【2-28】種を蒔く(~552日目)
手のひらのまめ
どうやら長い年月をかけて変化するものと、人ひとりの一生くらいの中で変化するものと、一年くらいで変化するものがあるらしい。
職業病という言葉があるように、毎日のなにげない動作が、いつの間にか身体に負担をかけている。
その逆で、毎日のなにげない積み重ねで、おなじ動きでも負担なくできるようになっている場合もある。
親から、背中にカメの甲羅を背負っていると指摘されるくらい、頭を前に出しながら背中を丸め、だらしなく座ってせんべいをかじるような生活だったので、非常に姿勢が悪い。
10代の頃は、廊下に一列に並んで仰向けに寝転んで、呼吸法という名の足上げ腹筋を強制されたり、来る日も屋外で重たい楽器を抱えて行進するような毎日だったけど、思い切り息を吸ったり吐いたりする必要もなくなった今となっては、息も吸ってんだか吐いてんだかわからないくらい、無意識の呼吸しかしていない。
当時鍛え上げた腹筋は跡形もなく消え失せ、まっすぐ背筋を伸ばして座ることさえ苦行という有様。
そんな無体力状態の人間が鍬を振るのは、かなりキツイ。
子どもの頃は、実家の周りにも畑がたくさんあって、腰がかなり曲がっていて、歩くのも大変そうに見えるような人でも、畑仕事をしていた。
子どもの頃から農作業を手伝ったりしていく中で、農作業ができる身体に進化していたのかもしれない。
私はと言えば、黙々と作業をするのは楽しいものの、数時間畑を耕しただけで、腰や背中が悲鳴を上げ、手のひらにマメができ皮がむける。
貧弱極まりない。
それでも、なんとか来年に向けてレンゲの種を蒔き終わった。
そして、ほんの少しだけ、冬野菜の種を蒔いてみた。
数日後、かわいらしい芽が顔を出し始めた。
大げさに言うのならば、植物とのコール&レスポンスなのだ。
待てるか待てないか
5月、畑にさつまいもを植えてから、4ヵ月が経過した。
真夏の水枯れを乗り越え、まともに育つか心配していたが、ここにきて葉っぱも何とか伸びてきて、去年よりは収穫できそうな見込み。
先週、蔓を整理しつつ、引っこ抜いたところから、コロコロとサツマイモができていることを確認してから、
「サツマイモが食いたい→畑にあるじゃないか」
と悪魔のささやきが聞こえるようになった。
収穫のタイミングは、もう少し先。
マシュマロテストが頭をよぎる。
待てば、さつまいもは大きくなるんだよ…。
もしも、自分が4歳の時に被験者だったとしたら、待てただろうか。
恐らく、2個ほしい(報酬アップ)というよりも、言いつけを守らないで叱られることの方が恐くて待ったんじゃないかな。
今の私は、誰にも叱られない、全て自己責任。
掘るよね。待たないよね。
掘り起こしてから、数か月熟成させた方が、より甘くなることも知っているけど、食べるよね。
バター付けて。
自分で育てて、自分で収穫して。そりゃもう、美味しゅうございましたよ。
大きくなるまでに、サツマイモ畑に何個残るだろうか…。
八幡太郎義家
畑の周囲に植えてあるもみじの木。
私が来る何年か前に植えられたもので、少しずつ成長している。
その中の一本の支えが取れて、木が斜めになっていた。
つっかえ棒を持ってきて、木を持ち上げると、手にビリっとした刺激が。
やられた。
葉っぱの裏を見ると、ヤツがいる。
実家では、イラガの幼虫を「八幡太郎」と呼ぶ。
刺されると、電気が走ったようにビリビリっとして、いつまでも痛みが残る。
隣の家の柿の木にこの虫がついていて、触ると痛いから気を付けるように言われていたことを懐かしく思い出し、母親に写真を送ると、
「八幡太郎吉宗!!」
「吉宗じゃなくて政宗だったかな?」
吉宗…??大奥…??
政宗…??独眼竜…??
どちらも怪しい。
両親も、元々地元に産まれたわけではなく、外から移住してきて、地元のおばあちゃんが言っているのを聞いて覚えていた呼び名。
調べてみると、八幡太郎義家、源義家の事だった。
伝説や伝承、言い伝えが少しずつ変化していく瞬間を目の当たりにした。
どうやら茨城あたりに源義家がいたことがあって、納豆伝説もあったり。
その地域では、強い物=八幡太郎って名付けたんだろうな。
最初に八幡太郎と言い出した人、まさか後世に呼ばれ継がれるなんて、思ってもないだろうな。
八幡太郎のおかげで、今日も気楽にいけそうです。
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