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「俺にとっての幸せを達成したい」

 俺は小学校教員の両親の元に生まれ、何不自由なく生きてきた。平日は部活や習い事に通い、休みの日には家族で旅行に出かけた。これと言った挫折もなく、ストレートで大学まで進んだ。勉強さえしていれば、偏差値の高い学校に進めば、将来の可能性はどんどん広がると思っていた。その想いを胸に抱きながらトップクラスの公立高校から現役で国立大学へ進学した。両親の影響で小学生の時から教員になろうと思っていたし、絵を描くことが好きだったので愛知教育大学(愛知県では教員採用率No.1)の美術科(美術教員の資格が取れる)へ入学した。入学と同時に親元を離れ、一人暮らしを始める。ライフスタイルが自由になり、サークルに入ったり友達と夜中まで遊んだ。バイトも始め、その貯まったお金で海外旅行に行ったり、やってみたいことを思いつく限りやった。その結果、当時勤めていたバイトだけではお金が足りなくなった。

 もっと稼ぎのいいバイトはないかとネットで探し、名古屋での居酒屋のキャッチの仕事を見つけた。それは完全歩合制のバイトで、道を歩く人に声をかけて店を紹介すればそれに応じた報酬がもらえるというものだった。上限はない。最初こそ不安だったが、誰とでも話すことは好きだったし、歩合制というルールの中でお金を稼ぐのは楽しかった。性に合っていたのか半年ほどで月40万円程も稼げるようになっていた。夕方家を出て終電まで繁華街で声をかけ続ける。バイトを終えて家に着くと夜の1時くらいになる。そこから友達を集め自宅で飲み会をする生活を繰り返した。そんな生活の中、気づくと大学に通えなくなっている自分がいた。授業には殆ど出席しないし、代わりにその日の夜は友達と酒を飲んだ。そのまま大学3年生の夏にはあっさりと留年が決定し、四年間では卒業ができなくなってしまった。そのまま大学に通い続ける気もなくなり、自分を見つめるために半年間休学し、地元の神戸に帰った。

 休学中、自分をみつめていく中で、自分は将来何をしたいのかが分からなくなっていった。かなり悩んだ。もちろん留年することになったのは自分の怠惰な生活のせいだ。それは分かる。それでもなぜ真面目に生きてきた自分が、大学にすら通えなくなったのかが分からなかった。ひたすら自分の気持ちに耳をかたむけ続けた。すると、自力でお金を稼ぐこと(歩合制のシステム)に興味があるのに、決まった仕事をして安定した給料を貰う「教員」という職業に就くために大学へ通っていることが辛くなっている自分がいた。そして、今までの人生で自分自身の心と向き合ってこなかったことにも気がついた。

 そんな風にキャッチのバイトにはお金以外にも沢山のオマケがついてきた。まず第一に自分の想いに気づくことができた。第二に自分のことだけを考えていても生きていけない(稼げない)ことも学ぶことができた。お客さんに価値を感じてもらって初めて対価を得られる。雇われの身である定額制のバイトでは感じることのできなかった感覚だ。それらの経験も基に俺は更に考え続けた。そして一つやってみたいことを、ぼんやりとだが思いついた。それは、俺自身の「自力でお金を稼ぐことが好き」という個性を活かしつつ、他人が価値を感じるような仕事を作るということ。それによって俺は幸せになれるし、もしかしたら俺に似たような個人の幸せに繋がるかもしれない。ただ休学中にはどんな会社(仕事)を始めるのか具体的には決まらなかった。

 半年間の休学期間も終盤にさしかかり、大学に復学するかこのまま退学してしまうか考えた。考えた時、自己管理も満足にできず大学を中退する人間が、会社を建てて経営したり社員を管理するなんてできるわけがないと思った。そこでまず大学に復学し自己管理能力を身につけることにした。加えて卒業に必要な論文を書くことによって自分の弱みだと自覚している「文章力の無さ」も克服しようと試みた。そうして4年生の一年間はあっという間に過ぎていった。秋には仲間と学祭にてホットサンドの店を出し、仲間とお金を稼ぐということも体験した。

 そうして学生生活を終え、おれは休学の末に出した一つの目標へと進んでいく。自力で稼げる仕事を作る。そしてその仕事は「社会」に対する「個人」を幸せにするためのものでありたい。
現在の学校教育ではお金のしくみや個性への光の当て方を十分に教わっていないように感じる。それらを俺の仕事を通して個人に提供し、社会という総体に居心地の悪さを感じている人達を幸せにしたい。そうすれば個人の幸せを達成できるし、それがお金になれば俺の幸せも達成できる。

 しかしいきなり会社を建てるのではなく、まずは教育現場に入り学校教育に足りないものを自分の目で確かめてこようと思う。そこで学びを得て、俺はこれから行動していく。

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