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大人になって失われた世界と『ブンガクフリマ28ヨウ』

『ブンガクフリマ28ヨウ』を読んだ。

Twitterやnoteの民なら、目にした方も多いはず。5月の10連休に開催された第28回文学フリマ東京で販売された短編小説集だ。

日本の裏側の南半球に住む私にとって、どんなに面白いイベントでも所詮は「ふうん」で終わる。けれど、今回の文学フリマ東京にいたっては、ニュージーランドの片田舎に住んでいる己の身を呪うしかなかった。

『ブンガクフリマ28ヨウ』の中身が豪華すぎたからだ。なにこのラインナップ。



<短編小説>
 わたしのしぶとい生命線    燃え殻
 ラブバード          山本隆博(@SHARP_JP)
 横断歩道の呪い        末吉宏臣
 イマムラ           浅生 鴨
<解 説>
 ウリコ トバニ カイコ トバ 田中泰延
<挿 絵>  ゴトウマサフミ  /  熊谷菜生

ここに並んでいる方々は、日々画面の向こうでお見掛けしている方で、その方々が短編小説を持ち寄りコピー本を作成する? それって、どんだけ贅沢な同人誌? まぶしい、なんだかまぶしいよ。そんな気持ちで、当日の宣伝ツイートが流れるTLを見ていた。

くそうと思っていたところ、後日Kindle Unlimitedの「人気タイトル」に『ブンガクフリマ28ヨウ』が入っているのを発見した。こうして私は、小躍りしながら憧れの本をダウンロードしたのだった。

それはそれは、贅沢な時間だった。読んでない方がきたら、「え!ぜひ読んで!」とお節介なほどぐいぐい進めてしまうくらい良かった。

なにがよかったって、そりゃすべての作品なのだけれど、せっかくなので一番心を打たれた浅生鴨さんの『イマムラ』の感想を語っておこう。

『イマムラ』の主人公は、イマムラという青年ではなく、雪子ちゃんという小学生だ。どことなく、昭和のかほり漂う舞台設定。冒頭の名づけの理由から、彼女が格段に裕福な家庭にいるわけでも、溺愛されているわけでもなく、でも親から愛を受けて育っているんだなと感じる。

雪子ちゃんには秘密がある。秘密はイマムラにある。その抱えている秘密の持ちようが、なんとも子どもらしい。

親からすれば、子どもは近くて遠い。

赤ん坊のころはいつも一緒にいたのに。あっという間に、親が覗けない子どもの世界ができる。『イマムラ』は、その秘密を垣間見させてくれる。親は、なんでも子どものことを知っているわけではない。

物語のなかで繰り広げられる、閉じ込められた雪子ちゃんの秘密とキラキラ燃え上がる苦しみを読んでいると、胸が締め付けられる。

見ているものが、目に入るものが世界のすべてだったあの頃を、どうしてみんな大人になると忘れてしまうのだろうか。

我が家にはもうすぐ6歳になる娘がいる。雪子ちゃんより、少し小さい。娘くらいの年の頃だと、なんでも親と共有したい気持ち半分、秘密にしたい気持ち半分、という感じがする。

ある日、娘が幼児向け通信教育の付録をみながら、「ねるまえに おやつをたべる」といった。

それは、5歳児にむけて「新1年生にむけてできるようになること」を絵と文字で示した教材だった。

寝る前におやつは食べないでしょ。笑いながら教材をのぞくと「よる きめたじかんに ねる」と書かれていた。娘は、平仮名は半分くらいよめる。だから、絵から「娘のやりたいこと」を勝手に考えたのだと思った。

それを何気なくツイッターに画像をのせてつぶやいたところ、フォロワーさんから「(絵)はおやつの袋をもっているから、正しいのでは…?」とコメントいただいた。

なになに、とイラストをよく見て見ると、たしかにキャラクターが抱えている枕がポテトチップスの袋に見える。おまけに、キャラクターがあくびをしているものだから、なにかを食べるように見えなくもない。

帰宅した娘に「こういうふうに見えたの?」と聞いたところ、笑って「うん」と得意気に応えてくれた。そうか、勝手な妄想で字を読んだわけじゃなかったのか。

子どもの目線をまったく気にしなかった。大人の笑いを娘にむけてしまった浅はかさを反省した。

子どもの世界は、キラキラと輝いていて、そして窮屈でせまい。

親は勝手で、子どもの気持ちなんかお構いなしに、ああしろこうしろと言ってくる。

雪子ちゃんが弟に大切なものを貸したくなかったくやしさとか。布団にくるまって怯えていた恐怖とか。いちばん近くにいる親という大人は、無神経で気づかない。

『イマムラ』を読みながら、子ども時代の私と、親としての私と、そしていま子どもである娘の姿がちらつく。ほんとうに、このお母さんは気づいていなかったのかしら。雪子ちゃんが学校に行かなくなって、どれほど心配していただろう。

物語に書かれていない物語に思いを馳せる。やさしさと最後に残る影のような謎と。

大人になってからとっくに失ってしまった世界を垣間見て、そして私は、この世に文学というものがあってよかったと思うのだ。






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