすぐ隣にあって(いわゆる音楽ファンという意味とは違う)音楽をする、みたいな世の中にしたい。鑑賞する音楽もあっていい。けど、あくまで僕が人生をかけてやりたい仕事は、鑑賞のための音楽を提供するのではなく、みんなが参加出来る音楽の在り方を追求することだ。
 明日もあるし、寝よ。

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