見出し画像

印鑑を鑑定してもらった話

実印を作りに行った。以前の職場で上司が「印鑑登録もしていないような奴と取引するな!」と怒鳴っていたことがあり、ずっと気になっていた。当方、本年で不惑である。そろそろ大人の嗜みとして必要ではないかと作成に踏み切った。ケイト(母)に相談したところ、おもしろいハンコ屋があると教えてくれた。印鑑を見て、鑑定してくれるのだという。鑑定ってなんだ、と思ったが、基本的に占いが好きだから、そういうよくわからないスピリチュアル的なことには首を突っ込んでしまいがちである。なかなか予約が取れないそうなのだが、ベッドにゴロゴロしながら何気なく電話をかけてみたら繋がってしまい、慌てて起き上がってペンを取りに走った。

鑑定してくれるのは先代の能力を受け継いだ二代目らしい。先代は、鑑定して印鑑が必要ないと思えばそれを伝えてくれるし、「邪悪な気が出ているから入ってくるな」と門前払いを食らった人もいるのだとか。性格のいい方ではない私は追い出されるんじゃないかとドキドキでお店のドアを開けた。

二代目は普通のおばちゃんって感じの人で、チャキチャキした雰囲気だったのでテンポよく話せるように若干気を遣った。

いつも使っている印鑑を持ってくるように言われておりそれを提出した。小学校を卒業する際に貰った認印は、実は水牛を使ったいい物らしく、公立学校でこれをくれるとは、と二代目も驚いていた。しかしそこに貼ってあった「水牛」のシールはさっさと剥がすようにと指導を受けた。

紙に名前と生年月日を書き、いよいよ鑑定が始まった。

「やりたいことをやってないでしょう」

な、なぜそれを。

「仕事は?」
「派遣社員です」
「派遣? なんで派遣なの?」
「資格取ったりしたいので」
「なんの資格?」
「行政書士です」
「派遣社員も行政書士も、本来のあなたの道じゃないけど」

派遣社員を始めたのは、新卒で入った会社を10か月で辞めてからだ。辞めたのは上司に「2、3年で結婚して辞めてくれると業務の風通しがよくなっていいんだけどなぁ」と今ならセクハラともパワハラとも受け取れる発言を数回され、「3年でいなくなって欲しい人材が果たして今いるのだろうか?」と考えたらなんだか馬鹿馬鹿しくなってしまった。まだ若いし、他に向いていることもあるかもしれない。しかしながら上司に退職の意思を伝えると、「仕事っていうのは3年でも4年でも歯を食いしばって〜」と言われ、いや、3年で辞めろって言ったのはあんただろ、とさらに馬鹿馬鹿しくなり退職の意向は固まった。それからはほぼずっと派遣社員をしている。そして、資格を取りたいからというのは表向きだ。実際に資格を取ってもいるが、もっと大きな理由は、もう14年、うつ病に悩まされている。その都合で、状態が悪化した時、すぐに辞められる職場を選んだのだ。ちなみに今も、数日前に不安障害で契約途中で退職している。そういうことを考えると、派遣でいるしかないようなところがあるのだ。

「本当にやりたいことがあるんじゃないの」

私の夢は作家になることだ。文章を書くことが好きで、小説を書くことが多い。しかしながら書き上げたと思っても、本当に満足いくものを書くのは難しい。

「あなたは称賛を浴びたい人なの。オリンピックの選手みたいに」

はぁぁ? それってめっちゃ図々しくない? 満足いくものも書けていないのに賞賛は浴びたいって……。でも確かに誰かに「がんばったね」って褒めてもらいたい気持ちは割とあるかもしれない。

「ステージに立って表現するのもいいよ」

若い頃、役者を目指していたことがあった。だがかなりのあがり症で、役者さんの演技を見ていると、こんなふうにはとてもできない、と思うようになった。けれどそういうことも見越して鑑定されたのかと思うと、二代目すごい、と思わざるを得ない。

「どんなこと書いているの?」

いろいろ書いてはいるが、具体的にどんなことと説明するのも難しく、ざっくり「どろどろしたものを……」などと答えてしまったが、明るい話がまったくないわけでもない。

「どろどろも悪くないけど、小説は言葉で限定されちゃうから絵を描いた方がいいよ」

確かに小さい時から絵を描くのが好きだ。実は、SNSに投稿している140字小説を本にしようかと密かに考えていた。言葉だけだと空間が開いてしまうだろうから挿絵を入れようと思っていて、それを自分で描こうか迷っていたところだった。しかしながら。

「絵、下手なんです」

いや、そんなに下手でもないが、テレビ番組で芸能人が絵画の腕前を競っている様子なんかを見てしまうと、あんなすごいもの私には書けない、となるわけである。

「絵に上手い下手なんてないわよ」

とお店に飾ってある絵を見せてくれた。確かに何が描いてあるかわからない。

「蛇ですか?」
「犬です」

……なるほど。

「漫画の原作や脚本もいいよ」

二代目のイチオシは絵を描くことだった。なんだかんだ言って好きなので、資格試験の勉強を始める前は時々描いていた。家に帰ってスケッチブックを引っ張り出す。やっぱ描きたいなぁ。

私が行政書士の勉強を始めたのは、自分に自信をつけたいのもあるが、法学部出身なのに法律系のことがなにもできず、両親に申し訳ない気持ちがあったからだ。学費を返せればいいのだが、体調不良と戦いながらの勤務なので、なかなかお金が貯まらない。だから、三回受けてダメだったら諦める気持ちで行政書士の勉強を始めたのだ。本来の夢である作家の活動をストップして。作家になりより行政書士になる方が確率が高そうだという打算的な考えだった。だから正直、資格を取ったからといって行政書士になりたいかと言われるとそうでもない。まったく興味がないともいえないし、資格を取れたらやって見ようと思うかもしれない。けれど今は作家になりたい気持ちの方が強かった。

樹くんがこんなことを言っていた。

「時間は潤沢じゃないから、できないことをやっている暇はないよ」

できないこと、というか、実はそんなに興味がないのに今ほとんどの時間を費やしている行政書士の勉強に時間をかけているほど、時間は潤沢でない。かきたいものがたくさんあるのに。そう思ったら、これまで鍵をかけていた「かく」ということへの扉が開放されてしまった。現に今、勉強そっちのけでこれを書いているのである。

ヤバい、楽しい。めちゃめちゃ楽しい。扉を開放した私は、さして時間を取られずに書けそうな文学賞などをチェックして投稿しようと目論んでいる。SNSで本関係の投稿をよく見ているせいか、文学賞のPR投稿がたくさん回ってくるのである。

そうやって考えてみると、行政書士の資格は趣味として、60歳までに取ればいいんじゃないかなんて気長なことを思い始めた。まずは、創作することを第一にして。とはいえ、本年の行政書士試験の願書はすでに提出している。そうなのだ、今年合格すればなんの問題もない。

さぁ、試験勉強へと戻るとしよう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?