これが、ちゃぶ台返し
むかしの食卓で使われていたちゃぶ台。昭和の核家族のシンボルのような小さなテーブル。畳敷きの部屋で家族は低いテーブルに向かい合い食事をする。そして、悲劇はおとずれる。ほとんど食事に手をつけないうちに。
「なんだよ!」父の怒号とともにちゃぶ台がひっくり返り、すべてが落ちていく。
あたたかい家庭あたたかい食事
私が小学生ぐらいのころ、親は共働きで家を支えていた。
それでも我が家は裕福ではなく、中流家庭とも言えず、当時ではそこそこぐらいの家庭。でも、そういう家庭は多かったように思う。
母はすぐ近くの工場で働いていて、夕方には家で夕食のしたくをしていた。
学校が終わり、近所で遊んでいると、まわりの家から夕食の匂いがしはじめる。あの頃はみんな同じような時間に夕食のしたくをしていた。
家々の窓に明かりがつきはじめる。「帰らなきゃ」もうすっかり暗くなってきた。あたたかい食事、母親が用意しくれた食事を父、母、弟と私4人で囲む。子供の頃は、食事がなによりの楽しみだった。
今日はなに?「コロッケだよ」当時は夕食でもメインのおかず一品なんてあたりまえ、それでも親が用意してくれた食事。あったかい食事。
今日一日を思いながら、明日はなにしようかなんて思いながら,子供はおいしいおいしいといって食べる。父、母、弟と私、家族4人の食事。 いつもどおりと思っていると大人の事情が始まるのだ。
父と母の会話が始まる・・近所のこと、仕事のこと、お金のこと、子供の学校のこと、そして・・・。「なんだよ、気にいらねえなあ!」と父が怒りだし、ちゃぶ台の縁に手をかけて一気にひっくり返す。
親にとってはそれなりの理由があったとしても、子供にとっては何がなんだかわからない。ひとつはっきりしているのは、まともなごはんは食べられなくなったという現実。
おなかはからっぽ、こころもからっぽ
あぜんとして立っている、ちゃわんだか箸だかをもったま・・・・・。 夕食すべてが畳みのうえにちらばって・・・・。
頭を整理するまもなく一気に悲しみがあふれ出す。
母親が黙ってちゃぶ台や茶碗やら片付け始めて、なんとか自分も片付けようと手をうごかすが、目に涙が浮かんで散らばったものがぼやけて見える。
食べ物がなくなった悲しさと、あたたかいはずの時間が消えて・・・。 涙がどんどんあふれてくる。きっかけは自分たち子供が原因であることもあるけれど、ほとんどがうまくいかない生活のことが原因で起こる。
子供からすればかなりのショックだ。ちゃぶ台がひっくり返ることを考えて生活しているわけじゃない。楽しみにしていた食事を前にして、考えていた楽しいことも何一つ思い出せない。
子供は思いっきり遊んで、家に帰っていっぱい食べられればそれでしあわせな時代だったから。こういうことで、おなかとこころと両方がからっぽになる。
これが、ちゃぶ台返し
ちゃぶ台返しは、昭和の時代の頑固おやじの象徴なのか、前からドラマやアニメ、コントなんかでよくつかわれてきた場面。怒りを表現するにはとてもわかりやすいシーンだ。
おもしろおかしく見えていても実際に経験したものには、せつなくかなしい思い出。大人になってみれば苦笑いですむけれど子供には残酷なことです。
母親からすれば、お金をやりくりして家族に用意した時間と思いがこめられれたもの、父も本意ではないとは思うけど当時の父の苦労などは理解しようもないのだ。
誰ひとり幸せにはできない「ちゃぶ台返し」怒りにまかせてやったところで何の解決にもならず、悲しさだけがこみあげてくる。
俺は怒っているんだ!家族にとって大切な食事を台無しにするほど怒っている!どおだ!ちゃぶ台返しだ!・・・・「やめてくれそんな主張。」
子供にとって家族で食事は大切です
子供の頃は、家族が同じ空間で暮らしていた。お互いが何をしているか見えるようなせまい部屋。親は結婚して仕事のある都会に住み始めた。子供ができたことでお金もかかり、近所との付き合いもはじまって精神的にも辛いこともあったのだろう。
当時は「夫婦げんかは犬も食わねえ」なんてさとすようなことをよく言ってたけど、それぐらい夫婦でケンカする家庭というのもよくあったと思う。私の家は少し多かったように思うけど。
今考えると、やっぱり子供の頃は家族で食事したほうがいい。
食べることは生きること、そういう時間を家族がそろって大切にするのは必要なことだと思う。
家族で食事ができる機会がちゃんとあるのならいっしょにしたほうがいい。だって、親子でいっしょに食事できる時期なんてあっという間に無くなってしまうんだから。
今は亡きおやじへ・・・。
どれだけあざやかにちゃぶ台返しを決めても、何のスキルにもならないことで食事のじゃまして・・・。
「あのときのコロッケ返せ!」
【あとがき】
「ちゃぶ台」は明治以降に西洋の家族がダイニングテーブルを囲んで食事をするという文化を、同じ文化に近づけようと庶民が和風にアレンジしたもののようです。
それより前の日本では親や兄弟でも家族の中で順位があり、それぞれに専用の膳がある銘々膳という食事スタイルだったそうです。
生きるために家族の中で上下、役割が決められていた時代から子供が子供でいられる時代になっています。
みなさまが家族で食事ができる時間を少しでも多くすごせますように・・。
最後までお読み頂きありがとうございました。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?