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平熱35度台は37度を超えると辛い

冷めない熱が始まって1年を過ぎた。

これは恋や愛の話ではない。体調の話だ。
私の平熱は35度5分から36度ほどだったと記憶している。幼い頃から熱に魘されることもあり、中学二年生の夏、花火大会の前日に扁桃腺を切除した。
きっとこれで高熱が出るのは落ち着くだろうと焼け付くような喉の痛みを我慢しながら、窓越しに見えた花火を病室から眺めていた。

年齢とともに成長する体は相変わらず高熱が出ることも、ウィルスにかかることもしばしばあったが、高くても38度。35度5分が平熱の自分には辛くても微熱だろうと一蹴されることもあったし、救急車を呼んだこともあった。
その時私の熱は40度になり、意識は朦朧としていたが、手足は動くし、救急隊員の方に迷惑をかけたくないので受け答えもしていた。だからだろうか。

「40度の熱があっても身体に以上がなければ救急車を呼ばないでください」

そう、はっきり言われたのを覚えている。それ以降救急車は呼ばなくなったし、”たかが熱で周りを困らせるな”と言われているように感じるようになった。

それから数年が立ち、心の病も患ったのある日、どうにも37度5分以上の熱が1ヶ月、2ヶ月3ヶ月と続くようになってしまった。
内科医の先生も心療内科の先生にも「ストレス性のものでしょう」と言われ、まあ、血液にも他にも症状なんてないから解熱剤を飲めば済む話だと割り切って内科医のもとへは行かず、処方された解熱剤を飲み続けてある日を堺に収まった。
もう熱で振り回されるのはうんざりだ、これで終わればいいと願った。

だが令和2年の4月を堺に35度台だった体温はまたたく間に37度5分を超え、2週間、1ヶ月と際限無く困らせてきたのだ。
当時問題になっていた流行病のこともあり、いつも以上に潔癖度は高まった。
その当時の恋人には差別的な言葉をかけられることもしばしばあったが、心配してくれているのだろうと思い込み、保健所づてに連絡した後に診察をしてもらった。
レントゲンやらなにやら肺にも鼻にも熱以外の症状はまったくない。いつもどおりの鼻詰まりが気になるくらいでなにもない。
おかしい。それだけしかわからないのだ。

次に症状が変化したのは、陽が照りつける夏のころだった。
目が覚めると文字が読めないのだ。目が見えないというよりイラストで言う”ぼかし”フィルターをかけて文字だと認識できないようなレベルで、視界の何もかもが理解できなかったのだ。
この時の私といえば、目の問題だから眼科に行ってみようと、熱の話も通した上でできるだけ口を開く数も減らして診察してもらったが、異常はまったくないというのだ。

これはまた、おかしい。

眼科医の勧めで脳神経外科に人生で初めて受診をした。
初めてのMRIというので緊張こそしたものの、人づてに閉鎖感や轟音で辛いと聞いていたのだが……。
おかしい。
もちろんイヤーマフはしているし、閉鎖空間であることは百も承知だが、なぜだろう。

気持ちがいい!!!

撮影するためにMRI機器が動く、鳴らす、その振動がなんとも心地よいバイブレーションに感じてしまい、私は技師に起こしてもらうまで久しぶりの熟睡をした。こんなことはもちろん稀なケースであると今でも思っている。

そんなこんなで医師の診断を聞くものの、ほんの少し突起なのか毛細血管なのかわからない部分は有りはしたが正常とされた。次回は造影剤を投与して撮影の予定だったが体調不良のためキャンセルした。

結局のところ原因はストレス性のものだということで流れ、ワクチン接種を二回済ませて数週間経った今でも37.7度の熱が常時続いている。
神様はまだ生きてみろと観察でもしているのだろうか。意地悪だ。

こんな症状の人間も居るんだということを記して終わろうと思う。
手洗いうがい、こまめな手指消毒をしても予防とは?体質の問題?と疑問を持ちながらこれからも過ごして行くことになるだろう。

つらみ。

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