定期券話
今や「Suica」が、当たり前(?)。
自動改札機でもそれ専用が多くなっていたり、券売機自体が「切符」ではなくなりかけている。
わたしの住む地元の駅でも、知らない間に「チャージ」。
横文字だらけと相成った。みどりの窓口の閉鎖され、降りたシャッターがあるのみだ。流石、令和の進歩を思わせる。
有名私立か、国立の小・中学校に通う坊っちゃん、嬢っちゃん方が大人になる頃、どうなっているのか?
「顔パス」ならぬ「ランパス」。
ランドセルと改札口が連動されてて、通るだけでOKざんす。自動精算されて親御さんの口座から引き落とす仕組みになっていますからね、じゃんじゃん使って下さいよ、となろう。
あっ、日立だったかな?既に構図を抱いている会社、あるよね。
しかし、定期券。
定期券なるパスポートが、長い長い間、君臨したのであるぞよ。
「きつねの子の拾ったていきけん」
小学校の2年だったか?国語の教科書に載っていた話が、わたしと定期券とのお初であった。
きつねの子供の3きょうだいが、主人公のお話。
お兄ちゃんと、お姉ちゃんと、坊や。3匹揃ってお使いに行った帰り道、道ばたで、坊やが定期券を拾うのだ。
「セルロイドの入れ物に入って」教科書にある。
(?セルロイド?セルロイドって、何なんだ?)
けれど、面白い。
「~ていきけん」は、話しとして面白い教材であった。きつねの子がお使いにゆく設定も面白かったし、3きょうだいも良かった。
わたしには、妹しかいなかったから、もう1人いたらの考えも膨らんだ。
下半分に描かれている挿絵は、藤城清治さん。独特の影絵が印象的だった。
しかし、セルロイドが、わたしにとって一番の謎だ。
(先生に、聞いてみようかな?ていきけんって何ですかって)
忙しそうである。
仕方なくその日、一緒に帰るBFくん達の2、3人に聞いたが、こぞって「知らない」と言う。
(嘘だぁ)思うだろう。嘘ではない。
彼らはみんな自営業者の子供であった。父親が家にいて仕事をする。=定期券を必要としない。
(だったら)普通の勤め人であった父にでもお願いしようと思ったが、うやむやとなった。
問題解決。
目出度くわたしが「ていきけん」。「セルロイドの入れ物に入って」拾い物を手にしたのは、高校入学と同時だ。電車通学となった為である。
(おおっ!)
これが「ていきけん」か。「セルロイドの入れ物」は、「定期券ケース」。「セルロイド」ほほぅ。左側についているコレか。へぇ~っ。
初めこそ興奮して、何度も出したり入れたりして楽しんでいたけど、すぐ飽きた。面倒臭い。
程なくしてそのまんま。「裸体のマヤ」ならぬ「裸体の定期」での使用だ。
水沢アキだったであろうか?
子供の時に父親に怒られた腹いせに、父親の定期券を自宅にあった庭の池に放り投げた強者は。
ものすごい行動力。&庭の池がある自宅なんて、と思ってしまう。
さぞかし、社会的地位のある父親だったのであろう。
時代的に、わたしが定期券に謎を持った頃でもあろうか?そうかそうか、今、思い出したけど、当時は今みたいなのではなく、厚紙に、自筆で名前を書いてましたなぁ。
紙だから、水に濡れれば使い物にならない。
その後の父親の行動が、知りたいものですな。
「象が踏んでも大丈夫」
セルロイドの筆箱を宣伝するのに使われた文句であるが、
「水に濡れても大丈夫」
水沢さんの父親さんよ、今や時代が変わりましたぞ。
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