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ジャパン・ディグニティ/バカ塗りの娘

2023年9月1日に全国公開された映画『バカ塗りの娘』。津軽塗を題材に、職人の父娘を描いた作品である。
そしてこの映画の原作である小説『ジャパン・ディグニティ』。作者は青森県出身で地元を舞台にした既刊作もいくつかある。

今回は小説と映画それぞれの感想と、作品に込められた共通点についても書いていこうと思う。


ジャパン・ディグニティ

日本各地には様々な伝統工芸品があり、どれも職人が時間と手間をかけて作り上げる。
青森県弘前市で主に作られてきた津軽塗は、塗っては研ぐを繰り返し約48工程を経て完成する。ここまでの工程数をかけるものは伝統工芸品の中でも多くはない。

バカに塗ってバカに手間暇かけてバカに丈夫、の三大バカだ。
(中略)しかし、「バカで結構」。そこに津軽塗職人は誇りを持っている。

「ディグニティ(dignity)」とは「尊厳・品位」という意味である。職人は尊厳をもちどんな時も真剣にものづくりをする。それを端的に示した言葉だ。
一つ一つ作業に精神を注ぎこみ丹念に仕上げていく、その様子が原作では専門用語を交えて随所に書かれている。父や美也子が作業する場面は自分の目の前にも今塗ろうとしているものがあって、そこに集中していくような没入感があった。
父に弟子入りしてからの美也子は津軽塗にどんどんのめり込み、悩みながらも楽しそうに作品を生み出していく。今まで上手くいかないことが多かったけれど自分にとっての光を見つけて前進する、とても躍動的で力強い印象を受けた。

津軽塗を施したこのピアノはどんな音を出すのだろう。
どんな歌を歌うのだろう。どういう風に人々へ届くのだろう。
私は知りたい。もっともっと知りたい。
だから、作るのだ。

登場人物の性格や行動も細かく描写されていて、美也子の心の声がけっこう騒がしくて面白いところもある。作業場面の緊迫感をガラッと変えてくれるので小気味よく読み進めることができた。特に弟(妹)のユウとの会話は気の置けない家族の日常が見えてほほえましい。

睨み付けると、ユウは目を逸らして泥棒猫がいるのよ、とうそぶいたので、私は口をあんぐりと開けてしまった。
泥棒猫はあんたでしょうがあああ!と叫びたかったが、それじゃあ一昔前の昼ドラなので、ぐっと我慢した。

父、弟(妹)、母、それぞれとのエピソードを紡ぎながら美也子の成長を描いた作品である。


バカ塗りの娘

まず、美也子を演じた堀田真由の自然体な表情が作品全体の雰囲気と本当によく合っていたと思う。原作よりもぼやっとしておぼつかない普段の姿と、津軽塗に向き合っている時の芯のある姿、この違いを特に目つきで表現している。美也子が職人になっていくまでの心の変化までもよく感じ取れる演技だった。

父を演じた小林薫は原作のイメージそのものだった。寡黙な職人で、家では影が薄くあまりパッとしない。津軽塗をやりたいという美也子を、口数は少ないが後ろで静かに見守っているところに父の優しさが感じられた。

原作と違って兄となったユウは、悩んでいる妹を気遣って話をしてくれる。美也子にとって支えのような存在であることは原作と変わりない。登場場面は少ないが物語に抑揚を与えている。個人的に、いつも標準語で話しているユウが父に津軽弁でキレたシーンが心に残っている。怒るとこういうことあるよなぁと身に覚えがあるからだろうか。

さらに青森県出身の役者たちが作品の地域度を上げてくれたことが嬉しかった。吉田のばっちゃ役の木野花と木地屋の佐々木役の鈴木正幸が出てきたときは、これこそ青森県民としみじみ感じたものだ。

映像の中でメインとなる津軽塗の製作シーンは、話すこともなく静かで、ただただ作業している音が聴こえるだけだ。刷毛で漆を塗り込むガサガサという音、ななこ塗りの菜種を蒔くザザザッという音。唐塗の模様を作る仕掛ベラをおくトントトンという音が一番好きだった。
映像と音だけだが、ずっと見ていたくなるほど魅力的で美しい。手で生み出すとはこんなにも神秘的なものなんだと感心した。


共通点

どちらの作品にも共通するのは、やはり津軽塗の手間暇かける美しさだ。言葉・映像と音と表現方法は違えどどちらも本当に伝わってくる。
さらに父娘の家族の心の繋がりも物語の中核をなしている。肉親として、職人として、立場の違いで父娘がどう向き合っていくのかを繊細に描いている。

作品の中で重要なアイテムであるピアノも共通している。原作はねぷた絵の紋紗塗と錦塗、映画は唐塗、七々子塗、ひねり塗、櫛目(くしめ)塗の四つの技法を用い、水色やピンク・黄色などのカラフルな仕上げ。映画のものは実際に制作され見ることができる。
このピアノが美也子と津軽塗を世界へと導いてくれる。現実世界でもより多くの人へ津軽塗を広めていってくれたらと願っている。
(原作バージョンのピアノもぜひ見てみたい。)


まとめ

自分の地元が舞台となっている作品はやっぱり読んでみたい、見てみたいと思うものだ。
津軽塗は、昔は高級品で結婚祝いなどでもらうものというイメージだった。でも最近は食器の種類や柄のバリーションが増え、アクセサリーなどもよく見かけるようになった。今は特別なものから身近なものへ変わっていく過渡期なのかもしれない。
自分は昨年津軽塗の赤い汁椀を購入した。デザインが唐塗ながらもモダンになっていて洋食器とも合うし、持ったときの手になじむ感触がよく、熱くならないので使いやすい。
先日内側の底の漆が剥げてしまったため修理に出した。戻ってきた椀は傷があったとは分からないほど綺麗になった。職人の技を実感した体験だった。

ぜひ小説と映画どちらにも触れて、津軽塗を感じてほしい。それほど美しいものだから。
津軽の誇りである。


出展:『ジャパン・ディグニティ』
   高森美由紀
   産業編集センター

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