見出し画像

人の道を照らす灯のように

文章ってなんのために書くんだろう。

そんなことを考えていたら、よく読み返す本の一説を思い出した。

幸福になること。
人は、まちがいなく、その北極星をめざしている。
そのためにこそ、さまざまな表現物はこの世に生まれ、人に出会い、
出会った人の心に寄りそい、背中を抱きしめ、そして人の前に火を灯して、
歩むべき道を照らす。

『幸福を見つめるコピー』(著:岩崎俊一)

人の幸せのために書く。そう言われると、たしかにそうだ。というか、そうでありたいと思う。

私自身、今までの人生で、さまざまな表現物にふれてきた。本、テレビ、映画、舞台、音楽。ツイッターやインタグラム、ユーチューブ。noteだってその中の一つ。世の中には、たくさんの表現物がある。

それらの表現物に気持ちの面で頼ることがある。とくに音楽なんかは顕著で、心ない言葉に傷ついたとき、自分を鼓舞するとき、サンボマスターの『できっこないをやらなくちゃ』や『輝きだして走ってく』を必ず聴く。彼らの音楽に力をもらい、この曲があって本当によかったと安堵し、頑張るためにまた足を踏み出す。

それはまさに、岩崎俊一さんのおっしゃるとおり「人の心に寄りそい、背中を抱きしめ、そして人の前に火を灯して、歩むべき道を照らして」くれているのだ。すごいことだ。会ったことも、喋ったこともないのに。いつもあの曲に救われている。

そんな折々にあるのは、何も有名人や芸能人の発するものに限らない。noteで出会う見知らぬ誰かの書いた文章にいたく感動することだってある。最近で言うと、とあるサラリーマンの方の日常について綴られているエッセイがお気に入りだ。

彼のエッセイは本当にただ日常を書いているだけなのだけれど、豪快な赤裸々さがいい。かっこつけていない、ありのままであることに勇気をもらう。単純に文章がうまいし、内容がおもしろいのもあるけれど。(彼は人を笑わせることには結構こだわっているらしい)

私が書く文章もそうであればいいなと思う。会ったことも、喋ったこともなくても、誰かの幸せの一助になるようなもの。感動的な経験も、何気ない日常も、すべてが誰かの灯になれるような、そんな文章を書きたい。

さいごまで読んでくれてありがとう!うれしいです!🌷