今も昔も「ぞく・俗・ゾク」~「今昔物語」(角川書店刊)~



ソフィア文庫に入っている。
「ビギナーズ・クラシックス」初めの一歩・初心者向きだ。

そもそも古典は、苦手である。かなりご遠慮、願いたい。
中学・高校。習いはしたが、いい思い出はない。
原文→現代文へと訳すのが、第一に面倒だ。自分でと言われる。難しい言葉の解説。これも自分でしなければならない。しかも意地悪な教科書は、ページの隅に小さく、或いは欄外にちょんとあるだけ。ここからして耐えられない。
(何で同じ日本語なのに、訳さなければならないんだ、英語じゃあるまいし)初めて接したその日から不満たらたら、たらちゃん&ぶんむくれ。
漢字だらけの漢文も、同じような理由で好きになれなかった。

なのになぜ故、古典の本。
借りるのではなく、購入してまで読もうと思ったのか?
一つに、体裁。編集方針だ。原文→現代文へではなく、現代文→原文&ちょこっと当時の暮らしコラム付き。なかなか宜しいものである。
一つに、アナウンサーの加賀美幸子さんやら、作家の群ようこさんやらが
「面白い」と書いていたからだ。
「和泉式部日記」最初、手にしたのは同シリーズであるが、「成程ね」
だったら「今昔物語」
「今は昔……」
書き出しが「漫画日本昔話」の最初と同じだし、まっいっかぁと買うに至ったわけである。

例えば、弘法大師空海と、ライバル僧のお話だ。
「俗・ぞく・ゾク」「坊さんだって、俗なのね」帯コピーをつけて売り出したいと思えるぐらいに、面白い。
ライバル僧が、上の者に気に入られる。上の者が一寸、褒める。と、もう面白くない。面白くないどころか「死ね!死ね!死ね!死ね!……」
呪文のように唱え始める。連呼する。
ライバル僧とて、また然り。「死ね!死ね!死ね!死ね!……」
嵐のように願うのだ。
そして念願かなって(?)一方が他界すると、
「ああ、やっと死んでくれた。祈りが通じた。念願叶った。ライバルがいなくなった。消え失せてくれた。良かった、良かった、安心だ」
周りにジャンジャン言いまくる。公表、心の内を明かすのだ。
「大師」
冠がつく程、厳しい修行を重ねに重ね、一切の欲から離れ、賢い人と一応、世間では見なされている人物の実像なのである。
笑わずにはいられないではあるまいか。

ネット苛めや、学校裏サイトでの書き込み。
言葉の暴力に耐えかねて云々、「ネット時代の子供達」
「子供が変だ」どうしただのと時々、話題になるけれど、この時代の大人の世界。大人どころか、立派と呼ばれる人にだってあった。
人間臭いというが、俗というべきか。妬いているのか、嫉妬なのか?本能と呼ばれる1つなのか?
悟りを得ようが、人は人。
捨てきれない俗が心の中では渦を巻く。

このような話のオン・パレード。パラダイスの塊だ。
既に書かれていた加賀美さんも群さんも、きっと俗世界も面白さに魅了されていたのだろう。
族ならぬ俗の世界を、ゾクゾクしながら楽しもう。

#読書の秋2022

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