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機能不全家族とか、アダルトチルドレンとか

10代前半くらいで既に、うちの親は普通の人ではないのかなあ、みんなの親とは全然違う生き物なのかもしれないなあと思っていた。
だから、最近になって毒親という言葉を聞くようになって、「ああこれだ」ってすとんと腑に落ちた。毒親と言う表現を嫌悪する人もいるみたいだけれど、私にとってそれは、この上なくぴったりな言葉に思えた。
毒だ。体を蝕み、広がる。蓄積して、害する。
これは、毒だ。

そして成人して親元から離れ、絶縁を決意して、自由になって、自分の精神の不安定さや自己肯定感の低さ、希死念慮みたいなものが段々なくなっていって、ああ、幸せになれるかもと思えた頃にようやく、機能不全家族とか、アダルトチルドレンとかいう言葉を知った。
それらの言葉を知ったとき、私はそれを自分のことだとは思わなかった。
そのとき自分がそこまで苦しんでいなかったからかもしれないが、毒親という言葉を知った時ほどの納得やスッキリ感はなく、「そんな人もいるのだなあ」くらいにしか思うことができなかった。

それらの言葉について調べ始めたのは、本当に最近。
ネットで検索したり、noteなどのSNSで似たような境遇の人たちの体験談を読んでみたり。
その意味を正確には知らない人もいるかもしれないので(私もつい最近までそうだった)、それらの定義というか、言葉の意味をまず記しておこうと思う。

◎機能不全家族とは
言葉の通り、家族としての機能がない家庭、あるいは家庭崩壊が起こっている家族のことを指す。
具体的には、両親が壊滅的に不仲だったり、虐待やネグレクトが行われていたり、子供が安心できるような居場所がない家族のこと。
もともとはアダルトチルドレンという言葉が先に生まれて、その背景にある家庭環境(育ち)を表すためにこの言葉が生まれたようだ。
日本では一般家庭の8割が機能不全家族だっていう研究もあるらしい。8割以上って、それもう機能不全であることが標準ってことじゃん!ってびっくりした。

◎アダルトチルドレンとは
幼少期に家族によってトラウマが生じ、その傷が消えない・治らないままに大人になった人のこと。「毒親育ち」とほぼ同義。
子供のまま大人になった、という意味ではないらしい(元々はアルコール依存症の親の元で育った子供のことを指していたとのこと)。
これも上記と同じく、日本人口の8割はアダルトチルドレンだっていう研究があるらしい。その割合なら、逆に2割の方に特別な名前がついて然るべしって思ってしまうね。

ざっくり説明するとそんな感じだ。
そこから更に、機能不全家族やアダルトチルドレンについて「こういう特徴がある」っていう具体例や、「こういうタイプに分けられる」っていう分類があるらしい。
少し調べるだけでもそういう内容のサイトがたくさん出てくるから、ここでは詳細は書かないことにする。気になる人は調べてみてね。

機能不全家族にしろ、アダルトチルドレンにしろ、そういうふうに育った人に共通する特徴は、「自己肯定感が低いこと」らしい。
そう言われてみると確かに、本当の意味で自己肯定ができる人なんて、日本では2割くらいしかいないような気もするから、妥当な数字に思える。
でも、自己肯定感の低い8割の人たちは、みんな機能不全家族のなかで育ってきたんだと言われると、本当に?と思ってしまう。
あくまで体感的な話にはなるが、特に幼少期では、友達やクラスメイトは自分よりもずっと真っ当な家庭で育っているように思えた。
まあ、自分の家庭のことなんてあまり周りに話すことはないだろうし(特に子供の頃は自分の家庭が正常かどうかなんてあまりわからない)、周りの人たちも私のことを「真っ当な家庭で育っている側だ」と思っていたかもしれないから、あまりあてにはならないか。

もっと言うなら、トラウマというのはすごく主観的なもので、同じ環境で育っても傷付く人と傷付かない人がいるだろうから。
昨今の毒親ブーム、「親ガチャ」という言葉の流行を見ている限りでは、「私は親の言動で傷付いたのだ!」と主張すれば、それはもう「そう」だということになる。
つまり、そう主張しない、「私は親に愛されて育った!」と胸を張って言える人は、確かに全体の2割くらいなのかもしれない。そう思うと、これも妥当な数字に思えてくる。

あとは、「アダルトチルドレンは連鎖する」というのも要因の1つだろうね。
遺伝的に、遺伝子に組み込まれて受け継がれてしまうという話ではない。
機能不全家族のなかで育った人たちは、「それ以外」がわからないから、自分が子供を持った際に同じことを自分の子供にしてしまう、ことが多いということだ。
自分が親から与えてもらえなかった愛を、自分の子供に求める。子供から、搾取する。
そしてその子供はまた、自分が親から与えてもらえなかった愛を、自分の子供に求める。子供から、搾取する。
その繰り返しと言うわけだ。

つまり、8割の人間はアダルトチルドレンとして連鎖して、2割の人間は、そうではない(幸せな)家系として続いていくということ。
では、アダルトチルドレンとそうではない人間が家族になり、子を成したらどうなるのだろうか?
アダルトチルドレンである人が父なのか母なのか(性別というよりは家庭内での役割や子供と接する時間の長さの違い)によっても異なるとは思うが、それはやはり、その子供もアダルトチルドレンになる可能性が高いような気がする。
毒と水を混ぜて出来上がったものは、水にはならない。薄まってはいるかもしれないが、どちらかというとそれは毒だ。
そして、それと同時に、アダルトチルドレンである苦しみを克服して、その8割から抜け出す人もいるだろう。
総合して、その比率はおおよそ横ばいのまま変わらないのかもしれない。

自分の話に戻る。
アダルトチルドレンやその特徴について調べれば調べるほど、「まんま(昔の)私じゃん!」と感じることが多い。
完璧を求められて育ってきたから、自分がそうあれないことに対する恐怖心が強い。そして、その自分の不出来を理由に他人から見放されることが怖い。
仮に物事が上手くいったとしても、自分を認めることができず、自分を駄目な奴なんだと思い込む。そんな駄目な自分が誰かに愛されたいだとか、助けてほしいだとか、そんなことを望めるはずがないと考える。
それでも、親に貰えなかった愛を誰かに貰おうとして、(例えば自己犠牲のような)自分を大切にしない方法で他人に尽くしたり、気に入られようとしたり、依存したりする。でも大抵、上手くいかない。
そんな自分が大嫌いで、信じられなくて、死んでほしくて、だから当然、他人のことも信じられるはずがない。聞こえの良い言葉を向けられたとしても、本当に自分が愛されているはずがない。自分を助けてくれるわけがない。みんな、嘘吐きだ。
少なくとも未成年のうちは、私はそうやって思いながら生きてきた。

8割の人間が同じような考えの中で育ってきたのならば、私が「この育ち・特徴に明確な名前なんてない」と思っていたのは、ある意味で正しいのかもしれない。
だから今更、機能不全家族だとか、アダルトチルドレンだとか言われても、ピンとこないところもある。名前が付いたところで、納得感もスッキリ感もない。
どこの家庭も、酷さに差はあれど、大抵はそういうものなのだ。
そうやって親が子から搾取している構図が、家族というものなのだ、と。
私の親と、そのまた親との親子関係について詳しくはわからないものの、おそらく、私の親もまたアダルトチルドレンであったのだろうな、と今となっては想像がつく。

私の親について。
あまり考えると精神・身体に異常が訪れる(涙が止まらなくなったり、手が震えたり、動悸がしたり、眠れなくなったりする)から、ここ最近はずっと考えないようにしていた。
今、それを考えられるようになるまで回復した、というわけでは全然ないのだけれど、色んな記事や体験談を読むようになって、なんとなく思うこともあったりして、分析できるだけの冷静さはまだないのだけれど、「今思うこと」について少しだけ書き記しておきたいと思う。

私の親。母親。
母子家庭で育ったので、私にとっての「親」は「母」に他ならない。
親というよりは、神だった。唯一神。
世界というのは母が決めるものであり、正しい道とは母が敷くものであり、過ちに罰を与えるのも母であり、母が良しとしないこの世の中の全てのものは、絶対的悪であり、踏み入ってはならない悍ましきものだった。
不出来な子供に、制裁を与える神。
その制裁は、終わりのない暴言であり、人格否定であり、咆哮であり、暴力であった。
第3者の前で辱めを受けさせる、社会的制裁であることもあった。被害者のような顔をして、罪悪感や羞恥心を植え付ける手法もあった。
でもそれは、子供が不出来であったのだから仕方のないことだ。
子供の幸せのために。間違った道へ進まないように。これから生きていくにあたって、十分な能力を身につけさせるために。
それは神の愛であったし、愛の制裁であった。
それは絶対的に正しい行いであり、神が過ちを犯すはずもなく、真っ当で、当然で、自然で、普通で、当たり前の、ごく一般的な行いだった。
少なくとも神本人と、私にとっては。

この時の親の心境について、考える。
それはもう、100%「あなたのためを思って」だったのだろう。
随分後になって、「傷付けるつもりで言ったわけじゃなかったのに、伝わってなかったなんてショックだ」「傷付いたなんて言われるなんて、そんなことを言われると恐ろしくてもう何も言えない」「あなたを育てるのに失敗してしまった、よくない人間に育ててしまってごめんなさい」などと言われたりもした。
つまり、不純物の一切ない善意だったのだ。本当に「あなたのためを思って」「あなたをよく育てるために」だったのだ。
親がその親にどう育てられたのか詳細は知らないが、祖母もまた完璧主義者の気があったため、厳しく育てられたのだろう。だからそれと同様に、自分も子供を、厳しく、強く育てようとしたのではないだろうか。
推測ではあるが。

そうやって親が私を抑圧して、自我を芽生えさせないようにして、干渉して、コントロールできていたのは、私が10代半ばになる頃くらいまでだった。
流石に、高校生にもなると自我が芽生える。
外の世界を知っていったから、ということもあるが、思考能力という意味で、親に対して懐疑的な視点を持つようになったからだ。
自分の親が普通ではないことはなんとなくわかっていたが、それが「自分にとって良くない影響を与えている、生きる上でストレスになっている」「親は自分とは違う人間であるため、親が言う『普通』とは異なる意見を持ったって構わない」「親に継続的に傷付けられているのであれば、逃げ出すことも選択肢の1つだ」ということに気付き始めたのである。

そうして反抗的になった子供に対して、親の態度は今までとは少し変化することになる。
「あなたのためを思って」から、「こんなに苦労して育ててあげたのに!」に変わったのだ。
そのとき、神は神でなくなり、私はそれを(今でいう)毒親なる存在であると認識するようになった。

この時の親の心境について、考える。
母子家庭で、精神的にも身体的にも経済的にも、子供を育てるのは大変なことだっただろう。献身的に、時には自分の身を削ってまで、今まで子供のためを思って必死に生きてきて、必死に動いてきて、必死に育ててきたのに。
その子供が、自分のことを否定するのだ。
自分の思い通りに動かないようになり、あれだけ過ちを犯さないよう入念に教育してあげたのに、自分が良しとしない方向に進もうとしているのだ。
この愛を、教育を受け入れず、ましてやそのせいで傷付いたなどと自分を非難しようとしているのだ。
許せるはずがない。そんな行為、赦されるはずがない。
今まで自分が苦労してきた分、お前も苦労するべきだ。今までお前を育ててやったんだから、これからはお前が私に恩返しをするべきだ。
それを、それを、親から逃げようとするなんて、なんという恥さらし!
多少違うところもあるだろうが、おおよそこんな感じだったのではないだろうか。

口では言うのだ。
コントロールしようとなんてしていない。
あなたが健康で幸せでいてくれればそれでいい。
他には何も望まない。

けれど、私が失敗すれば怒り、侮り、嘲り、私が成功すれば「そのくらい誰にでもできる、調子に乗るな」と釘を刺す。
自分の意見と異なることを子供が主張すれば、「考え方が間違っている、お前は頭が悪い」「人として終わっている、最低だ」「育て方を間違えた」と糾弾する。
純粋に子供が自分の思い通りにならないことが腹立たしいのか、それとも「あなたのため」と言いながらも子供が自分より幸せになるのが許せないのか、あるいは手塩にかけて育てたにもかかわらず一切のリターンがないことに納得ができないのか。
今の私にはそのうちのどれが正しいのかはわからないが、私の親は、大人になって随分経ってからも、それなりに自分の親のことを気にかけていたように思う。短い間だが、3世代で同居していることもあった。
だからこそ、自分も子供による恩恵を受けて然るべしだと思っていたのかもしれないし、自分は我慢して親の面倒を見ていたのに、お前はその一切を放棄するつもりか!と怒っているのかもしれない。

可哀想な話ではある。
実際大変な手間をかけて育てて、自分なりに愛情をたっぷり注いで、真剣に、大切に子供を扱ってきたつもりだったのに。
最終的には、子供に縁を切られ、勤め先も、住所もわからず、連絡をする機会もまったくなくなってしまった。
金銭的支援もそれ以外の支援も期待できず、自分には夫もいないため、これから先、死ぬまで誰にも助けてもらえずに生きていくしかない。
そう考えると、哀れには思う。同情もする。

でも、じゃあ、暴言と暴力の中で、涙が止まらなくなったり、手が震えたり、動悸がしたり、眠れなくなったりしながらも我慢して、莫大な金額の仕送りをして(実際新卒から3年間くらいは毎月恐ろしい額の仕送りをしていた)、そうやって生きていけるかと言われると、無理だったのだ。
ざっくりいうと、死んだ方がましというやつだった。
冷たかろうが、薄情だろうが、子育て失敗だと言われようが、私にはできなかった。実際、親を大切にできないクズなんだろうと思う。
でも私は、自分が可愛い。親よりも、自分が可愛い。
社会人になって、自分のお金で好きなものを買ったり、好きな服を着たり、美味しいものを食べたり、好きな人と出会ったり、付き合ったり、結婚したり、子供を産んだり。私はそういうことがしたかった。
親に囚われたまま、失意と絶望の中で、親と死んでいくなんてごめんだった。
私は親不孝者だった。それにしか、なれなかった。

今となっては、私にとっては、縁を切って大正解だったというやつで。
私にはそれなりに自己肯定感が芽生えたし、自責傾向もましになった。
幸いにもとてもいい人と巡り合えて、愛を知ったし、依存しない人間関係を学び、得ることができた。
誰かに甘えたり頼ったりすることは未だに苦手だし、他人そのものを全然信じていないのは変わっていないけれど。これからも、変わらないかもしれないけれど。
それでも、私は今の私の人生や生き方を「幸福だ」と感じることができるし、自由で、穏やかな暮らしを手に入れることができたと思っている。

まあ、毒親育ちじゃなくなることはできないし、「アダルトチルドレンから脱却しました!」って言いきることもできないけれど。
「育ち」に関して、私はそれなりに、いい落としどころを見つけたのではないかと思っている。親には申し訳ないが。

この先どうなるかはわからない。
もっと年を取ったり、あるいは子を持ったり、介護だのなんだので絶縁した親とまた関わらなければならない日が来たり。
そういうきっかけで、親のことを理解できる日が来るかもしれないし、一層謎や不快感が深まるかもしれないし。
親との関係を修復できる可能性も……ゼロではないのかな。
期待は全く、していないけれど。仲直りしたい、みたいなことも、別に望んではいないのだけれど。
まあできるなら、それに越したことはないのかな。一般論として。
育ててもらったことについて、感謝をしているのは確かだ。

長くなってしまった。
「育ち」にまつわる私のあれこれは、そんなところかな。
ほぼほぼ個人的な備忘録という感じだけれど。
同じような苦しみを持っている人の、何かの参考になれば嬉しい。

では、今回はこの辺で。


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