休職約11ヶ月目

今病院で母親の診察待ちしている。
最近家では、寝てるかパソコンで動画作ってるかなので、日記的なものを書く時間が作れない。だから今書いている。
相変わらず、社会は忙しそうに動いている。
そして相変わらず、俺の時間は止まったまま。
でも後1ヶ月もすれば、俺が会社に行けなくなって一年が経つ。あっという間だった。本当にあっという間だった。おそらく俺が今まで過ごしてきた中で最速な一年だった。
自分の時間は止まっているのに、世間はどうやっても時間が進んでいる。変な感覚。
今は毎月申請している傷病手当で何とかやっていけている。思っていたよりたくさんもらっていけている。有り難い。まぁ、これも在職中に頑張っていたお陰でもあるのかなと思って、何となく感じる背徳感を抑えている。
でも傷病手当だって無限に貰える分けではない。多分今年いっぱいぐらいまでではなかろうか?自分の考えではそれまでには何とかYouTubeのチャンネルを収益化して、母親と最低限暮らしていけるぐらいは稼げればいいと思っていた。でもそれも難しいことが、どうやら薄々と感じてしまっている。YouTube神話として、収益化しているチャンネルは、全チャンネルの1〜2割程度だと言われている。母数がどれくらいかは分からないが、その2割には入れそうもない。仮に入ったとしても、今のペースだと月に数十万稼ぐことは限りなく難しい。

俺に出来ることって一体何なんだろう。
サラリーマンもダメ。フリーランスもダメ。
「人には必ず自分にしかできないことがある」なんて誰が考えたんだか知らないが、よくもそんなオレオレ詐欺的なことを考えたものだ。「自分にしかない花を咲かそう」なんて余計なキャンペーンソングを日本中に撒き散らして、誰が責任とってくれるんだ?そう出来ない人間だっているんだから。それこそ差別だ。大衆の価値観を少数派に押し付けて、俺はそんな大衆に蔓延る謎の正義感に、ほとほと呆れてしまうのだ。まぁ、そんな謎の正義感に背中を押されて、頑張っていけてるなら問題ないが。

これから先のことは、考えようにも考えられない。色々な障害が今の自分の中にある。
バセドウ病も悪化の一歩を辿っていて、この前病院の階段を3階まで登ったら、息ができなくなって発作を起こした。医師からは「階段登るな」「走るな」と言われている。うつ病の方も、色々な薬を処方されていて、その副作用から「車やバイクの運転はダメ」「危険な仕事はダメ」と言われている。
これだけの事実からしても、後5年もすれば定年の年になる人間に与えられる仕事なんて、何があるんだろう。
そして一番厄介なのが、自分の気持ちだ。
人に使われて、人との強烈なコミュニケーションを強いられる、所謂一般的に言われている、社会人、サラリーマンに戻れる気が一切しないし、なんなら強烈な拒否感がある。じゃあどうすれば良いんだろうね。うつ病の担当医に相談しても、否定も肯定もされない。いつもあやふやにされる。それがメンタル医の常なのだろうが、何となく心元ないんだよね。

最近強く思うことは、もうこれからは何となく、何もしたくない感じなのだ。仕事になるかもしれない動画作りだけはまだ諦めたくないが、例えば、趣味であった山登り、子供達との旅行であったり、そういう思い出となってしまうこと。なんなら、今過ごしている母親との生活でさえ、後数年もすれば思い出となってしまうからそれも疑問。
今の俺は、若かった頃の思い出や、子供達との思い出に悪い意味でとても縛られている。
楽しかったはずの思い出で、何故か苦しめられてしまっている。この感覚は何故なのだろう?
こんな感覚になるのは自分だけなのだろうか?
だからもうそんな思い出は作りたくないと思ってしまう。辛くなる楽しい思い出なんてもう要らない。辛いことはもういい。もうほんと、いい…

若い頃は、嫁や子供達と快適に過ごす為にと、ログハウスを建てて、自然の中で過ごしたい。それが自分にとっての将来の幸せと思い、自分でログハウス業者を調べたり、パソコンのソフトで間取りや外観図を作るのが楽しかった。
将来のことを夢見ながら、そんなことばかり考えていた。
でもそんな夢物語も束の間。あれよといううちに、その夢とは真逆な方向へと、磁石で引っ張られるかのように真っしぐらだった。
今思えば、ログハウスだの車だの良い学校だの、そんなのは無理だったのだ。相応の生活は夢の中には無かったのだ。そうなる為の頑張る要素全てが、ガタガタと壊れて粉々になり、気が付けば何もかも失くなってた。

今は外に出るのは毎日一回の食材の買い出し。毎日外出する為に、買い物は最低限にしてる。
食べるのもなんかも、もう腹が貯まればなんだっていい。グルメだとかもどうでもよくなった。買い物への道すがら、大きな家だの、駐車場に停まっている車だの、家庭を感じるような若い層の新築や、家族で遊んでる姿がどうしても目に入ってきて、その度に、ため息をつく。
「幸せで良かったね」「別に新しい家や車なんて贅沢品さ」「仲の良さそうな家庭だな」「俺は1人でいいや」「気楽だよ」「仕事もしてないし」「バカみたい真面目に働いてそれが何?」「人の顔色を気にしながら生きてくの何?」「なんであの人が死んじゃったの?」「最近まで活き活きとしてたじゃん」「なんで勝手に死ぬんだよ」「お前が死ぬなら、なんで、俺も死にてーよ」「ズルいよ」「なんで毎日人は殺されるの」「殺さなきゃならなくなるまで我慢してたの?」【そんな我慢しなくていいのに」「さっさと逃げて1人になりゃいいのに」「結局、全ては人間との争いじゃん」「金じゃん」「恋だの愛だのじゃん」「そんな人間となら関わらなきゃいいじゃん」「1人ならそんなストレス感じないのに」「結局1人になるのが怖いんだろ?」「1人になるって勇気いぞ」「1人になれるって一番強い人間なのかも」「人間が一番怖いんだ」「人間なんて面倒くさいもの要らねーよ」なんて、そんなことを考えながら毎日歩いてる気がする。これだけ読むと、なんか殺人犯のヤバい典型的な思考だよな。でも俺は多分、殺せないと思う。そんな根性があるなら先に自分を殺ってるから。

人間は大大大嫌いだけど、人間として生まれてきた以上、人間として死にたいじゃん?

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