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将来は縁側の日向が似合うシワシワ婆ちゃんになるのが夢です


私の書き方が下手、拙い、未熟だった為
多くの方が
ご心配下さって本当にありがとうございます。
お気遣いを頂いたりして、本当に感謝です。

拒食、過食について
あまり認知されていないなと思う事があり
書いたものです。

私は拒食症と長く付き合っていますが
基本的には、面白おかしく生きていて
ちゃらんぽらんです。
表、時々裏の顔で生きていて
将来は102歳で縁側の日向ぼっこが似合う
シワシワの婆ちゃんになるのが夢です。

魔女で宅急便はしてませんが
私は元気です(*´꒳`*)✨✨🐈

しつこく生きてやるので安心して下さい( ´ ▽ ` )
102歳と言うのは
年下の大親友がいるのですが
私が先に逝かない為に102歳の設定です。    


拒食はダイエット、が理由でなる方が多いと前にも書きました。
痩せている事が美しいとされた時代。
パリコレが極度の痩せたモデルを起用しない事を
決めたのは最近の事だと思いますし
特に日本を含むアジアでは痩せている事=美が
まだまだ根強くあるように思います。
ルッキズムが無くならないのはメディアだったり
仕方ない事なのかなぁと思いますが
残念です。

健康の為に、ある程度の体型維持は必要だと思いますし、食事管理も必要ですが、
度が過ぎると話は違って来ます。

私は学生時代から『太っている』と言われた事は
ありませんでした。
167センチで57キロくらいだったでしょうか。
胸は洗濯板で、どちらかと言うと下半身がしっかりしているタイプで、
高校生の頃はミニスカートにハイソックス。
あのゆるゆるっとしたルーズソックスが流行った時代でしたので、『もうちょっと足が細ければなぁ』とは思っていました。
もちろん年頃にはダイエットもしました。

学生時代から、銀行を辞めてカナダに行くまで
全く体型は変わりませんでした。

変な話、私は留学して痩せたんです。
まず車が無いので、ひたすら歩く生活になりました。
国際免許を取っていたし、後々、免許も取りましたが基本は歩き。
食事も自炊していたので
ボリューム満点のカナダ料理を食べる事は稀でしたし、
私は下戸なので酒も飲まず
毎週末にはクラブで、しっかり踊って楽しむ生活で、知らずに痩せたんです。
あの大きさのお菓子やアイスを食べてましたが
それでも54キロとか55キロとか。

彼を事故で亡くして
食べれなくなって
ヨーロッパを死に場所探しでひとり旅するのですが、これも基本的には歩きでした。
3か月もするとスニーカーの底に穴が開くくらい
毎日毎日歩きっぱなしでした。
お金も無いので食事は簡単なサンドイッチや果物になりました。
それに20キロ以上のバックパックを背負っていたので、筋肉が付きました。

今思えば、当時が1番運動し、皮肉にも健康的だったのかも知れません。

ピザが切れると帰国して
幾つかアルバイトや派遣の仕事を掛け持ちし
お金が貯まるとまた海外へ出て行く生活を送っていました。
その当時、東京に住んでいた7歳年下の外科医の所に転がり込んでいましたが
『毎日見る患者の中で1番Norikoが痩せてる』と
注意されていました。

当時が45キロくらいだったでしょうか。
パートで働いた銀行の制服が
サイズ5号でした。
痩せ過ぎると痛々しくて、美しいとか女性のラインなどは削がれるだけです。

それから50キロを目標として
病院やらにも通い
更に再婚からの調停離婚と、
もう一つ人生の荒波があって
今に至ります。
その間に、薬膳や食育の基本を学びました。

大切な人を失った時
遺された人にはグリーフ感情があります。
私が生きて良いのだろうかと
加害者でも
被害者でも無いのに、ただ生き残ってしまったと言う罪悪感があるんです。
これは難しい事に払拭し難い感情です。

海外でグリーフとの付き合いに関して
私も幾つかのコミニュティに参加しましたが
子どもが自分(親)より先に亡くなった方や
私と同様、事故で自分だけ生き残った方が多く
いらっしゃいました。
感じた事は、病気など、長い時間、
辛くキツイ時間を過ごされた方は
死と言う事に対して、少しは準備が出来るのかも知れないと言う事です。
看病、闘病の時間は何にも表現出来ない程
お辛いと思いますが、
その時間に死と言う事も考える機会があった、と
話される言葉の中に、その様な事が聞かれました。
一方で事故などで突然、死を受け入れなければならなかった方は、まだ現状として捉えられないと言う感じでした。

現に私も、日本とカナダで離れていた期間があり
亡くなった後も
彼はカナダか、世界のどこかにいる様な気持ちで
毎日メールをチェックしていました。


拒食、過食を繰り返しながらも
それは20年近くの月日を経て
緩やかになりつつあり、
背景には私の周りの方々の優しいサポートがあります。
食べなさいと言われると食べれない惨めさが
さらに酷くなります。
幸せな事に
誰も私に食べないとは言いませんでした。

1人分、と配膳されるのも
食べきれない事が分かるので
申し訳無いが先に来て申し訳ないです。
そのため、私が参加する食事は、
全て大皿でのケイタリング式にしてくれました。
我が家のご飯が大皿なのも、そのためです。

何気無い事がプレッシャーに感じてしまう事がありました。
催事ごとの弁当なども、配られても箸さえ開ける事が出来ないのは、申し訳無さと失礼さで
本当に居た堪れなかったのですが
今は自分から
『食べられません』と拒食症である事を話しているので楽になりました。


確かに痩せているとメリットもあります。
UNIQLOなどのワゴンセール品は
極端にサイズが小さいか、大きいかです。
安く買える時はラッキーだなと思います。
後、子どもと同じ服が着れます。
130のTシャツだったり。
お下がり貰えます( ´ ▽ ` )笑笑


私が海外で1番好きだったのは
オーストリアの友人が話してくれた事です。

パートナーの腰に手を回した時、
ズボンの上にお腹の肉がチョイ乗りする事が
ありますよね。
そのチョイ乗り肉を、むぎゅむぎゅするんだ❤️と
それって『LOVE HAND』って言うんだよと。

サイコーやなって思いました( ´ ▽ ` )
そんなんむちゃくちゃ愛やんって。

ルッキズムとか
痩せてるとか
太ってるからとか
そんな事の前に人として愛がある。

そんなのって良いなぁと思います。

ルッキズムに左右されないには
やっぱり幼い頃からの言葉かけじゃないかと
思うんです。
人を説明する時、
背が高い人、
目が大きい人、白髪の人…
どうしても見た目が先に出て来ちゃうと思いますが、それが自然にルッキズム思考にならないかなと。

声が高くて可愛い先生だよね、
運動が好きで元気いっぱいの先生だよね、
とルッキズムであっても
何か良いところを見つけて足す。

良いとこ探しの名人になりな、と言う
祖母の教えは、今更ですが
好きだなぁ、良いなぁと思うのです。


拒食症について、もっと知って欲しいなと
書いた記事に優しいコメントをありがとうございます😊
昨日の記事に補足として追記します。
もし、拒食症で悩んだりする方がいれば
私の経験や知り得た事をシェアしたいと思っています。

私は拒食症である自分をネガティヴに
捉えていません。
まぁ、食べれないのは残念だーとは思いますが
それを含めて私だと思うし
カミングアウトして
理解してくれる方の優しさ
気の持ちようだとキツイ事を言う方
いろんな方と出会って来ました。

拒食症は治るかもしれません。
残念ながら治らないかもしれません。
どちらにせよ私は長く付き合って行く気で
拒食症である自分を生きています。
パニック障害も同じですね。
上手く付き合いながら
102歳まで生きるのですよ( ´ ▽ ` )✨

ルッキズムに異論を唱える面倒くさいババアになろうかとも思います!!



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